扉を開ける瞬間、ほんのわずかに期待する。
リビングルームは朝の白い光に満ちている。思わず目を細めた。
自分の目線よりも高い母が忙しそうにしている様子が目に入る。
自分が扉を開けたことにも気付いていないようだ。
「おはよう」
自分から朝の挨拶をする。そこでやっと母は自分の存在に気付いたようだ。
ゆっくりとこちらに顔を向けた。
「おはよう、クラウド」
いつもと何ら変わりない言葉、口調。
それに内心がっかりしながら後ろ手に扉を閉めた。
わかっていたことだけど。
「あ、」
母が何か思いだしたように声を上げる。
心臓が期待に飛び跳ねた。
「ごめんね、クラウド。今日も遅いから残りのシチュー暖めて食べておいて。
先に寝てていいからね。」
母は申し訳なさそうに微笑んだ。
そう、仕方がないことだ。
「…うん、わかった。」
それ以上の事など言えるはずもない。
目の前の視界が白く染まる。
天井から放たれる蛍光灯の光と、無機質な時計の音。
あまり見慣れない景色をぼんやりと見渡して、自分が何処に居るのかを考える。
たくさんの監視カメラと、絡まりあった配線達。
(そうだ、ここは警備室だ。)
寝起きのぼんやりとした思考回路でやっとそれに思い当たった。
近頃の授業はハードだった。それに加え、今日の授業はといえば、学科が4時間目まであって、その後実技が3時間。
続けて夜勤とくれば、体力も限界に近づきもするはず。うつらうつらとしていたらしい。
こんな事が上に知られたら減俸物だと苦笑した。
眠気覚ましにと大きく首を振って再度辺りを見渡して、先程まで見ていた景色との違いを更にはっきり認識する。
「…夢、か。」
ぽつりと呟いた。
広くはない室内にその声は拡散していく。
つまらないことに気を取られていた幼少時代、その夢。
何故突然そんな事を思い出したのかと考えて、ふと目をやった時計にその理由には示されていた。
8月11日 00:00
今日は自分の誕生日なのだ。
そういえば長年その日を意識してこなかった気がする。
過ぎ去った後にふと気付いて、驚くという事が大体で、その日にに気付くなんてことはほとんどなかった。
クラウドの家は、母一人、子一人の母子家庭だった。
幼い頃に父親を病気で亡くし、それからというもの母は自分を養うためにそれこそ本当に身を粉にして働いた。
古い慣習が罷り通っているような田舎町で、しかも母はよそ者だったから村人もクラウド達に好意的とは言い難く、
母は必要以上の苦労を強いられていたのだろう。
母はいつも疲れていた。
そしてそれは幼心にも解っていた。だから、目まぐるしい程の忙しさのために、
誕生日を忘れられても言い出すようなことはしなかった。
誕生日という行事は多大な労力を要する行事であることは知っていたし、その負担を母にかけたくなかったからだ。
幼かった頃は、誕生日を忘れられる度に刺すような胸の痛みを覚えたものだが、
今となってはくだらないことに拘っていたものだと冷静に思う。
後日誕生日が過ぎた事に気付いた母親に誕生日プレゼントを貰えることは多かったわけだし、
誕生日なんて言っても本当に自分が生まれた瞬間とは全く違うのだし、
ただ同じ日付と言うだけで祝うなど特に意味のないことのように感じる。
人はお祝いと称して騒ぐのが好きだからわざわざ誕生日なんて物をつくるのだろうと冷静に分析する自分がいる。
(ザックスがその代表だよな)
ふと思いついた考えに苦笑する。
ザックスはイベント好きな男だった。七夕やクリスマスに始まり、そんなもの普通の奴は覚えていないというイベントまで完全に網羅している。
(あぁ、だからか…)
ここでやっと朝のザックスの不振ぶりに思い当たった。
それは今朝の出来事
窓から差し込む朝日と、鳥の声にようやく瞳を開く。
ぼんやりと天上を眺めた。朝の光と同じ白色の壁紙が目に入る。
ちらりと時計に目をやれば、デジタル時計が示すのは8時00分。
そろそろ起きて支度しなくてはならない。伸びをしてからゆっくりと身を起こす。
いつものように青い制服に袖を通せば、鏡の前には見慣れた新羅兵が出来上がる。
ノックの音が聞こえた。
「おーい、クラウド起きてるか?飯できたぞ〜」
やたら元気な男の声。低血圧のクラウドにとってみればこの異様に明るい声は少々いらだちを煽られる類の物だが、
慣れというものは恐ろしい。
今では全く気にならない。
「ん、起きてるよ。」
そう言いながら扉を開ければ途端に香るベーコンの香ばしい匂い。
「はよ、クラウド。」
朝から何故ここまで元気なのかという程爽やかな笑顔。
それと同じテンションが保てるはずもなく、クラウドは小さくおはようと返した。
「出来たてだぞ〜。」
そう言われて向かったテーブル上のメニューは、スクランブルエッグ、付け合わせとしてカリカリに焼いたベーコン、
他にサラダとトーストという定番メニュー。
けれど、これだけの品数はクラウドが一人で暮らしていた時には決してテーブルに並び得ない数だった。
クラウドは先にも述べたとおり極度の低血圧で、
朝はいつもできうる限り動かなくて済む物(固形栄養食や、流動栄養食など。)を食べていたのだ。
それで食欲が沸くはずもなく、朝食は栄養を身体に補給するためのものと割り切っていたのだが、
この男と暮らすようになってそれが変化した。
この男と暮らすようになった経緯は複雑だが、朝食らしい朝食が食べられるようになりそれなりに満足している。
「あ、そういやさ俺明日から遠征なんだ。」
クラウドが黙々とそれらを食べていると不意にそんな言葉がかけられた。
ちらりとザックスの方を向けば調度トーストにブルーベリージャムを塗りつけ終わったところだった。
「…ふーん、頑張れよ。」
それ以外に言うことも思いつかなくてそれだけ言うと、
ザックスからスプーンを受け取って自分もブルーベリージャムを塗るためにスプーンをビンに挿しいれる。
「ふーんってそれだけかよ。なんかもっと言うことないわけ?」
「だって前から聞いてたし。他に何言えばいいんだよ。」
不満そうに口を尖らせるザックスをあまり気にする事なくジャムをトーストの表面に伸ばす。紫色に染まった表面が光を反射している。
「ザックス行かないで〜!俺寂しい!…とか。」
妙に演技がかった口調。しかもご丁寧に泣真似までしている。
それが自分の真似のつもりらしいのが複雑な心境だ。
「楽しい?」
思い切り冷めた口調で聞いてやればザックスはうっと言葉に詰まる。
「…まぁまぁ、かな。」
「じゃ、一生やってれば。」
愛想の欠落した返答にか、ザックスは大きく溜息をついた。続いて恨めしそうな目でこちらを見やる。
「でもさ、その位言ってくれてもいいと思うぞ。」
「嫌だよ気持ち悪い。大体お前が遠征なんて珍しいことじゃないだろ。今回割りと簡単な任務って聞いてるし。」
「まぁそりゃそうだけどよ。」
正論を言ったのにザックスは妙に不満げだ。さくっとトーストを齧る音が聞こえる。
いつもここまでしつこく絡んでくることはないというのに、今日に限って一体どうしたというのだ。
「てか、俺明日お前起こすの無理だから。」
話題を変えようと、ふと思い出した伝達事項を口にする。
「は!?何で?」
ザックスが心底驚いたという顔をする。
それを冷めた目で見ながら食べ終わった食器を重ねた。
いつもやたらと早起きなこの男が、遠征前の朝は必ず朝寝坊をする。
それは図太い神経の持ち主であるこの男の繊細な部分の現われなのだろうが。
「今日俺夜勤だからさ、明日の9時まで帰ってこない。」
「マジかよー!!」
ザックスの情けない声を背後に聞きながら、クラウドは重ねた食器を流しに運んだ。
あの時の妙なしつこさはそういう訳だったというわけだ。
納得して、思わず苦笑する。
誕生日などという行事は気付いていてもその日までは言わないという鉄則。
それが存在するのは知っていたが、律儀に守った人間には初めて出会った。
あいつの事だから何か企画していたに違いないのに、悪いことをしたなとわずかな罪悪感を覚えた、瞬間。
パァン
銃声に酷似した音が響き渡る。
クラウドは思わず立ち上がった。
音は隣の部屋から聞こえたはず。
そう思って隣の部屋のモニターを見ると、いつの間にやら画面に色とりどりの紙が舞い落ちている風景が映し出されている。
それらが何なのか検討もつかなかったが、一つだけはっきりしていることがある。クラウドはごくりと唾を飲み込んだ。
(侵入者か…)
新羅のセキュリティシステムは他に類を見ないほどに厳重だ。
それらの存在にも関わらずここまで侵入してきたとなると一般兵の手に負えるような者ではないのかもしれない。
だが、警備に当たっている以上、向かわなければならない。
ゆっくりと、物音を立てぬように部屋に近づき、問題の部屋の前に立つ。
わずかながら物音が聞こえる。深呼吸をして、拳銃に手を伸ばした途端
「ハッピィバースデイ!!クラウド!!」
やたらとテンションの高い声と共に扉が勢いよく開いた。
反射的に身を引いたクラウドは、身を引きすぎてバランスを崩し、尻餅をつく。
「…ってあれ?クラウド?」
無様に尻餅なぞをつく原因となった男は辺りを見回している。
そう、その男の名は言うまでもない。ザックス=リストその人だった。
「あ、あ、あんた、こんなトコで何してんだ!!」
やたらと脈打つ心臓がうるさいながらもそう叫べば、ザックスはようやくクラウドの位置に気付いたようで、きょとんとした顔をする。
「お前、んなトコで何してんの?」
「お、お前が驚かせるからだろ!!?」
「ま、いいや。それより早く来いよ。準備満タン。」
聞いているのかいないのか。そう飄々とした口調で言って引きずり込まれたのは、
本来小会議室だった所。
本来とつけたのはその会議室の机上にあまりにも相応しくない物品が置いてあるためだ。
思わず言葉に詰まった。
置いてあるのはケーキとシャンパン。
そのケーキがまた恥かしい位の典型的なバースディケーキだった。
生クリームたっぷりのショートケーキ。その上にはチョコレートの板が乗っていて、
そこには白い文字で「HAPPY BIRTHDAY CLOUD」と書いてある。
まるで小学校低学年のお誕生日会に使われるようなデコレーション。
その前でクラウドが席につくのををにこにこと待っているザックス。
「あんた、こんなトコまで何持ち込んでんだよ…」
「いーの、いーの座って座って。」
クラウドの抗議も気にせず、ザックスは楽しそうに空いた座席を指差す。
あんた一体いくつなんだとか、紛らわしいことするなだとか言いたいことは山ほどあったはずなのに何も言葉にしなかった。いや、ならなかった。
不思議と嫌だとは思わなかったから。
気恥ずかしいながらも向かいの席に座る。
ザックスの優しい笑顔が赤い炎の向こう側に見えた。
何だか照れくさくて少し俯いた。途端聞こえ出す歌声。
そう、あの曲だ。誕生日には定番のあの曲。
何年ぶりに聞いたのか、それさえわからないその曲を聴いてるうちに頬が熱くなっていくのを感じた。
もう幼い子供じゃあるまいし、こんな曲二度と聴くことなどないと思っていたのに。あまりうまくはないその歌も終盤に差し掛かる。
ザックスと目が合った。何かを期待するような目。
そう、知識としては知っている。この曲が終わると同時に蝋燭を吹き消すのだ。
赤、青、黄色、緑、ピンクの蝋燭が2本ずつ柔らかい光を放っている。
この年になってまで、それを吹き消すなど気恥ずかしい事だったがザックスの期待した顔を見たらしないわけにもいかなくて…。
少し頬を膨らませて、15本の蝋燭の火を吹き消した。
ザックスが大袈裟に拍手をして、歓声を上げる。
なんだか恥ずかしくて照れくさくてたまらなくて。
「…こんな夜中にこんなトコで迷惑だろうが。」
とポツリと可愛くない言葉を漏らす。
「えー、いいじゃんいいじゃん。だって今日は誕生日なんだし。」
けれどザックスはこんなことを言って全く気にしてない風だった。
それに安堵している自分に気付き苦笑する。「あ、そだ。」
突然ザックスは声を上げる。何だと顔を顰めると、ザックスはにっと笑って机の下から紙袋を取り出した。
「プレゼント」
「え…」
そんな物まで用意してくれているとは夢にも思わなくて思わず言葉に詰まる。
「ほら。」
促されて弾かれたように手を伸ばす。
紙袋の中は白いリボンのかかった黒い箱。
袋から取り出し、箱のリボンをゆっくりと解く。
中に入っていたのはシルバーのペンダントだった。
ごつすぎる訳でもなく、何の服にでも合いそうな。
「………」
「お前女みてぇってので悩んでただろ?これすりゃなんかキマると思うんだよな。
…ってあんま気にいんねぇ?」
プレゼントを手にしたままどうやら放心していたらしい。
ザックスが心配そうにこちらを覗きこんでいる。そこでやっと我に帰った。
「あ、ごめん、なんか、こういうのやったこと…ないから。」
こういうの、というのは今までの一連の流れ全部だ。
扉を開けたら、お祝いの用意がしてあって、恥ずかしいほどの歌を歌われて、
プレゼントまで貰って。なんだか先程から経験のない事ばかりだ。
それらが積み重なって、呆然としてしまった。
何だか胸の辺りが妙に暖かくて。
「ん〜、したことなさそうなタイプのアクセサリーって勇気いるもんな。
すまんな俺の趣味で選んで。」
ザックスは決まり悪そうにぽりぽりと頭を掻いていて、勘違いに気付いたクラウドは慌てて首を振る。
「違う、違うんだ。これホントありがとう。そうじゃなくて俺がぼーっとしてたのは、あの…」
普段は絶対素直に口に出さないような事。けれどそれが今は必要な気がした。
「嬉しかった…から。」
ザックスは一瞬驚いていたがすぐに優しい笑みを浮かべた。
「そか。」
「さ、ケーキ食うか。」
そう言いながら、包丁でケーキを切り分けようとするザックスをクラウドは慌てて止めた。
「明日検診だろ?今食べちゃいけないんじゃないのか?」
明日から遠征だから、その前にソルジャーの検診はあるはず。
検診の日の前日は糖分高めの物は控えるのが鉄則というもの。ザックスは眉間に皺を寄せた。
「あ〜!そっか確かに!!」
ザックスはそう言うと、一旦手を止め、残念そうにクラウドの分だけを切り分けて皿に載せた。
ザックスはその皿をクラウドに渡すと、一瞬考え込む素振りをみせた。
かと思うともう一度ケーキに切込みを入れる。
「やっぱ食うわ。」
「え、いいのか?」
「ん〜なんて〜か、こういうのって今日じゃなきゃいけない気がしねぇ?」
誕生日なんて言っても本当に自分が生まれた瞬間とは全く違うのだし、日付に拘る必要などあまりない。そう冷静に分析はしたけれど。
けれどそれはただの理論で。
二人でケーキを食べながら、こんなにおいしい物は生まれて初めて食べると感じた。
幼かったあの日、冷めたシチューを一人で温めて、一人で食べた。
それがどれだけ不味かったか思い知らされる。
今になって思う。
前日に言われたって嬉しくない。後に言われたって嬉しくなんてない。
その日だから効果があって、その日だからこそ嬉しいのだ。
ザックスの明日の検査結果はきっと惨憺たる物なのだろう。
けれどザックスはおいしいと笑って食べている。
だからそれでいいような気がした。
ただ、幸せだった。
Fin