2.(されても構わなかったのに)(SideH)




そもそもこの町に立ち寄ったのは、一年に一度開かれる祭りに立ち寄るためだった。
一泊して、翌日の祭りに備え、旅の疲れを取った花白達は、意気揚々と祭りに繰り出した。
目にも鮮やかな飾りつけ。心も浮き立つような音楽。延々と立ち並ぶ露天。演芸を繰り広げる役者達。
見るもの全てが珍しく、新鮮で、花白の心は浮き足立ってしまった。

旅の恥は掻き捨てとばかりにはしゃいで、走り回って、歓声を上げて、呆れる玄冬を連れまわす。
生まれて初めて食べたりんご飴の中に、本当にりんごが入っていることには驚いた。
まるで本物の雲みたいな、わたあめとやらの甘さは、不思議だったけれど、満喫した。
焼きたての櫛焼肉を買う予定が、間違えてネギ間を買ってネギの処理に困って結局は無理矢理食べさせられた。
お好み焼きとかいうメニューに興味を持った玄冬が、延々とレシピを聞き出していた。
企画のくじ引きゲームで、玄冬が無駄に特賞なんかを当てて、景品の巨大なクマのぬいぐるみを手に途方にくれている様に大笑い。
楽しかった。本当に、本当に楽しかった。
こんなに楽しい事があっていいんだろうかという位に楽しくて、まるで夢のような時間だった。


…そして今はと言えば。

「あははははーー!!玄冬ってば本当にクマそっくりだねーーー!!
そうやって並ぶとますますそっくりだよーー!!あははは!!見分けが付かないーーー!!!」

花白は、やたらと高揚する気分に任せて笑いたくっていた。
不機嫌そうに眉を顰める玄冬の顔さえもが何だか面白くて、笑いが止まらない。
…早い話が壮絶に酔っ払っていた。

「…おい、花白。お前飲み過ぎだ。」

「何いってんのー!?僕が酔うわけないじゃなーい!!あはははは!!玄冬ってばおかしい!!」

「おかしいのはお前だ。」

呆れ混じりに、冷静に突っ込まれたけれど、それさえも何だかおかしい。
笑いの止まらない花白に、玄冬は盛大な溜息をついた。

「…帰るぞ。」

「えーーーー!!?何でーーー!?もうちょっと居ようよーー!!」

「そんな状態で居てもはた迷惑なだけだ。」

「そんなことないってー!!玄冬の意地悪ー!!…って、わぁ!?」

「っおい!?」

勢いのままに声を上げていた花白は、不意に眩暈を覚えてよろめいた。
転倒しそうな所を支えられて、玄冬の胸に完全に凭れかかる形になる。

「…危ないな。こんな所で倒れたら、踏まれるだけじゃ済まないぞ。」

険しい声で言われたが、思いやりあっての発言だったから、全く怖くない。寧ろむず痒いような嬉しい気持ちになった。
温かくて広い胸の中で、思い切り空気を吸い込む。玄冬の匂いがした。

「…くーろとーー」

「…何だ」

「いいにおーい…」

「…あのな」

「…何だか、こうしてると安心するんだ…本当に玄冬が僕の側にいるんだって思って…」

「……」

「僕、幸せだなぁー…こんなに幸せでいいのかなぁー…」

それは心の底からの気持ちだった。ずっと、思ってきたこと。
けれど、玄冬を前に、口に出すのは憚られて、中々口に出せなかったこと。
それが酒の力を借りて口を吐いて出てきたのだ。
自分はこんなにも幸せになる権利はないと思う。自分が今までしてきた事を思えば特に。

「玄冬が僕の側に居てくれて、相手してくれて、こんなお祭りまで一緒に回ってくれて、そんでこんなに楽しくて。
本当、僕には勿体無い…それはわかってるんだ。」

「…花白…」

「けど…」

けれど、この幸せを手放す勇気だってない。
…本当に身勝手なことに。

「ねぇ、玄冬。僕、本当に玄冬が好きだよ。…本当に。だから、これからもずっと、一緒に、このままで…」

「居てね」と言おうとした所で、ふと意識が途切れた。
玄冬が、名前を何度も呼んだ事も、軽く頬を抓られたことも全く知らないから、
本当に自分は酔っていたのだろう。




**



気付けば自分はホテルの寝台の上に居て、ブーツも、マントも取り払われ、しっかり肩まで布団が掛けられた状態で横になっていた。
未だ酔い覚めやらぬといった感じで、しかもそれに寝起きの意識の曖昧さが加わるものだから、まともな思考力は殆どない。
だから、無意識にその名を呼んでいた。

「…くろと」

「…花白?」

小さな呟きに、まさか返事が返ってくるなど思わなくて、何故か悪戯を見つかった子供のような気分に駆られて、急いで目を閉じた。
玄冬が近付いてくる気配がする。心拍数があがった。

「……起きてるのか?」

ベッドサイドの上の方から降って来る声。すぐ側に立っているらしい。
別にこれに返事をすればいいだけの話だ。そうすれば、自然と会話が流れていく。
だが、一度誤魔化した以上、何だか今起きた風に装うのも決まり悪い。
それに、何だか起きるタイミングを激しく逃してしまった気がする。
だから、息を詰めて、質問をやり過ごした。

「…寝言か…。」

彼の解釈にほっと胸を撫で下ろす。
後はこのまま気付かず去ってくれるのを待つのみだ。
…だが。

「………」

いつまで経っても、去る気配がない。
…もしや、と思う。
もしや、狸寝入りがバレているのだろうか、と。
だからこそ、花白が少しでも不審な行動をしようとすれば揚げ足を取ってやろうと待ち構えているのだろうか。
ならば負けまいと、妙な所で意地を張った花白は、極力寝息と変わらない呼吸のリズムを作っていた。
それでも、やはり、動く気配はなくて、段々と笑い出しそうになってきた所で、ふと、気配を感じた。

(…え?)

そっと顔に掛かっている髪を梳かれる感触。
一瞬驚いたが、心地よさに任せて力を抜く。だが、それは直ぐに離れてしまった。
余りに心地よかったため、もう一度やってと、言おうとした瞬間、再び何かが近付いてくる気配がした。
今度は指ではない。その証拠に、自分の頬に、何かさらりとした物が当たる感触があった。
柔らかくて、ほんの少し温かなそれは。

(…髪?)

目を閉じているからはっきりとした確証はない。けれど。
ふと、唇に暖かな吐息が触れて、それは確信に変わった。

(玄冬の顔…が、ある……?)

それってつまり。
漠然と次の瞬間を予測する。けれど。
唇に触れたのは結局吐息のみで、それ以上のことは何もなかった。
慌てたように、身体を離す気配がする。
そして、次の瞬間、急いで部屋から走り去る音。
扉が閉まって、玄冬が部屋から出て行った所で、花白はうっすらと瞳を開けた。
ぼんやりとした頭で、腕を布団の中から引き出し、薬指で唇に触れた。
花白は激しく酔っている。しかも寝起きで意識も曖昧だ。翌日にこの記憶が残る事はないかもしれないけれど。
でも、その瞬間は、はっきりと思った。



(…されてもかまわなかったのに。)