「飲め。温まる。」

そう言って差し出されたのは、柔らかな湯気をたてたスープだった。
とろ味のある、黄色のスープだったから、原材料は何なのだろうとスプーンを持つ手を躊躇していると、

「カボチャのスープだ。」

と、説明が補足された。

「……へぇ…」

城でも様々なスープは出されてきたが、カボチャのスープというのは初めて聞く。
だが、カボチャというのは野菜の中でも、数少ない好きな食材だったから、
甘い匂いに誘われるように、恐る恐るながらも、口に運んだ。
舌の上に甘味が広がる。


「…おいしい。」

思わず、素直に感じたままを口にしていた。
高級食材という訳でも、凝った飾り付けをしていた訳でもない。
それでも、その素朴な味と舌触りはどこか、ほっとして、頭の芯を痺れさせたような気がする。
それに、凍えそうだった身体にもじんわりと暖かさが広がって、心地よい。
礼を言おうと、花白は顔を上げた。
…瞬間。
目を見張ってしまった。

「…そうか。」

そう言って、『玄冬』がふわり、と笑ったから。
今までの無表情ぶりがまるで嘘のように、穏やかに、柔らかに。
見た事も無い優しい表情で。

(こんなふうに…)

そう、まさかあの『玄冬』がこんな顔で笑うなんて思いもがけない事だったから。





2.思いがけない暖かさに





「近くに俺の家があるから、来い」


そんな警戒心も欠片も無いお誘いに乗ったのは、単純に興味があったからだ。
世界の破壊者たる彼が。自分とは対極の運命を持って生まれた彼が。
どんな暮らしをしているのか。どんな家に住んでいるのか。
そして、やはりというか何と言うか、玄冬の家は、彼に初めに抱いた印象と同じで、
思ったより全然普通の佇まいで、全然普通の内装だった。
ただ、大の男が住んでいる割には、調味料や、食器、香草などが小奇麗に陳列されており、ここの住人の趣味が垣間見えた気がした。
その予想を裏付けるかのように、玄冬は家に着くなり、暖炉に火をくべ、鍋に火をかけ、スープを差し出してくれた。
これだけ、背が高くて、強面で、かつ『玄冬』である彼が作った物だと思うと何となく笑いを誘ったが、
一口飲んだ瞬間思わず声が漏れてしまうほどにおいしかった。それが余りに意外で。
そして、その後ふわりと微笑んだ彼がもっと意外で。
笑顔を、向けられ何だか照れ臭い気分になっておいる自分は更に意外だった。
照れ臭さを隠すように、視線を逸らし、スープの方に視線を向ける。

「…君、料理なんてするんだね。」

「あぁ、割とな。」

「…ふーん。」

「おかしいか?」

「え、いや、そういう訳じゃないけど。何だか不思議だなって思って。」

「…不思議とおかしいは違うのか?」

至極真面目な声で問うので、花白は思わず笑ってしまった。

「あはは。気にしないで。」

やはり面白い人間だと思った。

「…お前は?」

「うん?」

「しないのか、料理。」

思いもがけない事を聞かれて、思わず目を丸くした。
自分が料理を作る。そんな事考えもしなかった発想だ。
物を食べることは好きなのに、何故その発想に至らなかったかを考えて、苦笑した。
至極簡単な事だ。自分は…

「…僕は、家の人がやってくれるから。」

「手伝いはしないと駄目だぞ。」

「子ども扱いしないでくれる。僕は僕で他に忙しいんだよ。」

慣れない子供扱いに、むっとはしたものの、別段気分は悪くない。
彼は自分を救世主として扱っていないから、そう言うのだ。

「…でも、そうだね。機会があれば、やってみたい。」

きっとそんな機会は与えては貰えないだろうけれど。

「そうか。偉いな。あいつとは大違いだ。」

「…あいつ?」

「あぁ、俺の育ての親のことだ。」

そこで傍と我に帰った。
自然に会話を楽しむ流れになっていたが、本業の方も忘れる訳にはいかないのだ。

「…君は、その育ての親と二人暮らしなの?」

「あぁ。」

それを聞いてピンときた。それが、『黒の鳥』だ。

「どんな人?」

笑顔で問うと、玄冬は一瞬眉根をよせて黙り込んだ。
考えるような素振りを見せてから、ゆっくり口を開く。

「…そうだな、一言で言うと、変人だ。」

「変人?」

予想外の答えに素っ頓狂な声を上げると、玄冬は神妙な顔で頷いた。

「それ以外の表現法が俺には見つからない。」

「変人…ねぇ。」

育ての息子にそう言われるとは一体どういう人物なのか。
何にせよ曲者である事は間違いなさそうだ。白の鳥とついになる黒の鳥なのだから。
話をしながらも、動いていた手で、スープの最後の一口を口元に運ぶ。やはり食べきるのは勿体無い気がした。
そんな未練がましい花白の様子に気付いたのだろうか。ふと、玄冬が皿を覗き込んだ。

「…まだあるんだが、おかわりはいるか?」

「あ、うん。欲しいけど、そんなに貰ってもいいの?」

反射的に顔を上げてしまう己の疚しさ。

「あぁ。構わん。今日は“祭”だし、たくさん作ったからな。」

“祭”

その言葉を玄冬の口から聞くのはどうにも不思議な感じがする。
何故なら、今日は『救世主』の生まれた日を祝う祭りだからだ。
話によれば、このスープは、この地方の名物で、何か特別な行事の時にしか作らないらしい。
つまりは彼は、自分を殺すために生まれた『救世主』の生誕を祝う特別な料理を作ったのだ。
何だか非常に、不思議な話だ。
そこで、ふと、ある考えが浮かぶ。

(もしかして…)

そう、もしかして、この玄冬は、自分が『玄冬』である事を知らないのではないか。
だって、それならば全てに納得がいくのだ。
相手が、全くこちらを警戒していないのも。こんなに自分と話しているのも。こんな風に料理を振舞ってくれるのも。
ただ「名前が玄冬なだけで、あの玄冬ではなく、本当に厄除けのためなのだ」と黒の鳥に教えられている。
…ありえない話ではない。
ありえない話ではないが、哀れな話だ。
自分の運命も知らず、救世主を助け、料理を振舞っている。
そうとは知らずに。
複雑な気分に駆られて、花白は首を僅かに振った。

「どうした?…いらないのか?」

「ううん。そうじゃない。」

(…何、深く考えてるんだ…)

相手は、あの、『玄冬』なのだ。
だから、救世主の生誕を祝うなどという理解の範疇を超えた奇行をしたとしても不思議ではないではないか。
うやむやな気分を振り払うかのように、空になったカップを差し出した。
瞬間。
玄冬の瞳が細められる。
考えていたことが考えていた事なだけに、過剰に反応してしまい、素早く見上げると。

「…お前、手、怪我しているな。」

「……へ?」

かけられたのは予想外の発言。
反射的に手の平に目をやる。確かに皮膚の表面を擦り剥いていた。
だがそれも非常に軽い物で、自分でも今の今まで気付かなかった。

「先程転んだ時か。待っていろ、直ぐに救急箱を持ってくる。」

自棄に早い展開に、呆気に取られているうち、玄冬が奥の部屋に入って行こうとするのを慌てて呼び止める。

「え、いや、いいよ。別に大した怪我じゃないから。」

この位の擦り傷は、剣の修行の時やら、力を使った反動やらで慣れている。
手当てするまでも無い。だが、玄冬は、呆れたような顔をした。

「何馬鹿な事を言っているんだ。怪我に大したも大してないもないだろう。」

言うが早いか、奥の部屋に入っていく。後に残された花白は、呆気に取られてしまう。
心配性にも程があるというものだ。こんな怪我手当てするまでもないと経験上解っている。


「いや、本当に大丈夫だって」

救急箱を手に帰ってきた玄冬に花白は言い募ったが、「念のためだ。」と譲らない様子に、渋々手を差し出した。
何故こんなにも、甘やかすのか。『玄冬』の考えている事は本当に解らない。
こんな怪我で手当てをして貰う事など、幼い頃以来で何だか妙に照れ臭い。
差し出された手を、玄冬は神妙な顔で見ると、向かいの席に座った。
そして。

「…………あれ?」

手当をするために、腕を掴まれた瞬間。花白は思わず声を上げていた。
玄冬が驚いたように手を離す。

「悪い。痛かったか。」

「ううん…全然。ちょっと…びっくり、しちゃって。」

「……びっくり?」

玄冬は、怪訝そうな顔をする。
それもそうだろう。ちゃんと、今から手当てをするといい置いてから手当てを始めたのだ。
驚かれるされる理由など全く持って何も無い。だが、それでも花白にとっては、驚くべき事があった。

「…君の手、温かいんだね。」

花白の言葉に、色々と思い悩んでいたであろう玄冬が、拍子抜けしたような顔をする。

「…あぁ、俺は平熱は高いらしいからな。」

そう言って、傷の手当てに戻った。

『平熱が高い』

全く持って説得力のある玄冬の言葉だったのに、花白は酷く違和感を感じた。
確かに、世の中には平熱が高い人間も低い人間も居る。
けれど、それでも、『玄冬』の手の思いがけない暖かさに花白は戸惑っていた。
ずっと。
そう、白梟に話をされた時から、『玄冬』とは、心も、身体も氷のように冷たい物だと思っていた。
遥か昔聞かされた童話の中に出て来る雪男みたいに。
なのに。目の前のこの『玄冬』は。


「…お前、何故あんな所に居た?」

「…へ?」

突然問われ、色々と考え込んでいた花白は不意を付かれた気分になる。

「え、いや、別に…何となく…気分転換みたいな。」

「下手をしたら遭難するかもしれないこの雪の中をか?」

「え、あ、うん。」

結果、しどろもどろになってしまった解答に、玄冬は小さく溜息を落とした。

「もっと自分を大事にしろ。」

「………」

「……花白?」

「…あ、うん。」

名を呼ばれたことで、漸く返事を返す。

「…どうした?」

「ううん。何でもない。」

何でもない、そう、もう一度口の中で呟いた。
ただ、余りにも意外だっただけだ。
自分を大事にしろ、などと。
そんな、暖かくて、優しい言葉。


丁寧に傷口を消毒液で浸した布で拭われ、怪我によく効くのだという薬草を傷口に固定するため、包帯が巻かれた腕は、
何だか仰々しくて、見ていて笑えて来る程だった。
手当てが終わり、せっせと救急道具を片付けている玄冬を見ていると、何だか不思議な気分になってくる。
何故、彼は見ず知らずの他人である自分に対してここまでしてくれるのだろう。
自分を救世主だとは気付いていないにしろ、目の前に居る相手は『玄冬』なのだ。
さっさと本性を見せればいいのに。
それとも、何か考えがあるとでもいうのだろうか?
卑屈な気分に駆られて、花白は思わず口を開く。



「何で、君は……」

花白の言葉に、玄冬が顔を上げる。
真っ直ぐに見てくるその瞳はとても穏やかで、暖かい。

『そんなに優しいの?』

問おうとしていた、言葉が続かなくなった。
唐突に、気付いたからだ。
何故、そんなにも優しいのか。
その理由は問うまでもない。






(そうか…)




      ・・・・
この人、こういう人なんだ。

自分を無償で助け、料理を振る舞い、過剰なまでの心配性をしてくれる。
そんな人なのだ。
気付いた瞬間眩暈がするような気分に駆られた。
『玄冬』なのに、本当に面白い人物だ。


不思議そうな顔で、言葉を待っている玄冬に、何でもない、と微笑んだ。
余りにも不自然な展開なのに、彼はそれ以上何も追及はしてこず、ただ「そうか」と笑った。
この人は本当に優しい人なのだ。
今頃気付いた自分に思わず笑ってしまう。
足元に陽光が差し込んでくるのを感じて、ふと、窓の外に目をやった。
変わらず雪は音も無く舞い降りていたが、雲間からは青空が覗いている。
春の兆しを感じる光が、柔らかに窓から降り注いでいた。春は近いようだ。
その瞬間、思わず微笑んでいた。
よかった、と心の底から思った。


まだ、時間がある。