Act5 roommate
「ここが俺達の部屋な。」
そう言ってザックスは、702と掘り込んである金属製のプレートを指先でコツコツ、と叩いた。 入社したてのひよっこ、かつ余りにも突然の昇進を遂げた一般兵が、「はい」と堅苦しい声で返事をした。
その余りの余所余所しさに内心苦笑しながらも、部屋の説明を続ける。
「で、鍵なんだけど、中に入るにはこのカードキーが必須。」
そう言って差し出した薄っぺらい、名刺サイズのカードキー。
「こうやって、カードを差し込むと、ここのランプが緑色に点滅して鍵が開く。
ただ時々赤く点滅しちまう事があって、開かない事があるかもしんねぇけど、
そりゃ接触が悪いだけだから、もう一回通したら大体開くから心配すんなよな。」
こうやって、の所で鍵を差し込んでいたザックスがドアの取っ手に手を掛けて扉を押すと、
この部屋の主と新たな入居者を招じ入れるように音もなく扉が開いた。
その瞬間、隣の一般兵が息を呑むのが解って、思わず小さく笑ってしまった。
自分も一番初めにこの部屋を与えられた時は、同じような反応をしたものだ。
両脇に扉のある廊下を横切るった先に見える、日の当たる明るいリビングルーム。
そこには、ザックスでも悠々と横になる事が出来るほどの大きくて、ふかふかとしたベージュのソファや、
クラシックだが、落ち着いた色のダイニングテーブルがチラリと覗いて見えている。
今日からここでこの一般兵と一緒にこの部屋に住むことになる。
ソルジャーとソルジャー補佐官は基本的に同室になるのが決まりだった。
補佐官という立場上、常に傍に居たほうが、ソルジャーの役にも立ちやすいし、友好を深めると言う意味もある。
軍という世界はやはり一番大事なのはコンビネーションというやつだ。
どれだけお互いが有能であっても、歯車がチグハグでは、プラスどころかマイナスに作用する危険がある。
ザックスもその意見に異存はなく、だからこそ同居をする事にしたのだ。
まぁ、それだけではなく、極めて個人的な感情が存在する事も否めはしないのだが。
「…じゃ、中案内するな。」
そう言って足を踏み入れようとして、はたとネームプレートが目に入る。
この一般兵の昇進は、突然の出来事だったからネームプレートに彫られているのはザックスの分だけだ。
それを見て、はたと自分たちはまだちゃんとした自己紹介もしていないことに気がついた。
玄関のノブに手を掛けたまま振り返る。
「そだ。改めて自己紹介しておくな。俺の名前はザックス・リスト。
研修会でも紹介はしたんだけど、一応ソルジャー2ndだ。宜しくな。」
にかっと笑って、握手を求めるために手を差し出してやる。
その瞬間、なんと目の前の一般兵に敬礼のポーズを取られて一瞬絶句。
礼に適ったやり方といえばそうだが、この雰囲気でやることでもない。
「自分の名前はクラウド・ストライフ。陸上一般歩兵師団認識番号53です。
こちらこそ、ご指導のほど宜しくお願いします。ソルジャーザックス。」
カチカチに凝り固まった軍隊式の挨拶。
ザックスは慌てて手を振ってみせた。
「あぁ、そんな畏まったことやめてくれよ。俺そういう畏まった空気とか苦手なんだ。
部屋の中でまでそんな風に呼ばれちゃ気も安まらねぇよ。
俺のことも仕事中以外ではザックスって呼び捨てで構わねぇから。つか寧ろ呼んでくれ。」
このガチガチの雰囲気を変えようと、情けなくも両手を合わせて金髪の少年、クラウドの顔を覗き込むが、顔色一つ変えなかった。
「そういう訳にもいきません。あなたは上司ですから。」
ばっさりと言い捨てられる。
理論的と言えばそうなのだが、いくらなんでも固すぎるのではないだろうか。
まぁ、入社したてのひよっこの事だ。まだ臨機応変と言う言葉を実行できないのも仕方がない事かもしれない。
ザックスはお手上げと言った感じで手を上げた。
「解った解った。暫くはそのまんまで構わねぇよ。
ただ、出来るだけその堅苦しい言葉直すよう努力はしてくれ。それが俺の最初の命令って事で」
「…はい。」
微妙に歯切れ悪い返事のような気がしたが、それでもとりあえずはよしとする。
玄関を潜り、ソルジャー用のマンションには大体ついている補佐官用の部屋の扉を開けた。
昨日までは半物置状態であったその部屋は、昨夜慌てて片付けたため、清潔に整っている。
その分、ただいまザックスの部屋の物置がとんでもない事になっているのだがそれはまた置いておいて。
揃えたのは、机とスタンドとベッドだけだった。後は自分の趣味で勝手に揃えればいいと思ったからだ。
「ここ、お前の部屋な。好き勝手使って貰って構わないから。
あ、荷物は後から運び込まれんの?」
ちらりとクラウドの格好を見たばかりでは、クラウドの持ち物はトートバッグ一個分。
それだけで個人の持ち物が集約されるはずがないと思ったのだが、意外にもクラウドは小さく首を振った。
「いいえ、自分の荷物はこれだけです。」
「…は?」
「教科書、制服、その他細々とした日常品。
ソルジャー補佐官をするのに、その他何か必要でしょうか?必要な物がありましたら買い揃えますが。」
「いや、別にそんだけありゃ構わねぇけど…」
思わず口篭ってしまった。別にそれだけあれば困る事などない。
…けれど。
「…でも、楽しくねぇんじゃねぇか?」
ザックスの言葉にも、軍隊式に背筋を真っ直ぐに伸ばし、顔を真っ直ぐ上げ、無表情で立っていたクラウドは
眉一つ動かさない。
確かに必要最低限生活するには困らないが、家とはゆっくりと身体を休める場所のはず。
そこに、教科書と必要最低限の日用品しかないでは、落ち着くものも落ち着かないではないか。
そう言う意味を込めて問えば、クラウドは相変わらず無表情のままゆっくりと口を開く。
「楽しむ必要ってあるんですか?」
はっと息を呑むような冷たい声音だった。
「自分はソルジャーになりたくてここに来ました。そのためにはどんな努力も惜しまないつもりでいる。ただそれだけの事です。
それに、自分が楽しんでいる時間がない方が、ソルジャーザックスにはいいことだと思います。
その分、補佐官としての仕事に当てる事が出来ますし。」
淡々と述べる声はやはり抑揚がなく、その声が語る言葉には感情の欠片も見当たらなかった。
それに驚きを通り越して呆れてしまうザックスだ。
(何でこんな堅っ苦しいんだこいつ…)
しかも初めから無表情に無感情な声ときた。
女と間違えた時に見せた、強い意志の篭った瞳がまるで嘘のように。
口調は頗る丁寧で、無礼な態度も一つもない。だがそれは過ぎれば慇懃無礼というやつだ。
ここまで馬鹿丁寧に言われれば腹も立ってくる。
段々と募ってくる苛々を胸の奥でやり過ごそうとしながら。
心の中で小さく溜息をついて、「あのな」と切り出した。
左手で前髪を掻き揚げて。
「確かに、ソルジャー補佐官の任務は、
ソルジャーが万全の体制で仕事に赴けるよう事務処理をこなし、
必要あらば遠征にも付き添って戦闘に加わり、常にソルジャーの体調管理、
環境保全に勤める云々なんていう堅っ苦しい説明がマニュアルには書いてあっただろうさ。
でもそれはただの原則だ。俺は例外ってヤツもあっていいと思ってる。」
「…例外?」
軽く眉根を寄せるクラウドに、ザックスは頷く。
「あぁ。ソルジャー補佐官なんて言ってもお前はまだまだ入りたてのひよっこだ。
普通の一般兵と同じだけの授業も演習もしなきゃなんねぇ。
そこにソルジャー補佐官の重い仕事なんかのっけたら簡単に潰れちまう。
だから俺はお前にそんな重い仕事をのっける気はねぇよ。そんなに思い詰めなくていい。」
ひよっこだとか、簡単に潰れるだとか。
自分でも、プライドを逆なでするような事を言っている自覚はあった。
それでも止まらない自分の口を不思議に思う。
自分は、口はうまい方だったし、人を逆撫でしない物言いなどいくらでも思い付く。それにも関わらず、だ。
ザックスの言葉に、クラウドの瞳の色が徐々に変化していくのが解った。
「あぁ、ただ勘違いすんなよ。俺はお前の実力十分評価してる。だけど、俺は今まで補佐官なんてつけずにやれてきた。
ぶっちゃけソルジャー補佐官なんてのはある意味必要のない職業なんだ。ただ」
「解りました。」
言葉の先をぶった切られて押し黙る。
「それでも、最善は尽くします。」
変わらず感情の篭らなかった瞳が、はっきりと意思の力を宿す。
---あぁ、と思った。
自分の感情を漸く理解する。
自分はこの瞳が見たかったのだと。
無表情、無感情、無抑揚。
それよりも、あの媚びる事を知らないようなあの瞬間に出会った、
あの瞳によく似た意思の強さを見たかったのだと、悟った。
「あぁ。ま、適当にお互いやってこうな。」
にっと笑ってやっても、笑顔はやはり返って来なかった。
ただ、軽く頭を下げられただけだ。
「…案内して頂いてありがとうございました。それではこれから荷物の整理に入らせていただきます。」
鼻先で閉められた扉。
それはゆっくりとした動きだったにも関わらず、まるで全てを拒絶されたかのように感じた。
ザックスは小さく溜息を吐いて、リビングルームへ足を運ぶ。
緑色のソファに腰掛けて、ポケットから煙草の箱を取り出した。
銘柄はいつも気にしてはいない。いつも目に付いた物を適当に買うだけだ。
ポケットに無造作に突っ込んでいたためか、くしゃくしゃになっていた箱から一本取り出すと、口に銜えてジッポで火を点けた。
一口吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。あまりうまくはなかった。
暫くそうやって煙草を燻らせながら、考える。
(何で俺、あんなの補佐官にしたんだっけ?)
紫煙を目で追いながら、脳裏に浮かんだのは出会ったあの瞬間。
ソルジャーである自分に対して全く物怖じせず、一歩も引かず睨みつけてきたあの瞳。
面白いヤツだなと思った。興味を惹かれた。あの瞬間はただそれだけだった気がする。
別段深入りをしようだなんて思いもしなかった。
ソルジャー補佐官にしようと思ったのは、あいつが上官に銃をぶっ放したからだ。
どんな理由があれ、上官に銃をぶっ放す事は重罪。
良くて除隊。悪ければ殺されるかもしれない、そう思った。
それではつまらないと思った。
久々に出会った面白い奴をあのままみすみす見逃してしまうのは、酷く惜しい事のような気がした。
そう、正直言えばザックスは退屈していたのだ。
地位も名誉も、金も女も、何もかもこの手にはあったし、
一緒に居て楽しい友人達も居る、馬鹿騒ぎを出来る悪友だっていた。
何不自由ない生活を送っている。何の不満もない生活を送っている。
そう思っていた。
それでも、自分は何処かいつも退屈していた。
そんな自分を持て余していた。
だからだ。
面白そうな奴を近くに置いておけば、自分も楽しいだろうと思った。
刺激のある生活が出来るんじゃないかと思った。
だが、クラウドが運んできたのは、ザックスが望んだ刺激とはまた違った物なような気がする。
(失敗だったかな)
少し、思った。
けれどもうやり直しは効かない。
自分で選んだ。それはもう仕方がない事だ。
元よりくよくよ悩むタイプではない。悩むことは苦手だった。
思考が深くに沈みすぎると、考えなくてもいい事まで考えてしまう事がある。
それよりは、と思う。
目の前の状況に適応するのみだ。
フィルターまで焦げてしまった煙草を灰皿に押し付けて、ソファの背に持たれかかった。
天井のやけにお洒落なランプが、時計の振り子のように小さく揺れていた。
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