3.どうにかなってしまいそうだ(SideK) あれから、花白が気になって仕方がない。 あれから、というのは、ベッドメイキングの娘さんに自分達の関係を誤解された時のこと。 そして、気になって、というのも正確に言えば、花白の唇が、だ。 一体どうした事なのだろう。 全く持って今までなかった現象に、玄冬は激しく戸惑っていた。 会話をしていても、何か食べているのを見ていても、ついつい視線はそこに行ってしまう。 見慣れた唇だ。救世主とは言え、人間と同じ外見をしている。唇なんてそうそう変わるものか。 だが何故か、花白のそこだけが何か特別な物のように浮いて見えるのだ。 それもこれも、花白のあの講釈のせいだと思う。 『コレ、とソレ、をくっつけることじゃない?』 花白はそう言った。 確かに、花白はスキンシップは過剰なものの、唇でどうこうされたことはない。 つまりは、花白は花白なりのボーダーラインで持って、自分を友達という枠に入れているという訳だ。 全く持って当たり前。至極当然の事実だ。 では。 と、そこで玄冬はそう思ってしまったのだ。 では、もし花白の言う、『コレ、とソレ、をくっつけること』をしたら、自分達の関係は果たして変わるのだろうか、と。 別段今の関係に不満がある訳ではない。けれど、まだ、先があるのかと。まだ、変化する事はあるのかと。 …それだけ自分達の関係は不安定なのかと。 そう思ってしまったら、気になってしょうがなくなってしまったのだ。 そんな不思議な現象に悩まされ、悶々としていた玄冬だったから、祭りの夜は本当に助かった。 そんな事を考える余裕など全く持ってなかったのだ。 浮かれた花白は走り回るし、声を上げるし、…自分は迷子になりそうになるし。 櫛刺し肉の間に挟まった葱を、花白に食べさせるのには大変苦心したし、 おいしい料理の作り方のレシピを仕入れなければならなかったし。 本当にもう色々と大変だった。けれど、それと同じくらいに楽しかった。 花白は終始笑っていたし、それを見るのは嬉しかったし、釣られて自分もたくさん笑った。 自分が『玄冬』だった頃も、花白は笑っていたけれど、不意に垣間見せる表情が不自然な程に大人びていて、 普段とのギャップが酷く痛々しかった。 人を殺させてしまった自分。殺せとしか言えなかった自分。他者の記憶を失わせるほどに思い詰めさせてしまった自分。 その何もかもが嫌だったけれど、今目の前にいる花白は、花が綻ぶように、鈴が転がるように、無邪気な笑顔を見せてくれる。 それがとても嬉しい。 ただ、少しばかり今日は羽目を外しすぎたようで。 調子に乗って、酒をかっくらった花白は、普段は吐露しない心の内を曝け出して、 そのまま糸が切れたように、こてんと寝てしまった。 酒の力を借りてした告白はとても痛々しく、けれど同時に少し嬉しくもあった。 酒の力を借りてでも、内面を話すことが出来たのだから。 今までが今までだったから、大きな進歩とも言えるだろう。 そのうち、酒が入らずとも、話せる日がくればな、と思う。 そんな事を考えつつ、明日二日酔いに苛まれるであろうと花白のために薬を用意していると。 「…くろと」 不意に、その考えていた人物の声が聞こえて、反射的に振り向いた。 「…花白?」 呼びかけてみるが返事がない。 気分でも悪いのだろうかと思い、薬の準備もそこそこに、ベッドサイドに歩み寄る。 「……起きてるのか?」 やはり返事はない。では先程のは。 「…寝言か…。」 寝言に自分の名前が出て来るというのも何だか不思議だが、悪い気はしなかった。 大人しく寝息をたてている花白は、年相応に幼くて、何だか微笑ましくなる。 だが、不意に、視線が最近の注目の場所になりつつあるところに吸い寄せられた。 「………」 ヤバイ。と思った。見慣れたパーツの中で、それがどうにも気になって仕方がない。 手を、伸ばす。唇に触れようとしている自分に気付いて、慌てて軌道を方向修正。 顔に掛かっている桜色の髪を、優しく梳いた。 途端、顕になる花白の顔立ち。 幾度も見ている顔で、本当に今更なのだけれど。その時になって、始めて気がついた。 (…こいつ、実は綺麗な顔してるよな…) そういう事の事情に疎い玄冬でも、花白が綺麗な顔だというのは解る。 そして、花白は未だ16歳。これから更に顔立ちも変わってくる。身長だって伸びるだろう。 そうしたら、女の子達だって放っておきはしないはずだ。 箱庭システムに捕らわれていた昔ならいざしらず、今の花白は自由だ。 自由に動き回る事が出来るし、自由に恋愛だってしていいだろう。 今は未だいい。幼い花白には、保護者のような存在が必要だ。 自分をそのように見ているのだって解る。 …では、その後は? トラウマが払拭され、人を愛せるようになり、自分の生き方というものを考えた時。 果たして花白は自分の側に居るのだろうか? 『コレ、とソレ、をくっつけること』の出来る、ある種特別な存在の元に行ってしまう。 …それが当然の流れではないだろうか? 心臓が嫌なリズムで持って、鳴り響く。 身体を覆うこの感覚。これは。 気付けば、玄冬は、ベッドに腰掛け、そっと身を屈めていた。 桜色に彩られた、綺麗な顔立ちが、視界に広がる。 そして、淡く色づいた唇が目に入った。そこに自分の唇を重ねようとした瞬間。 …………僅かに、瞼が動いた気がした。 「…っっ!!!」 慌てて身を起す。立ち上がって、花白を見下ろすが、瞳は開く事はなく、変わらぬリズムで呼吸を刻んでいる。 それでも。 玄冬は思わず部屋から駆け出していた。起さないようにという気は使いながら扉を開け、外に出る。 そのまま、ずるずると扉の前にしゃがみ込んだ。 口元に手を当てる。耳元で、自分の心臓の音が聞こえる気がした。頬がやけどしそうに熱い。 (俺は、何をしようとした。) 自分に自分で問いかける。自分のしようとしたことを解ってはいたが、信じられない思いだった。 「ああもう…どうにかなりそうだ…」 思わず呟いた言葉は、誰の耳に入る事もなく、夜の空気に拡散して消えて行った。 |