興味があったんだ。 自分と正反対の物を持って生まれた君に。 そんな言い訳を用意して、本当は。 3.ただ、君と居たいと 二度目に、玄冬の家を訪れた時、初めて玄冬の部屋に入れて貰った。 ただ、どうやら何かを作りかけだったらしく、「少しだけいいか?」と言われて頷けば鋸やら、鑢やらを使って大工作業をし出した。 木材を削る音が耳に心地よいな、と思っている間に、その無骨な指が器用に動いて、 あっという間に魔法みたいに可愛らしい鳥の巣箱が出来、感嘆の息を吐く。 どうやって作るのか教えを請い、実際やってみたものの、中々玄冬のようにはうまく出来なかった。 玄冬は特に口数が多いわけでもないし、表情が豊かなわけでもない。 それでも、彼が纏っている雰囲気や、流れる空気がとても心地良くて、このまま帰りたくないな、とぼんやり思った。 だから、その時の言葉は本当に自然に口を吐いて出てきたものだった。 「………玄冬、あのさ」 「………なんだ」 「…また、来てもいい?」 「…………………」 思いも掛けない言葉だったのだろう。玄冬は作業の手を止め、驚いたように顔を上げた。 余りの驚きぶりに、何だか居た堪れない気持ちになって、目を逸らす。 「………嫌なら、いいんだけど」 そう言いながらも、何処か否定して欲しい気持ちがあった。 だが、自分は助けて貰って、お礼に来たくせに、ちゃっかりお茶とお菓子を頂いて、 迷惑極まりない存在だという事は解りきっていたから否定されてもしょうがないとは思っていたけれど。 「…………………」 「…………………」 「………何故だ?」 「………え?」 「こんな所、来たってつまらんだろう」 「………そんなことないよ」 「………そうか?」 「だって、ごはん、美味しいし………」 「…………………」 「………それに………その、………玄冬?」 言い篭って、何とはなしに玄冬の顔を見て、異変に気付いた。 玄冬は、何処か感情の読めない顔をしたまま、僅かに顔を逸らしたまま、決して視線を合わせてくれないのだ。 それにはこちらが焦り、色々言い募ったが、何とも微妙な反応しか貰えず、最終的に言い出したのは。 「居間に来い。茶でも入れよう。」 「え、玄冬?ねぇ、ちょっと………ねぇっ」 話の筋も脈絡もあったものではない展開に戸惑い、玄冬を追う。 追いかけ、居間に足を踏み入れようとした瞬間、突然立ち止まった玄冬の背中に思い切りぶつかってしまった。鼻が少し痛かった。 「なに、どうし…」 たの?と聞こうとした言葉はそのまま途切れた。 というのも、玄冬の背中から奥を覗き込んだ瞬間、凄まじい惨状を目の当たりにしたからだ。 来た時には、綺麗に磨き上げられ、光沢を放っていたダイニングテーブル。それが、もう今となってはもう見る影もない。 まず目に付くのは、これでもかとばかりに広げられた絵の具で、しかもそれぞれが蓋を閉めていないためにテーブルに漏れ出し、 木目を本来ならばありえない色に染め上げている。 横には申し訳程度に水で濡らされた布巾が置いてあるものの、 それすらももう元の色が解らない有様なので、何の役にも立っておらず、 寧ろそれもテーブルを汚すのに一役買っていた。 「…おい」 玄冬の低い声が響き、思わず花白の方が緊張してしまう。 だが、勿論その殺気の矛先は自分などではなく。 「おい、黒鷹。」 大きなキャンバスの前で、パレットと筆持ち、シルクハットにネクタイなどいうふざけた格好をしつつ、 神妙な顔をしている人物に向けられているのだった。 キャンパスの前の男、黒鷹は、玄冬の声に気付いたのか、顔を上げ、瞳を輝かせた。 「おお!玄冬!!ちょうど良かった。たった今私の最高傑作が誕生したのだよ。君にも見せたいと思っていた所だったんだ。」 黒鷹は、片手に持っていたパレットを一旦机の上に置くと、こちら側に背を向けていた大きなキャンパスを上機嫌でひっくり返した。 「見てくれたまえ!!これぞ私の最高傑作。『肉食の、肉食による、肉食のための漫画肉』、だ!!」 大袈裟に、芝居がかった口調で述べられた絵画の名前は未だかつて聞いた中で、最悪の部類に属するもので、 その中身に置いても同様だった。思わず引き攣ってしまう花白とは対照的に、玄冬は慣れてでもいるのか、 呆れたように溜息をついた。 「お前、この惨状はなんだ。絵は自分の部屋で描けと言っているだろうが。」 綺麗にスルーする様はいっそ見事で、思わず拍手を送りたくなる。 「おおぅ!!スルーかい!?玄冬!!パパは悲しいぞ!?」 「…もういい。掃除道具を持ってくるから、それまでに少なくとも絵の具だけは片付けておけよ。」 華麗なる対応に、再度心の中で拍手を送る。 だが、そこで、はた、と我に帰った。 「え、ちょっ!?玄冬!?」 こんな奴と二人きりになどさせないで欲しい。 そう叫ぼうとした時にはもう、扉は鼻先で閉められていて、出て行くタイミングを完全に逸してしまう。 花白は渋々ながら。 もう本当に渋々ながらも、同じ空気も吸いたくない位生理的に受け付けない男の座っている席の隣。 …から一番遠い席に腰を降ろした。 かと言って、会話をする気は更々無く、だんまりを決め込んでいると、不意に微かな笑い声が聞えた。 顔を上げると、黒鷹は筆を止め、口元に手を当てたままくつくつと笑っていた。 理由も解らず笑われては気分が言い訳がない。 「…何だよ。」 「別に。お前もよくやるものだなと思っただけだよ。」 やはり意味が解らず、睨みつけてやると、黒鷹は軽く肩を竦めた。 「おぉ怖い。そんなに睨まないでくれないか。私は君と違って硝子のようにデリケートな心の持ち主なんだからね。」 「何処が。」 「おや?違ったかな?少なくとも君よりは何倍もデリケートだとは思うがね。 ねぇ、敵地に堂々と乗り込んでくる救世主殿?」 「…っ!」 一番初めに会った時から、自分が救世主である事を見破られているとは思っていたものの、 口に出されて言われたのはこれが初めてで、思わず身構えた。 それでも、黒の鳥は口元に余裕の笑みを浮かべて、悠然と腰掛けている。 「視察のつもりかな?まったく。私生活の無断の覗き見は痴漢行為だよ?」 からかうような声音だが、目が笑っていない。黄金色の瞳が鋭く光っている。 「…常日頃から、木の上から私生活を覗き見しているような奴には言われたくはないな。」 負けじと睨み返して言ってやるが、黒鷹の表情は動かなかった。 「基本的に私は客人は歓迎する。だが、救世主となると話は別だ。」 黒鷹の目が、すっと細まった。 「お前はそうやって玄冬を油断させておいてから、ばっさり殺す気なのかね。 救世主だというのにやることは全く持ってえげつないことだ。」 ----油断サセテオイテカラ、バッサリ殺ス? 玄冬はいつだって自分に無防備だ。 背中を向けることを躊躇わない彼の背後に忍び寄って、剣を振り上げ---- 「っ違うっ!!!」 反射的に、声を上げていた。 「へぇ?」 相変わらず余裕気な態度に。何処が違うのだとでも言う視線に、花白は苛立った。 「違うっ!!僕は、ただ…!」 ふわり、と笑った顔を思い出していた。 心配性ゆえの丁寧な手当てを。 心に染み入るような手の温かさを思い出していた。 「………ただ?」 先を促すように問われて、花白は思わず口を噤んだ。 喉元に滞っていた言葉が急速に萎んでいく。 (ただ…?) 己の感情のその先。そんな物がある事に自分で驚く。 そして、その内容に更に驚いていた。 (ただ…) 「……今日は、そんなつもりで来た訳じゃない。ただ、お礼を言いにきただけだ。」 「……」 話を逸らされた事に気付かないほど愚鈍な男ではない事は解っている。 決まりが悪くなって、初めて視線を逸らした。 「…それに、安心させて殺すもなにも、また来ていい?って聞いたら、すごく嫌そうに『…いい』って言われて 居間にお茶に誘われたばかりだからさ。」 「…へぇ?あの子が。」 黒鷹が驚いたような声を出す。優しい玄冬にとって、嫌そうに『いい』という事はやはり珍しい事なのだろうか。 そう思うと少し自虐的な気分になる。 「安心した?僕は救世主だと知られていなくても、やっぱり好かれてないみたいだよ。」 恐らく、浮かべる笑みも歪んだ物だっただろうと思う。笑うなりなんなりすればいいと思った。 だが。 「いや、君は色々と誤解しているようだね。」 「…え?」 予想外の発言に顔を上げると、黒鷹は口元を笑みの形にしていた。 「いいことを教えてあげるよ。あの子はあの通り強面で、あまり感情を表情に出さない時がある。 だが、根が素直でいい子だから、どうしても行動に出てしまうんだよ。」 「…どういう意味だよ」 「いいかい?玄冬が居間にお茶を誘うのは、何かに照れている時だけなんだよ。」 「え…?」 「あの子は無表情だけど、解りやすい子でね。そんな風に照れ隠しをするんだ。可愛い子だろう?」 「………」 では、先程のあの嫌そうな顔も、脈絡も無いない展開も、全て照れ隠しだとでも言うのだろうか。 その辺りを詳しく聞こうと口を開いたものの、直ぐに閉じる事になった。 その瞬間、玄関の扉を開けて玄冬が入ってきたからだ。 慌てて口を噤んだ自分を、玄冬は不思議そうに見たが、次の瞬間眉を吊り上げた。 「黒鷹。お前少しは片付けておけと言っただろう。」 やはり、声の調子は低かったが、こんな事さえももう慣れているのかもしれない。 それ以上は追求せず、呆れたように溜息を吐いて、端からせっせと片付け出していた。 「あ、僕も手伝うよ。」 言いながら、立ち上がり、そこらじゅうに散らばっている蓋を閉めていく。 「客人に手伝わせてすまんな。次来る時は、こんな事ないようにする。」 そう言って謝ってくる玄冬の言葉を聞いて、花白は反射的に顔を上げた。 無意識に出たのであろう単語。 『次』 それが無性に嬉しくて、頬が緩んだ。 「全然!お茶とかも頂いてるし、この位手伝うよ!!」 「おーおーちびっこなのに偉いぞー。」 黒鷹は、自分の顔色が自然と明るくなるのを目敏く見つけたらしく、嫌らしく笑っている。癪に障った。 どうしたら、これ程人の神経を逆立てる才能を取得できるのだろうと思う。 「………というかお前も手伝え。お前が元凶なんだから。」 呆れたように玄冬に言われたのを見て、心底ザマァミロと思った。 その位、黒鷹は癪に障る男だった。 …だが。 流石に逃げ切れなくなったのか、殊勝な顔で、絵の具を片付け出した黒鷹をちらりと見やる。 本当に。もう本当にが何回つけば気が済むのだろうという位ムカつく奴だけど、少しだけ感謝する思いがあった。 『玄冬が居間にお茶を誘うのは、何かに照れている時だけなんだよ。』 思い出してそっと口元を笑ませる。 『違うっ!!僕は、ただ…!』 (君と居たいと) そう思っただけなのだと。 それを口にする事はまだ出来ていなかった。 そんな頃のお話。 |