Act4  恋慕
何とか反乱組織を制圧し、漸く情勢が取り合えず落ち着いたのはそれから3日後の事だった。
まだまだ状況は不安定だったが、全くといっていいほど仮眠をとっていなかったザックスは、
半日間の特別休暇を与えられ、帰宅した。
エレベーターを待つのさえもどかしく、非常階段を1段飛ばしで駆け抜け、部屋の前に辿り着く。
息を切らせて、終われるような手付きでカードキーを通すと、音もなく扉が開いた。
 
 
 
『おかえり、ザックス』
 
 
 
一瞬、求めていた声が聞こえたような気がした。求めていた人影も、見えた気が、した。
たった一人の姿を探して、廊下を突っ切りリビングルームに向かう。
人影に見えたのは、たなびくカーテンで、声のように聞こえたのは風の音。
リビングにいるのは徹夜明けに眩しい朝の光だけだ。
「…居るはず、ないか…」
自虐的に呟いて、カードキーをテーブルの上に置く。
聞こえるはずの言葉が聞こえず、ザックスは緩慢な動作で髪を掻き揚げた。
当たり前の事。初めから予想がついていた事。
それでも胸にぽっかりと開いた穴には耐えようもない喪失感が、冷たい風となって吹き抜けていた。
そのまま。仮眠を取るために与えられた休暇をザックスは、ぼうっとして過ごした。
リビングのソファではなく床に直接座り込み、片膝を立て、その上に頬を押し付けた体勢で。
仮眠を取ったほうがいい事は重々承知。
でも何をする気も起きなくて、ただ空ろに目を見開いて虚空を見詰めている。
帰って来てからずっとこの体勢を続けていた。
何時間座っているのか、何を見ているのか全く解らない。ただ、頭の芯が痺れて何をする気も起きない。
考えるのはクラウドの事。ただそれだけ。
 
 
『持って帰る。金は入ったから、カームに着いたら講座に振り込んどく。南の銀行でいいんだろ?』
 
 
携帯を片手にクラウドが喋っていた事、今から思えばそれらは全て、暗号だったのだ。
恐らく金とは情報。講座は情報部員。南の銀行とは、南通りにある店の前で、といった所だろうか。
在り来たりな暗号。少し注意を払えば誰だって解るこの暗号を解読し損ねたのは迂闊だったとしか言いようがない。
自分の都合のいい時はいいが、悪くなれば途端に掌を返す。それが人間であると、嫌と言うほど解っていたはずだったのに。
ソルジャーという極秘任務を扱う者として、誰も信じてはいけないというのが鉄則。
例え友人とは言えども、所詮は他人。
それなのに自分は馬鹿らしいくらいに信じきっていた。
微塵も疑うなんて事をしなかった。
 
(でも…)
 
そう思う。
もし、クラウドでなかったら、と。
もしクラウドでなかったら、きっともっと警戒してた。きっともっと用心していた。
一人で家に置いておくだなんて、そんな初歩的なミスなど犯さなかったのに。
情報がクラウドの手に渡った以上、組織に公開されたのは目に見えている。
書類の中には、新羅の警報装置設置箇所などの企業秘密も書かれていたから、組織は思う存分利用する。
きっと今回のテロ作戦にも利用されたに違いない。
新羅が情報が流出した事に気付くのも時間の問題だろう。それも、ザックスの所から流出したと言う事も。
組織に情報が渡ったと知れば、新羅はその過度な流出を防ぐと共に、その情報の出所を必ず血眼になって調査する。
家宅捜索が入る事は必至。そこで自分が情報の流出補助者だと判明すれば、自分は間違いなく罪に問われる。
もしかしたら今までの全ての『不審事故』の責任者としてスケープゴートにされるかもしれない。
八つ裂きにされ、焼き尽くされ、その灰さえ踏みにじられる、そんな悲惨な死を遂げるかもしれない。
けれど、とザックスは思う。
唇をきつく噛んだ。
けれど、それでも。
 
 
どうしてもクラウドを憎めない。
 
 
憎む事などできない。詰る事も、呪詛を吐く事もできない。
裏切られたと知って尚、この想いは変わらず、色褪せずにこの胸に刻み込まれている。
消す事はできない。
そう、どうしても。
ザックスは大きく息を吐き出した。
別段死は恐れはしない。情報が組織に渡り、その情報の出所が判ったとしても、別に怖くはなかった。
ただ、嘘を吐かれた事が。それだけが悲しい。
『必ず、返すから。』
そう言ったクラウド。
ザックスは苦笑した。今のこの状況で、一体どう返すというのだ。
クラウドの言う事は全て嘘だった。この街に来た動機も、料理を作るという約束も。
恐らくカームで親戚と共に住んでいると言う事も。
そして結局ピアスを返すという事も嘘だったという訳だ。
クラウドは、自分と再会してから一度だって、本当のことを言ってくれなかった。
それが悲しかった。
膝に顔を伏せて、目を瞑る。
何時間その体勢で居たのだろうか。時間的感覚把握も覚束なくなっていると。
不意に、腹の虫が鳴る音がした。
不思議なものだ。こんなにも心は死んでいるのに、身体は生きるために食物を欲しがる。
けれど、起き上がる気力はない。冷蔵庫までいく、ただそれだけの行為が億劫で堪らない。
まぁ、行ったからと言って、冷蔵庫の中にあるものなど碌な物はないが。
ザックスは一週間分の材料を纏めて買い、しっかりと使い切ってしまう男だったから、今は本当に何も入っていないはず。
ふと、冷蔵庫の前に立っていたクラウドの姿を思い出した。
あの不器用なクラウドが自分のために朝食を作ってくれたあの朝。
今ではもう酷く遠く感じられるあの朝。
切なくなって、もう一度、顔を伏せ、目を瞑った。
瞬間。
 
 
『そういえば、』
 
冷蔵庫の前で振り返るクラウド。
 
『冷蔵庫の人参腐りかけてたから。』
 
 
 
突然甦ったその言葉に、ザックスは勢いよく顔を上げる。
(腐りかけた、人参?)
そんな事ありえるはずがない。
あの時はクラウドが去ってしまう事に気を取られていて気にも留めなかったが。
ザックスは本当に食材を使い切るのがうまい男だったから、クラウドの言うように腐りかけの人参が冷蔵庫に入っているなどありえない。
ならばあの言葉の意味は何なのか?
心臓が一際大きく脈打った。さっきまでの気だるさが嘘のように、勢いよく立ち上がる。
自分の心臓の音が耳に煩かった。
モスグリーンの冷蔵庫の前に立ち、恐る恐る銀色の取っ手を握る。一気に引いた。
途端肌に触れる冷気と、視界に入る小さな蒼い小箱。
震える手でそれに手を伸ばす。冷たくなった青い箱は一度も見た事がないものだった。
 
『必ず、返すから。』
 
耳に残る、切羽詰った声を思い出す。震える手でそれを開けると、中から出てきたのはザックスが渡したあのピアスだった。
クラウドは『返す』といった。酷く思い詰めた顔で。その言葉を自分はピアス代だと思い込んでいた。
高額な品だから、後でその料金を払う、とそういう意味だと思っていた。
箱に収まったピアスを指先で引っ張り上げる。すると、ピアスと一緒に箱の中敷が取れた。
予想もしない出来事に思わず箱を取り落とすと、中からカランと音を立てて小さな物が転がり出てきた。
驚いて見ると入っていたのは、親指の爪ほどの大きさのチップ。よく見れば、それは映像チップだった。
使い方は簡単。中央についている小さなボタンを押すだけで、その人の声と顔が収録された映像が立体的に現れる。
つまりは、ビデオの質をよくしたもので、よく定期連絡のために送られてくる物と同タイプだ。
チップは落とした衝撃で、作動したのか、ヴンと機械的な音を出す。
息を呑んだ。
予想はしていた。チップから出た光線に照らされるようにして映し出されたのはクラウドだった。
「…クラウド…」
思わず呼びかけるが、これは見る専用で、会話機能は有さない。しかもこの映像は録画された物だ。
映像の中のクラウドは、二人で過ごしたときの面影など微塵も宿していなかった。
ただ、何の感情も映さない、冷たい氷のような瞳。
映像の中の唇が動く。
『この映像を見てるって事は、もう俺の正体が解ってるってことだと思う。
俺は、20年前ミッドガルに滅ぼされた国、レイクルイスの生き残りだ。』
解ってはいたが、映像を伴っていると、やはり強い衝撃を受けた。
それからクラウドが語った事。
クラウドが新羅の学校に入ったのは、ソルジャーになって、組織の役に立てるようになるためだったという事。
偽造していた出身が発覚する可能性が高くなり、学校を辞めざるを得なくなった事。
あの酒場に出入りしたのは、裏世界の住人に近づいて、新羅の情報を得ようと思ったからであったこと。
そして薬の混入がなくとも、初めからあの賭けに負け、情報を収集するつもりだったという事。
どれもこれも、クラウドがレイクルイスの生き残りであったと解った時点で、予想はしていた事だったので、然程驚きはしなかった。
『…あんたに貸してもらったピアスは、探査機を撹乱させるために使った。
もう新羅側にはばれているから言うけど、海の瞳はその特別な魔光吸収度数によって、特別な波長を生じる。
それによって探査機を狂わせるっていう特別な方法をとってた。
…でも、正直あんたが持ってるって聞いた時驚いた。もしかしたら俺達の作戦がバレてるんじゃないかって。
海の瞳は、レイクルイスの特産品だ。レイクルイスの生き残りなら全員が持ってるけど、非情に貴重価値だし。
淡々と述べている。抑揚のない、冷めた声が辛かった。
クラウドが述べているのはただの事務的報告に過ぎない。
ピアスを借りたり、部屋を借りたりした以上は、話す義務があると律儀なクラウドは考えたのだろう。
そこに一切の感情の介入はない。
『今更言い訳はしない。俺はあんたを裏切った。それも手酷い方法で。もう、友人だって名乗る資格もない。』
そこでまるで台本でも読んでいるかのように、すらすらと話していた声が止まる。
そのまま、クラウドは。いや正しくはクラウドの映像は停止した。
映像の上でもはっきりと読み取れる、変化に思わずザックスは顔を上げた。
 
 
『でも…』
 
 
声が、震えた気がした。
その肩も少しだけ。
震えた気が、した。
 
 
『…好きなんだ。』
 
 
 
クラウドは泣いていた。ただ、泣いていると言っても、全くの無表情。
透明な雫が軌跡を残しつつ頬を伝っていなければ、そうと解らない位に静かに、声を出さずに泣いていた。
その様は、まるで感情の流出を自分に許していないかのように。
『…それでも、あんたが好きなんだよ。』
全く抑揚のない声、それでも胸が痛くなるくらいの切なさと愛しさをこの胸に残した。
「クラ…」
名前を最後まで呼ぶ事は叶わなかった。
その一滴がゆっくりと床に落下したと思った瞬間にはもうクラウドはいなかったから。
文字通り、消え去っていた。映像チップは自動的に消滅する仕組みになっていたのか、二つに割れていた。
辺りには静寂が戻ってくる。
手の上には青色のピアス。ぎゅっと手に力を入れると、爪が掌に食い込んだが、痛みは感じなかった。
それよりもずっと心の方が痛かった。
 
 
 
 
思い出すのはクラウドのあの言葉。
 
『…もし、そうなったら』
自分を見上げていった事。
 
 
『あんたは一緒に来てくれるのか?』
 
 
 
**
 
クラウドと映画を見に行った。
珍しく仕事が入らず、何となく時間が空いた日だった。
ある犯罪組織に属する女と恋に落ちた男が、彼女を助けるためにドンパチする話だ。
男同士でも見に行ける普通のアクション映画といった宣伝だったにも関わらず、恋愛要素も濃い話だった。
だがまぁ、よくある感じの3級映画で、それに相応しく馬鹿らしいほどのハッピーエンド。
組織は崩壊。女は間一髪のところを助けられて、男とくっつく。
別段暗くなる要素など見当たらない感じの映画だが、見終わった後クラウドは何やら神妙な顔をしていた。
「…どした?」
「この映画、俺はあんま好きじゃない。」
「…は?」
「だって、女は組織に幼い頃からご飯を食べさせて貰って、洋服を着せてもらって、居場所を貰ってた。
育ててくれた。女は組織に恩があるんだ。それに組織には今まで一緒に頑張ってきた仲間がいた。それを見捨てていくなんて…。」
予想もしない事言葉の数々に、一瞬反応に迷った。
「…まぁ、そりゃお前、愛の力じゃねぇの?」
「愛って言葉だけで片付く問題じゃないだろ。」
「いや、まぁそうだが。」
余りの剣幕に、何だ?と思ってしまう。
この映画の内容なんて、精々すっきりしたなだとか、おもしろかったなの一言で済まされる位軽い内容だ。
どうしたものだろうかと悩んでいると、クラウドが顔を上げて、強い視線で自分を見上げてきた。
「じゃぁ、あんただったらどうするんだ?」
「…え?」
「もし、あんたがあの女だったらあの男について行くのか?」
強い光を宿した青い瞳。
「もしそうなったら」
クラウドの、強くて、何処か悲しげな瞳から、目が離せない。
「あんたは、一緒に来てくれるのか?」
どきりとする位真剣な瞳で見詰められて言葉に詰まる。
言おうとしていた軽口を叩こうという気は完全に消えうせた。暫し目を彷徨わせ。
「…わかんねぇ。」
正直に答えた。それは余りにも真剣だったから。
自分がその立場に立たされたとき、どうするのか。それはその場に立ってみないと解らない。
それに、想像もつかなかった。
「ただ、もしこれが現実になっても俺はソルジャーだから、裏切ろうにも裏切れないけどな。」
ザックスは苦笑した。
ソルジャーは、ソルジャーとしての洗礼をうける前に、小型爆弾を身体に埋め込まれる。
その強力過ぎる戦力が他国に渡る事を恐れ、研究者達がつけるのだ。
余程の事では爆発しないが、裏切った場合には即意図的に爆破される。
一瞬目の端を掠めた顔が、泣きそうだった気がするのは気のせいか?
驚いて、確認しようと顔を覗きこんだ時には、もうクラウドはいつものクラウドに戻っていた。
「そうだよな。馬鹿な事言ってごめん。」
そう言って、小さく笑った。
 
 
 
 
今思えばそれは、クラウドそのものだったのだ。
 
 
 
「クラウド…」
 
その名を呼ぶ。その想いの全てを込めて。
好きだと、愛しいと言う事さえ、もうできない。
強く握りすぎた拳から、鮮血が滲み音もなく床に落ちた。
 
 
 
実は両想いでした。
残り2話。結構暗い話ですがお付き合い下さると幸いです。