気が付けば空はなかった。

 

神無き者の祈り 

 

 

微かに聞こえる雑音が雨音なのか銃声なのかわからなくなってきた頃、ようやく兵が自分の横から去る気配がした。

「くたばったか?」

「あぁ、こんだけ打ち込めばさすがに死ぬだろ」

まるで道端の石ころであるかのように、ザックスは無造作に蹴られた。

(ざけんな…こんなとこで死ぬわけにはいかねぇんだ。)

ザックスは、心の中でそう呟いて腕に力を込めたが全く動かない。

「こいつはどうします?」

散々弾を撃ち込んだ男の声。

(こいつ…?)

男の言うこいつがクラウドのことを指しているのだと気付いて、ザックスは渾身の力を振り絞って再度腕に力を入れたが、
ただ空しく指先が地面を剔るだけだった。

(やめろ…そいつには手を出すな!お願いだからクラウド、逃げろ!お前だけは!)

血も涙もない新羅兵にそれを望むのは間違っているし、重度の魔光中毒者にそれを望むことも間違っている。
それは百も承知での最後の願いだった。

「あ…あぁぁぁ…」

クラウドの声が聞こえた。魔光中毒者特有の意味のない言葉の羅列。

(頼む!!そいつだけは助けてくれ!)

祈る神は持たなかったが、それでも祈った。

「これはもう駄目だな、放っておいても支障はないだろう。直に死ぬ。」

直に死ぬ、何度言われたか解らず、その度にザックスを絶望に追いやったその言葉が今のザックスには救いだった。
生きてさえいてくれれば希望はあるのだから。
死ぬと判断されること、それはこの場においては見逃される可能性を示唆している。

 

 



兵たちが立ち去る気配がする。

どうやらクラウドは放っておかれたようだ。

安堵感が広がり、続いて急激な疲労感が身体を襲った。

このまま眠ってしまいたい衝動に駆られる。

(呑気に眠ってる場合じゃないよな…)

やらなければならない事は山ほどある。そう、山ほどあるのだ。

クラウドの怪我を確認して…それから…

…それから…?

―――後は何ができるんだ…?

何も思いつかない自分に愕然とした。

「ザッ…ク…ス!!」

我に返って見ると、先程まで灰色一色であった視界に金色と青色が映った。

愛して止まない者の姿。

元は空色だった瞳は、魔光の色に染まってはいるが、宿す光は変わらない。

変わらず愛おしいクラウドという人格を宿した光。

そこから透明な滴が流れ出ている。

「ザック…ス…ザッ!!」

(…お前…俺のこと解るのか…?)

今の今まで意味を成す言葉をクラウドは全く発することはなかった。

まるで本能以外を司る機能が全て停止してしまったかのように時折呻き声を上げるだけだったクラウド。
そのクラウドが今間違いなく自分の名を呼んでいる。

嬉しくて、思わず手を伸ばそうとして、全く動かせない自分に気付く。

「クラ…っ…」

言葉は続かなかった。代わりに鮮血が咽の奥から溢れた。

その瞬間体中に焼け付くような痛みが走る。

だがその感覚もどこか霞がかって感じる。痛覚を感じなくなってきていることに初めて気付いた。
痛覚を無くすのは死の寸前だと昔授業で習った事がある。
真面目に受けていたわけではなかった授業を今思い出すのが少し不思議だ。
―――ああ、俺、死ぬのか…―――

驚くほどすんなりとその事実がわかった。

今まで全くそのことを思いつかなかったのが不思議な程に。

あの兵士が撃ち込んだ弾の数を冷静に考えれば当たり前のこと。
これでもかと言うほど銃弾を撃ち込まれ、文字通り蜂の巣になっているであろう自分を想像すると妙におかしかった。

今痛覚を含めた神経そのものが機能していないのがわかる。

ふと気付けばザックスの腕は、クラウドに縋るように握りしめられていた。

ほとんど感覚はなかったが、涙で濡れていることだけはわかる。

(泣かせたくなんかねぇのにな…)

いつも笑っていて欲しい、そう誰よりも望んでいる自分がこの涙を誘発していると思うと切なかった。

 

 

初めは全く笑わない奴だった。

ただガラス玉のように無機質で、それでいてどんな宝石よりも美しい瞳には何の感情も映し出されてはいなかった。
だがそれでも次第に感情を覗かせるようになって、それが嬉しくてつい構いたくてしょうがなくなっていた。
嫌そうな顔もされたが、それさえ自らの存在を認識している証のように思われた。

――――好きだった―――

本当にどうしようもない位に好きだった。

そして今でも世界中の何よりも世界中の誰よりも大切だった。

「嫌…だっ!ザックス!あんたが死ぬなんて…俺!」

大きな瞳を涙で一杯にして、それでも収まりきらない滴がザックスの頬に落ちる。

もうほとんど感覚はないはずなのにそれだけは解った。

いつも見てきた自分だからクラウドの考えていることが手に取るようにわかる。

きっと自分を責めている。自分が壊れてしまうくらいに自分を責めている。

冷たいように見えて実はとても優しくて純粋なこの青年は、自分を責めるのがとても得意だから。
あぁ、止めてやらなきゃ。
そう思いながら思い通りにならない指を必死で動かして涙を拭った。
それでも後から後から溢れ出てくる。それらを拭いながら、何か言わなくてはと思った。

ほとんど白濁した意識の中でそう思った。

こいつの涙を止めてやらなくちゃ。こいつの優しい勘違いをどうにかしてやらなくちゃ。

俺がこうなったのはお前のせいなんかじゃないと。だから気にする必要はないのだと。そう伝えなければ。

そう思って言葉を選んでいたはずなのに。

そう、思っていたはずなのに。

口が勝手に動く。

「…好きだよ。」

クラウドが意識を取り戻したら真っ先に言おうと決めていた言葉。

クラウドが驚いたように目を見開いたのがわかった。

澄み渡った空の色。何処までも広がる天上の青。

愛しくて。今ここに存在してくれていることが嬉しすぎて。

こんな事言っても仕方がないと思うのに。

死にゆく者からの言葉など重いばかりだろうとわかっているのに。

それでもどうしても言わずにはいられなくて。

「お前が…好きだよ。」

口元を笑みの形にしようと思ったが、わずかに頬の筋肉が引きつるのを感じただけだった。

「ザックス…っ!!」

クラウドは涙で一杯の顔を更に悲しみで歪めて名を呼んだ。

(あぁ、俺阿呆だな…)

涙を止めてやりたかったのに更に泣かせるなんて最低だと思った。

そしてそんな最低な自分のために泣いてくれるこいつが堪らなく愛しかった。

どうかこの言葉に込もった意味を気付いてくれますように。

好きだから、俺が勝手にやったんだと。

俺が死ぬのはお前のせいなんかじゃないと。

だからお前は気にせず幸せになって欲しい、と。

 

 

――――本当はこの手で幸せにしてやりたかったけれど。

何でも屋を立ち上げて、一緒に笑って一緒に泣いてそして時には喧嘩もする

当たり前で幸せな生活をしたかったけれど。

そう、一緒に生きていきたかったけれど。

 

様々な思い出がものすごい勢いで頭をよぎった。

初めて出会ったときの不機嫌そうな顔。

突然の大抜擢に驚いていた顔。

ささいなことに照れた顔。

気持ちに応えてくれた時の困ったような顔。

そして滅多に見せてくれなかったあの笑顔。

 

―――笑ってしまう。

23年間生きてきて様々な事があって、様々な人に会ったはずなのに

今この瞬間に思い出すのはクラウドのことばかりだ。

大好きだった瞳も、髪も、もう何も見えない。

 

宗教なんか信じた事はない。祈りの言葉などしらない。

けれどそれでも去りゆく自分にできることはただ一つだけ。

(どうかこいつが誰よりも幸せになれますように)

 

 

 

  

 

 

 

 

 

『なぁクラウド

俺さぁ、宗教なんか信じたことねぇんだ

でもお前に会えた事だけは神に感謝したいって思ったことあんだよ

――…そん位、お前に惚れてる』

 

 

 

 

FIN