鍵を開ける音。扉の開く音。扉の閉まる音。ぱたぱたという軽い足音。
ここまで来れば、もう次に来る音は決まっている。
玄冬は、読みかけの本を閉じ、次に来るべき音と衝撃に備えた。


「くーろとーー!」

少し高めの、可愛らしい声と共に、玄冬の背中にどん、と温かい何かがぶつかった。





1.友達は恋人未満か否か(SideK)



「…おい、いつまでそうしてる気だ?」

「えへへーだって玄冬って温かいんだもん。」

いつまで経っても離れる兆しのない、背中の温かいものに声をかければ、
そんな嬉しそうな声が返って来て、玄冬は溜息を落として現状を諦める。

「…で、買えたのか?」

「うん!ばっちり!!ちゃんと6つ買えたよ!期間限定抹茶寒天!!」

漸く離れた温もりに、けれど何やら複雑な気持ちを持て余しつつ、後ろを振り向く。
花白は満点笑顔で紙袋から寒天を取り出していた。しかも律儀に6つとも。

「また、そんなに買って。」

「大丈夫だよ。残っても全部僕が食べるから。好物はいくらだって入るんだ、僕。」

「その調子で、野菜も食べてくれれば助かるんだが。」

「好物はって言ったでしょ!!」

心の底から野菜を食べたくないという思いが滲み出ている叫び声に、苦笑しつつも立ち上がる。
申し訳程度のキッチンスペースに行き、花白が帰って来るまでにと沸かしておいた湯を香草にかけ、二人分のコップに注いだ。
両手に持って帰ってくると、既に花白は、期間限定抹茶寒天とやらを開封済みのようだった。
目を輝かせて寒天を見詰める花白だったが、玄冬の気配に気付くと、顔を上げ、満面の笑みで迎えてくれる。

「ありがとう。やっぱ、好物には玄冬の入れてくれたお茶だよね。」

そう言って、笑う花白に玄冬はお茶を手渡し、花白の正面の席に腰掛けた。
花白は、受け取ったカップを、手のひらを温めるように両手で包み込んでいる。
そして、小さく湯の表面に息を吹きかけてから、口を付けた。
2,3口啜って、満足そうな笑みを零す。
…この顔が玄冬はとても好きだ。
自分の作った物で、人が喜んでくれるというのが。
そして他の誰でもなく花白が喜んでくれるというのは、とても温かな気持ちになれるのだ。
花白は、その後もゆっくりお茶を味わうと、先程取り出した抹茶寒天のうちの一つを掴んで、自分の前に手繰り寄せた。
「玄冬もどう?」と問われたが、自分は今そういう気分でもないため、首を振る。
花白は「おいしいのにー」と、食べた事もない癖に言って、抹茶を溶かし込んであるであろう、蜜を寒天の上にたっぷりかけた。
お箸で摘んで、口に入れ、味わうように何度も頬を動かして、蕩けそうな顔をする。
寒天ごときで、面白いように表情の変わる花白は何だか可愛い。
何度も何度も口の中に入れては、味わってを繰り返し、寒天の残りが2個程になった所で、花白は顔を上げた。

「玄冬本当にいいの?このままだとなくなっちゃうよ。味見だけでもしてみないー?」

そう言って、首を傾げる花白。そこで、ふと、とある事に気付いた玄冬は苦笑を漏らした。
何故笑われるのか全く持って理解していない花白に、玄冬はゆっくりと手を伸ばす。
不思議そうな顔をしている花白。彼の頬に、親指の腹を当てて、少し強めに拭った。
そこで漸く花白は己の失態に気付いたらしい。玄冬の手が触れていた辺りに慌てて手を伸ばす。

「え、何、僕、なんかついてた?」

「あぁ、抹茶蜜がな。」

「え、嘘、取れた!?」

「あぁ、もう取れた」

そう言って手を引くと、指先がしっかりと抹茶蜜の緑色に染められていた。
べとつく指を持て余し、迷いもなく、口に含んだ。蜜の甘みと、抹茶の風味が口内に広がる。



-------瞬間、何かが落下する音が派手に室内に響いた。




反射的に音源に目をやれば、開いたままの入り口に、口をあんぐりと開け、頬を真っ赤に染めた娘が立っていた。
娘の足元には、転がったバスケットと、そこから漏れ出たシーツ。
そこから、そろそろこの部屋のベッドメイキングの時間だったらしい事に気付く。

「あ、その…」

何処となく気まずそうな雰囲気で、娘は言葉を続けようとしたが、失敗し、語尾が弱弱しく掠れていく。
玄冬が首を傾げると、娘は再度恐る恐る口を開いた。

「その、申し訳ございません。出直して、参ります。」

もし、ぎくしゃくというのは、こう言う事を言うんだよと、説明出来そうなほどに、不自然な動作で部屋を出て行く娘に、玄冬は、はて、と思う。
ベッドメイキング位、自分達が居る間にやってくれた所で、別段構わない。後で出直すなどという手間をかける必要もない。
そう思い、玄冬は立ち上がった。慌てて部屋から出て行った娘の後を追う。

「おい」

廊下を横切り、今正に階段を降りようとしていた娘に呼びかける。
すると、娘の肩が飛び跳ねた。そして、恐る恐ると言った感じで振り返る。

「あのな、ベッドメイキングのことだが…」

「その、申し訳ありません!!」

「……は?」

「…あの、その、お邪魔でしたよね…。
…その、私、そういう事に理解あるんで、その、気にせず続けて下さい。」

「そういうこと…?」

「いえ、そのお二人の甘い時間を、その…」

「…甘い時間?」

ますます意味が解らず、眉を顰めた玄冬を、何か気分を害したと思ったようだ。
娘は更に縮こまった。

「その、お二人、恋人同士、ですよね?なのに、私なんかが乱入して、邪魔して…。」

「………は?」

「その、ごめんなさい。」

「…いや、何故そうなる。俺たちはただの友人だ。」

「あ、その……そ、そうですよね。あの、友人は恋人未満とも言いますし、そういう事もありますよね。
というか、それなら余計お邪魔でしたよね。本当にごめんなさい。」

そう言ってそそくさと従業員の女性は去って行った。
従業員の姿が消えた後も、玄冬の耳には同じフレーズが延々と頭の中を回っていた。
『恋人同士』
そんな風に見えたのだろうか。自分達が?何故?
『友情は恋人未満』
ならば、友情と恋愛は本質的には同じで、その未満は変化することもあるということか?
そして、自分達の関係は傍から見れば、もう既に未満ではないのか?
…いや待て、思考の飛躍のし過ぎだ。
何だか頭が酷く混乱している。
思考の渦に掻き回されながら、玄冬は、部屋に戻った。
花白は、玄冬の苦悩など知らぬげに、おやつの続きをしている。

「…………花白。」

「んんー?」

どうやら口の中にまだ寒天があるらしい花白は発音が不鮮明。
だが、イントネーションから察するに、「なにー?」だろう。

「友達とは時に恋人未満という定義になるのか?」

「…んん!?」

予想だにしない質問だったのだろう。花白は大きく目を見開いた。
ついでに、何処かおかしな方向に寒天が滑り込んだらしい。大きく噎せこんでいる。

「…な、何!?どうしたの!?急に!?」

「いいから。」

初めはうろたえていたものの、常にない気迫に気圧されたらしい花白は、訝しがりながらも口を開く。

「……まぁ、時と場合によりけりじゃないかな。」

「…じゃぁ、友人と恋人の境界は何だ?」

続く質問攻撃。しかもあんまりな内容に、花白は思わずあんぐりと口を開けたが、
引くつもりのない玄冬に気付いたのだろう。諦めたように溜息を落とす。

「それも人それぞれだとは思うけど…そうだなぁ…」

お箸の端を銜え、花白は視線を泳がせて、考えるような素振りを見せる。
そして、徐に、箸を下ろすと、「コレ」と、自分の唇を指差した。

「…コレ?」

「と、ソレ」

「と、ソレ…?」

伸ばされた人差し指の先は自分を指指してはいるものの、何処を指しているのかイマイチ解らず、首を傾げる。
しかしながら、解らないなりに、指していると思われる場所に自分の指を持っていくと、花白は深く頷いた。

「を、くっつける事じゃないかな?」

ちなみに玄冬が指したのは唇だ。

「…それはつまり、」

「うん。俗に言う、ちゅーかなって。」

…ちゅー。
その単語を頭の中で数回リピートする。
俗に言う、ちゅー。通称キス。接吻。口付け。

「まぁ、悪魔で僕的定義だけど。それも人によりけりだとは思うし…」

「そうか。」

「…?うん。」

「そうか、ならよかった。俺は勘違いされるようなことは何もない。」

「……って何、自己完結してるのさ。僕には全然話が見えてないんだけど。
僕にもわかるように説明してくれない?」

「いや、気にするほどのことじゃない。ただの勘違いだ。」

「いや、勘違いって何が。」

「気にするな。俺の中の問題は解決した。」

「だからそれが自己完結だって…ホントにどうしちゃったのさ、玄冬。」

怪訝そうに眉を顰める花白にも、玄冬は全く気付かず、
ただ自分自身に言い聞かせるように、問題は解決したんだともう一度呟いた。