Act 7  その温かさ
 
 
完全なる暗闇。
周りの景色どころか、自分の四肢さえも判別できない。
自分自身の視神経が、機能しているのかどうかさえ疑うような、漆黒の空間。
そこは全くの無音で。風の音も、虫の声も、自身の呼吸音さえも聞こえない。
ここに自分が存在しているかどうかさえ怪しく思えてくる。
不安定で、不確かな存在である自分。
でもそれでも。
いや、だからこそなのか自分は歩いている。
 
 
不意に、小さな声が耳についた。
この無音の世界で唯一の音。
思わず足を向けていた。
 
 
 
誰かいる。
 
 
 
暗くて姿形がよく見えない。けれど微かに動く気配を感じる。
それと共に僅かに聞こえる小さな声。
何を言っているのだろうと、耳を傾ければ、それが単なる言葉ではないことに気付く。
鼓膜を打つのは小さな小さな啜り泣きだった。
生きて動いている者が存在していることへの、単純な喜びが一瞬にして霧散する。
代わりに襲ってきたのはどうしようもない胸の痛み。
たった一人、この暗闇の中で泣いている。
その声が余りに切なそうだったから。
こんな声は聞いたことがないはず。
そう記憶は告げている。
なのに、どこか懐かしい声。
 
これは夢だ。
繰り返し見る同じ夢。
 
それはよく理解していること。
気付けばいつも見ていた夢。
毎晩毎晩同じ夢を見て、いつも同じ所で目が覚める。
この夢の中に唯一存在する人物に、何故泣いているのかと問いかけて、
その人が振り返る瞬間に目が覚める。
決してその人と交わることはできない。
それは嫌と言うほど解っている。
でもそれでも、あの声を聞いたらどうしても声をかけずにはいられなくて。
今日もまた同じように問いかける。
 
 
「…何泣いてんだ?」
 
 
その人物は驚いたように肩を震わせる。
そう、そこまではいつも通り。
 
けれどその先はいつもとは違っていて。
 
 
その人物はゆっくりと振り返った。
予想外の展開に思わず息を呑んだ。
暗くて、顔は見えない。
けれど、その人物の雰囲気が直接感覚に叩き込まれる感じがした。
 
(こいつ知ってる。)
 
そう思った。
いや、知っているなんてレベルじゃない。
それは直感ではなく確信。
もっと、もっと何かがある。そう、もっと大事なこと。
 
 
近くに寄れば見えるのかと歩を進めようとすれが、昨日のような強烈な頭痛に襲われた。
それでも知りたくて。知らなくてはならない事なような気がして。
けれどそれ以上はどうしても足が進まない。真っ黒な壁に遮られて、進めないのだ。
 
あと、少しなのに。
 
もどかしさに手を伸ばした。
すると、人物もそっと手を伸ばしてきた。白くて皇かな手。
 
あと、数センチ。
 
頭が割れそうなほど痛んだが、それでも懸命に距離を縮める。
 
 
一瞬。
 
 
ほんの一瞬だけ触れたその指先は
今までに無い程温かくて
 
 
 
 
 
 
 
 
 
暗い闇から引き上げられるように、意識が浮上する。
覚醒した頭でゆっくりと瞼を持ち上げた。
一番最初に目に入ったのは木製の、見覚えのない天井。
見慣れない木目はまるで人の顔のようだ。
現実的な光景に、漸く自分が夢から覚めた事を自覚する。
それと同時にやっと今の状況を理解した。
 
ここが何処なのか、何故このような所にいるのか。
 
 
「……だらしねぇ」
 
ザードは小さく呟いて苦笑する。
今まで一度だってここまでなったことはなかったのに。
ザードは確かに原因不明の頭痛に襲われる事が多々あった。
それは本当にいつものことだったし、心配する必要性は感じない。
けれど、あれ程までにひどい頭痛に見舞われたのは初めてだった。
頭が割れるような、そして異物が侵食するようなあの嘔吐感。
 
 
突然の悪化に思い当たる理由が無いわけではない。
と、いうよりもそれしか考えられないと言うべきか。
いつも通りの時を過ごしていた昨日で、唯一変わった事があるとすれば
 
あの夢だ。
毎晩毎晩飽きもせず繰り返し見る同じ夢。
 
 
強烈な頭痛を覚える前日、
自分はあの人物に近づきすぎた。
夢に出てくる唯一の人物に。
 
 
 
思えば自分は最近
あの人物に近づこうと必死になり過ぎている気がする。
アレに近づけば近づくほど吐き気はするは頭痛がするはで良い事なんかまるでないのに。
それでも近づこうとする理由は一体何なのか自分にも解らない。
 
(今日なんて触っちまったしな)
 
そこまで考えて、ふと奇妙なことに気付いた。
手に何か妙な異物感を感じるのだ。
 
 
(て、いうかなんか暖かいんだけど…)
 
夢で触れた温かさはこれのせいかと納得しながらも、内心冷や汗物だ。
寝ている間に握りこむ温かいものなど全く想像がつかない。
一体自分は何を握っているのだろうか?
恐る恐ると右手に目をやる。自分はしっかりと手を握り込んでいた。
整った形の爪をした指先、全体的に華奢な手。
そして腕の持ち主を目で辿っていけば。
 
「………クラウド?」
 
そう、手の持ち主はクラウド=ストライフその人だった。
クラウドは座ったままの体勢で、ザードの布団に突っ伏せるようにして眠っている。
どうやら看病してくれていたらしい。
自分が倒れたときの彼の動揺ぶりを思い出して、何だか申し訳ない気分になる。
病人の看護なんか料金に含まれてなんかいやしないのに。
 
結局クラウドはいつも優しい。
 
けれどきっと、「看病してくれてありがとう」などと言えば、
死なれて、後払い金が貰えなくなるのが嫌だったとでもいうのだろう。
その様子を想像して、ふと自然に笑みが漏れた。
それよりは何も言わずに、労いのホットミルクでも作ってやるほうがいいだろうなんて思った。
起こさないように細心の注意を払って体を起こす。
足を置くとぎしりと小さく床が軋んで一瞬ひやりとしたが、それでも起きない。
安心して、寝台から下り、台所に向かおうとした瞬間。
 
「……ん…」
 
小さな声が聞こえて思わず振り返る。
 
「クラウド…?」
 
名前を呼んでみるが返事が無い。
起きているのかと思った。
だが近寄って見ればそうでもないようで、静かな寝息をたてている。
不意に目に飛び込んでくるクラウドの寝顔。
 
 
その瞬間胸が押しつぶされるような気がした。
 
 
閉じられた瞳から流れ落ちる透明な雫。
その存在に気付いてしまったから。
思わず手を伸ばして。
だが。
 
「ごめん…」
 
突然聞こえた声に思わず伸ばした手を引いた。
だがやはり起きた訳ではないようだ。
蒼い瞳がきつく閉じられたままなのを確認する。
うわ言のようにただごめん、ごめんと繰り返すクラウドが
悲しそうに眉根を寄せて続けた言葉は。
 
「ザックス…」
 
クラウドの瞳から新たな雫が零れ落ちた。
全ての動きが停止する。 
 
 
 
 
 
 
 



「………ザックス?」
 クラウドの泣き顔を見ながら、小さくその名を呟く。
その時ザードは初めてその男の名を知った。




初のザード視点です。なんかストーリー的に進んでないですね…
だらだらした話ですいません。
でももうすぐ、話の流れが思いっきり変わってしまうので、もしお付き合いくださる方がいらっしゃったら、
顔を顰めないでやって下さい。。。