Act13 記憶の欠片
 
 
二人が遠くなるのを見届けたのち、クラウドは小さく溜息を吐いた。
漸く戻ってきた平穏な静寂に、朝からの騒音のせいの疲れが、どっと出たように感じられる。
アランは迷惑という意味では3人前位の事を平気でこなすという事を今思い知る。
ザードの方もうんざりしているのではないかと思い、目をやった瞬間。
 
思わず、静止した。
 
ザードは今まで見た事もないような鋭い瞳をしていた。
いや、見た事がないと言ったら嘘になるだろうか。それは随分昔にはよく見ていた表情。
嫉妬に身を焦がしている男の表情?そんな生易しい物ではない。寧ろ色恋沙汰とは遠い感情がその瞳には宿っていた。
何処か張り詰めたその雰囲気は、まるで戦場で敵と対峙した者の顔。
そう、ソルジャーの顔だ。
 
「…ザー…ド?」
 
怪訝に思って呼びかけると、ザードははっと気付いたようにこちらに瞳を向けた。
かと思えば、すぐにいつもの人懐っこい笑みを向ける。
「どうした?」
まるで別人のように変わる雰囲気。
余りの急激な変化に面食らい、咄嗟に黙り込むと、ザードは軽く首を傾げてみせる。
(…何だ?)
まるで取り繕うかのようなこの態度。
怪訝に思いながらザードの緑色の瞳を見詰めると、ついと視線を逸らされた。
「…っとに騒がしい奴だよなぁ。同行していいなんて言わなきゃ良かったぜ。」
そう言ってザードは笑う。笑っているのに、何処かが笑っていない気がした。
やはりフェリスとアランが一緒に居るのが気に食わないのだろうか?
自分の居ない所で友好を深め、手を出されるのを恐れている、と?
それにしては、異様な雰囲気を纏っている気がしたが、それしか理由が思い当たらない。
「…やっぱり俺が行こうか?」
少し躊躇った後、尋ねる。
「俺、何でも屋だし。あいつよりは信用あるだろ?」
そう付け加えた。自分なら絶対にフェリスに手を出すなんて真似はしない。
客の恋人に手など出せるはずがない、それを伝えるためだ。
ザードは、クラウドの言葉を聞いて、目を丸くした。思いもかけない事を聞いたというように。
そして、すぐに吹き出す。
「はは、別に俺はあいつにフェリス奪われるなんて思ってねぇよ。それよりは盗賊の方が心配だ。」
でも、ま、、心強いボディガードが大丈夫だと言ってんだから大丈夫なんだろーけどな。」
笑いながらそう言われて、はっと気付いた。
「そうだ、本当にいいのか?」
暗にあんなのでという意味を込めて言ったが、ザードは気にする風もない。
料理の準備をするために、袋に手を突っ込みだした。
「ま、大丈夫だろ。きっとあいつはあれで頼りになるよ。」
「…本気か?」
呑気に袋から玉葱を取り出し、目の高さまで上げて根が出ていないかをチェックしているザードを見て思わず問いかける。
はっきり言って正気の沙汰とは思えなかった。あのアランの何処をどう見れば、そんな台詞が吐けるのか。
そんな思いが顔に出ていたのだろう。玉葱を持ちながらザードは小さく笑った。
「おいおいあいつも一応男だぜ?それに、あいつ敵わない奴なら逃げを取る位の頭ならありそうだろ。
それさえありゃ何とかなる。」
それだけ言うと、ザードは更に袋に手を突っ込んで材料を探し始める。
本気で心配はしていなさそうなザードに、何だか不思議な気分になってくる。
「…あんだけ口喧嘩してた癖に、やけに信頼してるな。」
大体にして、先程だってあんなに揉めていたというのに。
今一良く解らない信頼に、そう言ってやれば、ザードは顔を上げた。
「まーな。俺の人を見る目は確かだと思ってるし。それに…」
「…それに?」
「あいつはお前が思ってるより子供じゃないみたいだぜ?」
「はぁ!?何処が!?」
思わず声を上げるクラウドにザードはお前ホントあいつ信用してないなと笑った。
尚も詰め寄るクラウドに、ザードは苦笑し、目を伏せた。
「……解るんだよ。何となくあいつは俺に似てる気がするし。」
「…は?」
その台詞こそ、余計に意味が解らない。
驚きの声には返事を返すつもりはないらしく、ザードは材料探しに再度没頭し始める。
クラウドはそんなザードを見ながら、暫し考え、そして思い当たる。というかそれしか思いつかない。
「………むきになってくだらない喧嘩に乗る馬鹿な所、とか?」
クラウドの言葉に、ザードは勢い良く顔を上げる。
「違えーよ!つかお前俺の事そんな風に思ってたのかよ。」
「じゃ、何処がだよ?」
言うと、ザードはちらりと視線をこちらに向けた。緑色の綺麗な瞳と目が合う。
一瞬だけその瞳を過ぎった感情が何なのかを判別する間もなく
ザードはにっと笑った。
「ま、イロイロ?」
だなんて悪戯っぽく言う様子に腹が立つ。
「…あんた、気持ち悪い。」
憮然として言うと、まぁまぁ、と宥めるような声を出してからクラウドに玉葱を差し出してきた。
「とにかくそれより、さっさと飯作っちまおうぜ。デザートが来たのにまだ主役ができてないとあっちゃ、目玉食らうぞ。
俺、火熾してるから、お前玉葱と人参切っといて。」
目の前ににゅっと玉葱を突き出される。
確かにザードの言う事も最もだったので、渋々ながらも玉葱を受け取った。
ついでにと手渡されたアーミーナイフと、まな板代わりの板も受け取って、何だか少し嬉しくなった。
ザードはザックスだった時、自分に中々料理をさせようとしなかったのに、
記憶を失くしている今、こんなにも簡単に材料を渡してくれる。
自分の事を忘れている証拠だったが、それでもあの顔にやられると、何だか楽しかった。
だがそこで、はた、と思う。
 
(………カレーに玉葱なんていれるっけ…?)
 
自分の思い浮かぶカレー像を想像した際に、玉葱はカレーのルーに浮かんではいない。
って事はカレーに玉葱なんか入れないのではなかろうか?
そう思って、ザードの方を窺うが、ザードは間違えたと訂正する様子もなく、火の作成に勤しんでいる。
「………」
もう一度目の前に置かれた玉葱に視線を戻した。
(こいつの好みなのかもしれないな…)
なんて思う。
まぁ、料理なんて人の好みがはっきりと分かれるものだから、
ルーに玉葱が浮かんでいるカレーをご所望する人間もいらっしゃるのだろう。
そう軽く考えて、アーミーナイフを手に持った。
まな板OKナイフOK玉葱OK。オールOK。
暫し逡巡。
(どうやって切ればいいんだ…?)
それが目下の問題だ。
自分の記憶の中に玉葱が入っているルーの記憶がない分、どう切るべきかが全く解らない。
ちらともう一度ザードの方を窺うが、何やら忙しそうな様子。
(…ま、いっか。)
いつもは割りと神経質な気質のくせに、料理に当たってはかなりの大雑把ぶりをみせるクラウドは
そう考えて、玉葱を真っ二つに切った。
端も切ることなく、ただ真っ二つ。
続いて、切った面と垂直になるようにもう一度一刀両断。
つまりまな板の上には、4つの玉葱の大きな欠片があることになる。
(よし。)
終了。
次の玉葱に手を伸ばした。
ざく、ざく。
所要時間4秒。
更に次の玉葱に。
ざく、ざく。
3つ切り終わった所でほっと一息。
続いて人参に取り掛かる。
(さてこいつは…)
10秒悩んで、クラウドは人参を普通に切った。
そう、全くもって普通に。切ると丸い面が顕になるやり方で。
皮も剥かずにダン、ダン、ダン、ダン。
終了。
もう一個。
皮も剥かずにダン、ダン、ダン、ダン。
クラウドは切ってから気付いた。
そういえば、こんな形の人参普通入ってないような気がする、と。
暫しどうするか迷って、結論。
(食えりゃいいだろ)
それが料理のモットーだと思ってるクラウドだったから。
「できたぞ。」
とザードを呼びかける。大した時間も経っていないのに呼びかけられたザードはびっくりした顔をして振り返った。
振り返って、視線を下げ、そのまま硬直する。
「……お前、そのまま入れる気か?」
ザードの視線を辿って行くと、その先には人参、に見える。クラウドは自分の頬が熱くなるのが自分でも解った。
「…じょ、冗談。これから切るんだよ。」
言うが早いかアーミーナイフを手に取り、人参の上で小刻みに動かす。
「おま…ちょっと!!」
「…っ…」
腕を掴まれたが手遅れだった。まな板の上にはみじん切りに等しいくらい細かい人参、血液ソースが。
「………」
「あーあ、お前、大丈夫か?」
カレーの具としては役立たずになった、みじん切り人参には目をやらず、ザードは掴んだ腕を覗き込む。
人差し指の先が切れて、赤い筋が伝っていた。何だか無性に恥ずかしくなって、
「別に、大した事ない。」
と言って、手を引くとザードは小さく苦笑した。
その顔にもう情けないやら、悔しいやらの気分でどうにもならなくなって。俯くと、ザードにぽんと頭の上に手を置かれた。
「手伝ってくれてありがとな。後俺やるからお前ちょっと止血してろ。」
そう言って料理と言う蚊帳の外に放り出された。
結局どうなっても役割の変更はないらしい。
何だか悔しくて、この旅が終わったら料理の勉強をしようなどと決意するクラウドだった。
 
 
 
手馴れた手つきと、手際良い動作。よく動くその背中を見ながら何だか不思議な気分になる。
全く持ってよく見た光景。
ザックスは男の癖に昔から料理が自棄にうまかった。
何処かの店で食べたパスタを、1週間後位にそっくりそのまま作ってみせたり、
クラウドが作り上げたとんでもない味のスープを何とか食べれるようにしてみたり。
などなど数え上げたらキリがない英雄伝があり、
こいつもしかしてソルジャーなんかよりコックになった方がいいんじゃ、と思った事もある。
…そんな所は変わらない。本当に全く変わらないのに。
何で自分の事だけ。自分に話した事のある事だけ覚えていないのだろう。
少し、悔しい気がした。無意識に背中を睨みつけてみる。
その瞬間ザードが振り返った。
「お前甘口辛口どっちがいい?………ってどした?」
「何でもない。甘口。」
素っ気無い言葉に首を傾げながらも、ザードは、了解、と鍋の方を向いた。
そのままザードは料理を再開し出す。暫く野菜を放り込んだり、調味料を入れたりと色々していたが、
完成が間近になったらしく、手持ち無沙汰な様子で、鍋をかき回し始めた。
辺りにカレー特有の匂いが広がり、己の空腹を自覚した。自分もアランの事ばかり言っていられないようだ。
不意に、背を向けていたザードが小さく笑った。
 
「にしても、お前、カレーまで甘口なのなー。」
ほんの少し呆れたような、でも楽しそうな口調。年下扱いをしているようなその物言いに、憮然とする。
「…までって何だよ?」
確かに自分は甘い物が好きだが、「まで」と言われる程、甘い物を食べた所を見せ付けた覚えはない。
ただ一度カレーの甘口を要求しただけで、全て一緒くたにしないで欲しいと暗に抗議をすると、ザードはまた笑った。
「だって、お前甘い物好きだろーが。一時期とかホットチョコレート常飲用にしてただろ?よくやるよなぁって思ってた。」
 
 
 
 
 
『げ、お前またホットチョコレートなんて飲んでんの。』
 
ザードの言葉に、眠っていた記憶が呼び覚まされる。
そう言って、嫌な顔をした目の前の男の顔。憮然とした顔で相手を睨みつける自分。
 
『何だよ。別にいいだろ。誰に迷惑かけてる訳で、も…?』
『うわ、キスも甘。』
『っ!ザックス!!』
 
 
 
 
 
“ザックス”
 
 
 
 
 
 
 
「……え?」
「覚えてないか?まぁ、随分昔の話だしなぁ。」
そう言ってザードは笑った。
覚えている。あの時は余りにも突然に奪われて、思い切り殴りつけた記憶がある。
その瞬間の羞恥だとか、怒りだとか、ザックスの楽しそうな笑い声も思い出せる。
けれど、それはザードも言っているように、『随分昔』の話だ。
『随分昔』、ザックスがまだ記憶を失う前の記憶。
目の前の男が知っているはずなど、ないのに。
「何で、知って…」
「ん?」
思わず漏れた声に、ザードがこちらを振り返った。その時の事を思い出しているのか、笑顔を浮かべるザードに。
「あんたはそれ、知らないはずだ…」
「……え?」
ザードの笑顔が凍りつく。
それはザードではなく、ザックスの記憶だ。その言葉は辛うじて飲み込む。
ザードは、緩慢な動作で、左腕を持ち上げ、前髪を掻き揚げた。
「え、あぁ、そう、か?」
そう言って、一瞬だけ何かに耐えるように顔を顰めて、そのまますっと表情が消えた。
急激な変化に、心臓が激しく脈打つ。咄嗟に視線を逸らしてしまった。
「アランの言うとおり、本当にボケたんじゃないか?」
笑ってそう言うが、動機は収まらない。
「違う。」
ザードは呟くようにそう言って、額に当てていた腕をゆっくりとはずし、顔を上げた。
「確かに、何処かで…」
そのまま押し黙ってこちらをじっと見てくる。鋭い緑色の瞳は、クラウドの瞳を真っ直ぐに射ていて、呼吸が止まりそうだった。
何だかいつものふざけた雰囲気とは少し違う気がして、クラウドも言葉を紡ぐ事ができなかった。
ただ見詰めあう。ザックスはまるでクラウドの瞳の奥にその答えがあるかのように、瞬きすら殆どせずにこちらを見てくる。
そんな時間が続いて、先に目を逸らしたのはクラウドだった。視線を顔ごと逸らして俯く。
このままで居ては、いけないと本能的に悟ったからだった。
ザックスの真っ直ぐな瞳を見詰めていて、そのまま何もかも吐き出してしまいそうな自分が怖かった。
目を逸らせば、今まで視覚にのみ集中していた感覚が嗅覚にも向けられる。
突然鼻腔に広がる、何処か香ばしいような、炭のような匂い。そして、こぽこぽという液体の泡が弾ける音。
瞬間、その一種異様な匂いと音の正体に思い当たり、クラウドは勢い良く顔を上げた。
「つか、カレーどうなったんだ!?」
クラウドの言葉に、ザードは大きく目を見開くと、弾かれたように鍋の元に走りよった。
「うおぉ!忘れてた!」
ザードが鍋を掻き回すのをクラウドは落ち着かない気持ちで見ていたが。
「…んー大丈夫だ。底は一層位焦げちまってるけど、喰えねぇ程じゃねぇ。」
その言葉を聞いて安心した。
もし万が一、カレーを完全に焦げ付かせてしまったなら、あれだけカレーを楽しみにしていたアランに流石に申し訳ない。
そこで、不意に気付いた。
アラン達が、まだ戻らない
あまり意識はしていなかったが、割と時間が経っているようだ。
火を熾す所から始まり、カレーが焦げ付いてしまうほど時間が経っている。
それでもまだ戻らない。行き先は、ここからでも見える程近場の森であるにも関わらず、だ。
じわり、と不安が広がる。
アランの事だ。様々なデザートを探しているうちに遅くなっているだとか、
フェリスと少しでも二人きりで居たくてゆっくりと森を探索しているだとか色々と理由を考えようとすれば考えられるのだが…。
初め少しだったその感情はあっという間に膨れ上がり、クラウドの中の警鐘をけたたましく鳴らすに至った。
「なぁ、アラン達ってまだ戻らないよな?」
「あぁ、そういやそうだな。」
ザードは何処かうわの空な様子だったが、次の言葉で一変した。
「…いくら何でも遅くないか?」
さっとザードの顔色が青ざめる。こちらの意図を察知したようだ。顔を見合わせて漸く事態の深刻さを悟った。
互いの推察を言い合う時間も惜しんで、そのまま立ち上がった。
鍋の火を消し、荷物を持って直ぐ見える範囲に広がっている森に向かう。
こんもりと茂った木々の下は薄暗く、ひんやりとしていた。
複雑に絡み合った根が露出している地面をひたすら走りながら声を張り上げた。
「フェリス!アラン!?何処だ!?」
名前を連呼しながら歩いた後、ふと足が何か大きな物をを踏みつけた。
怪訝に思って、足元に目をやれば、踏みつけているのは白地に黄緑色のラインが入っている、見覚えのあるスニーカー。
泥まみれになっているそれが片方地面に転がっている。
それが、アランの履いていた靴だと悟るのに時間はかからなかった。







クラウドは北の出身なので、ホットチョコレートだとか、ココアだとか、甘くて暖かい飲み物が好きって設定です。

えと、ここまででかなりの量の複線を出し終わりました。
自分でも忘れてしまいそうな位複線があるので、ちゃんと消化できるかが不安です(死)
そしてアランさん意外と重要キャラになってしまいました。ごめんなさい。
こんなお話ですが、これからもお付き合い下さると幸いです。