Act7  断罪
 
 
不意に意識が覚醒した。
瞳を開いて一番初めに目に入ってきたのは、波打つ白いシーツで、一瞬自宅のベッドで眠っているのかと思った。
だがそんな考えも体の節々に感じる痛みによって掻き消される。
長時間不自然な体勢でおり、普段使用しない筋肉が酷使された結果だろう。
そう分析した瞬間、自分の置かれている状況を漸く思い出した。
 
「っ俺、寝て…!!」
 
勢い良く身を起こす。顔を上げた視線の先にザードの横顔があって、言葉に詰まった。
まさか自分よりも先に起きているとは思っていなかったから。
ザードは、何やら考え込んでいるような風だったが、クラウドと目が合った瞬間に表情を和らげた。
 
「はよ。」
「…おはよう。」
 
優しい笑顔で挨拶をされて何だか決まり悪い気分になる。
どうやら、ザードの横に付いているうち眠ってしまっていたらしい。
看護をしていたはずの自分がくたばるなど情けないことこの上ない。
 
「起こしてくれればよかったのに。」
 
と決まり悪さを誤魔化すための言葉に、ザードは曖昧な笑みを浮かべるだけだった。
その瞳の奥に、何か問いたげな光が宿っていることなど、今のクラウドには気付くことはできなかった。
代わりに今一番気がかりな事を口にする。
 
「あんたもう起きて大丈夫なのか?」
 
 
暗にまだ寝ていても構わないんだぞという意味を込めて問えば、ザードは首を横に振った。
 
 
「もう大丈夫だ。心配かけちまったみたいですまなかったな。」
「…本当にな。無理続けるからそうなるんだよ。」
「はいはい俺が悪かったです。以後気をつけマス。」
 
 
可愛くない応答に、ザードは笑いながら軽く答えたが、クラウドにとっては軽く受け流せる問題ではなかった。
 
 
「あんた一度ちゃんとした医者に見てもらえよ。」
 
 
真剣な声音に、ザードもクラウドが本気で心配している事に気付いたのか、軽い笑顔はなりを潜めた。
代わりに、少し戸惑ったような、けれど真剣な瞳が向けられる。
 
 
「…フェリスから聞いた。あんた死にかけて、記憶失ってからずっとその頭痛があったんだって。
そんなに長く続く頭痛なんて尋常じゃない。おそらく後遺症だろ?そんなの放って置いていいもんじゃない。
しかも脳だなんていう直接命に関わる器官だ。
今までは何とも無かったかもしれないけど、何時どうなるか分からないだろ。」
 
脳に残る後遺症は後からが怖い。
交通事故にあってその場は何とも無いのに後日ぽっくり逝ってしまうだなんてことはよくある話だ。
ザードの不自然な頭痛がその前兆でないと何故言えるのか。
黙って聞いていたザードが、ふと表情を緩めた。宥めるように笑顔を向ける。
 
「クラウド大袈裟だって。俺は…」
「大袈裟でも何でも!」
 
ザードの言葉を遮る。彼の言葉を待つ余裕など自分にはなかった。
ただするりと本心が口をついて出る。
 
「俺は、あんたを死なせたくないんだ。」
 
搾り出すように言った言葉に、ザードは驚いたような顔をしている。
当然だろう。彼にとっては自分は「何でも屋」のボディーガードでしかない。
彼は友人とは言ってくれたが実は一週間とちょっとの時間を過ごしただけの他人であり、
こんな事を言う資格すら有しているとも思えない。
でもそれでも。
クラウドは俯いて言葉を続けた。
 
「金が足りないっていうなら出すし、良い医者がいないっていうなら紹介する。
だから検査受けろよ。検査受けてちゃんと治せよ。死んだりするな。…お願いだから…」
 
最後の方は縋るような声になっていることは自分でも解っていた。
それでも言わずにいられなかった。言わずにはいられなかったから。
もう二度と失いたくない。
自分の事を全く覚えていなくとも、もう二度とあの腕で抱きしめてくれることはなくても。
それでも、彼はザックスで。
明るくて、屈託なくて、そしてとても優しい
自分が愛したかけがえの無い人間に違いないから。
ザードが戸惑っているような気配が感じられた。クラウドはそれを感じながら唇をかみ締める。
ただ返事を待った。
長いような短いような沈黙の後、そっと息を吐く音が聞こえた。
 
「わかった。」
 
反射的に顔を上げると、困ったような、けれど何かを決意したような瞳と目が合った。
思わず安堵の息が漏れる。けれど安心してばかりもいられなかった。
 
「でも、何故そこまでしてくれるんだ?」
 
はっと息を呑む。当然予想されるべき言葉だったにも関わらず、クラウドは狼狽した。
答えを求める、真剣な瞳に射すくめられて思わず目を逸らす。
 
「…それは…」
 
言える訳が無い。
あんたと自分は昔会っているのだと。
唇を重ねて、熱を分け合う仲であったのだと。
元より嘘が苦手なクラウドは言うべき言葉も見つからず口を噤んだ。
そんなクラウドに焦れたのか、それとも返事など待つつもりはなかったのか、ザードは言葉を発した。
 
「なぁ、俺って誰に似てんの?」
 
心臓が飛び跳ねた。
思わず顔を上げると、先程と同じ強い視線が自分を射た。
予想外の質問に狼狽を隠せない。
 
「誰って…そんなの」
 
何とか取り繕おうと発した言葉をザードは遮った。
 
「お前さ、自分じゃ気付いてないかもしんないけど、俺の事悲しそうな瞳で見てんだよ。
俺はそれをずっと何でなんだろうって思ってた。もしかしたらこいつは俺のこと知ってるんじゃないかとも思った…」
 
舌打ちしたい気分だった。
あれ程気をつけていたのに、完全に感情を隠しきれない自分。
だが、ザードは問い詰めるように向けていた視線をそっと外した。
 
「でもな、気付いたんだ。俺じゃないんだ。お前が見てるのは俺の向こうにいる奴。
確かに俺と話をして、俺を見てるはずなのに、お前が会ってるのは別の人間。」
 
「…………」
 
「お前、過去に何があったんだ?
お前さ、寝てる間もずっと謝ってた。泣きながら何度も何度も。」
 
 
言葉に詰まる。自分の取るべき行動を考える時間を稼ぐため、真摯な光を宿した緑の瞳から目を逸らした。
俯いて、握り締めた自分の拳を見つめる。そうでもしなければ何もかもをぶちまけてしまいそうで怖かったから。
 
自分のすべき事を考える。
ご大層な嘘をでっち上げれるほど自分は器用ではなかったし、
かと言って過去を突きつけてザードを困らせたくはない。
ならば自分の言うべき事は決まっている。
もっと早くに言うべきで、言うべき時期をもっと遅らせたかったこと。
今まで逃げてきた問題。それが今正に目の前にある。
心臓が激しく脈打った。
握り締めた拳を更に力を入れると、爪が手のひらに食い込んだが、激しい緊張のために痛みは全く感じなかった。
口を開いて言葉を紡ごうとして、だがすぐに閉じてしまった。
言わなければいけないのに。
ここまで来て、言葉を発することのできない自分にどうしようもない嫌悪感を覚えた。
 
「…ま、言いたくねぇなら構わねぇけどよ。」
 
余りにも長い時間黙り込んでいるクラウドに、ザードは先程とは異なり軽い調子で言った。
今までの流れにそぐわない口調に、クラウドを労ってくれているのが解った。
このまま逃げるのは簡単だ。
ザードのこの提案に飛びついてしまえばいいだけのこと。
飛びついて、夕飯でも作ろうかなどと言えば優しいザードは何も無かったことにしてくれるだろう。
けれどそれは甘えだ。とんでもなく卑怯な、甘えという名の裏切りだ。
それが分かっていたから。
クラウドは意を決して口を開いた。
 
「昔、大きな会社に一人の男と女がいたんだ。」
 
唐突に変わった話に、ザードは一瞬顔を顰めたが、クラウドと目が合うと、すぐに小さく頷いた。
この話に何の意味が在るのかはまだ解らないが耳を傾けてくれるつもりのようだった。
それを確認すると、クラウドは続きを話始めた。
遠い昔、けれど自分にとっては決して遠くないあの過去を。
 
「男は、何でも器用にこなす奴で、世渡りもうまくって、大層な出世頭だった。
逆に、女は本当に捻くれた奴で、誰にも心を開こうともしなかった。
そんなんだから世の中全部が敵だと思っていて、その男も例外じゃなかった。」
 
最初の印象では、クラウドは誰にでもへらへらするザックスを心底苦手だと感じた。
周りに媚を売って、たくさんの人間に囲まれて、満足しているどうしようもない奴なのだと思った。
 
 
「…だけど、そいつは人を憎ませてくれるような奴じゃなかったんだ。」
 
『クラウド』
そう言って太陽のように笑うザックスの顔が脳裏に浮かぶ。
そう、あいつは太陽のような奴だった。
 
 
「明るくて、陽気で、面倒見が良くて、誰にだって優しくて…。
とにかく本当にいい奴で、女は男をどうしても嫌いになれなかった。」
 
どれだけ敵だと意識しても、あいつはずかずかと自分の心に踏み込んできた。
それこそ遠慮なく。
けれど決して自分を傷つけるのではないやり方で。
 
 
「…いつしか二人は仲良くなって、何を間違ったのか男は女を好きだと言い出した。
信じられないだろ?誰にでも好かれる男が誰からも好かれない女を好きになったんだ。
けど、女も自分でも気付かなかったけど男の事が好きだった。だから二人は恋人になった。
女は本当にそいつの事が本当に好きだったから、とても幸せだった。
…だけど…」
 
声が自分でもわかるくらいに震えていた。
それをザードが気付かないはずもない。
 
「…クラウド…?」
 
と訝しげに問うザードに、大丈夫だと目だけで笑ってみせた。
 
「だけど、そんな幸せは長くは続かなかった。
男と女はその会社の陰謀に巻き込まれてしまったんだ。
その陰謀っていうのはとんでもないもので、女は日に日に衰弱して、ついには廃人同様になってしまった。
 
クラウドは思わず顔を顰めた。
今でも思い出せる。冷たいガラスケースの感触を、そして実験動物でも見るようなあの視線を。
 
「それに気付いた男は会社から逃げ出した。それも廃人同様の女を連れてな。
…だけどそんなの連れて長く逃げ切れるはずもない。結局男は会社の奴らに…
 
銃声と、血の色を覚えている。
視界一杯に広がる赤、そしてその中に横たわるあいつも。
 
 
「でも」
 
声が震える。どうしようもなく、震える。
 
「男はまだ生きてた。」
 
そう、今この目の前にいるのが何よりの証拠。
 
「なのに…」
 
クラウドは俯いて拳に力を入れる。
爪が手のひら食い込み血が滲んだが、全く気にならなかった。
 
「女はそいつを見捨てて逃げた。
息があるのにも拘らず、女は逃げたんだ。信じられるか?
今までずっと自分を守ってくれた男を、だぞ?
だけど女が酷いのはそれだけじゃなかったんだ。
女は男の事をすっかり忘れてしまった。
男と過ごした日々も、男の顔も、そして男の名前さえも。」


吐き捨てるように言う言葉をザードはただ黙って聞いていた。 
一気にそれだけ言って、大きく息をついた。
顔が上げられない。
顔が、上げられない。
 
 
「…最低、だよな…。」
 
 
ザードは何も言わなかった。その沈黙が怖かった。
もうザードは解っているだろう。
この物語が単なるフィクションなどでは無いことを。
もうザードは気付いているだろう。
この物語の主人公が一体誰なのかということを。
それでもザードは何も言わなかった。
ただ、沈黙を守り通している。
視線を伏せたまま、握り締めた拳を膝の上で震わせたまま、クラウドは唇を噛んだ。
顔が、上げられなかった。
ザードが、いやザックスがどんな顔をしているのか、それが怖くて顔が上げられなかった。
そんな自分を心底卑怯だと思った。どうしようもない人間だと思った。
責められるべきだと思ったから話した。
記憶を失ってはいても、他の誰でもなくザックスに責められるべきだと思ったから話したのに。
 
時計の音だけが耳につく、狭い室内で、クラウドは息が詰まって死にそうだった。
ザードは相変わらず何も言わない。
罵倒の言葉でもいい。軽蔑の言葉でも。呪詛だって構わない。
何か、何か言ってくれれば。
時間にしては大した時間ではなかったのかもしれない。
けれどクラウドにしてみれば、果てしなく長い時間の後、ザードがぽつりと呟いた。
 
 
「別に、いいんじゃねぇかな。」
 
思わず顔を上げれば、ザードは労わるような、そんな瞳をしていた。
そんな瞳自分には相応しくない。
相応しくなんか、ない。
 
 
「そいつはっ!命を張って自分を守ってくれた相手を見殺しにして
その上そいつの存在まで意識上から抹殺したんだぞ!?」
 
気付けばクラウドは叫んでいた。まるで呪詛を吐くように。
そう、自分は命をかけて自分を守ってくれた人間を置き去りにしたのだ。
一人ならば容易く脱出し、生き延びることができたにも拘らず、
決して自分を見捨てなかった人間を自分は見捨てたのだ。
重荷以外の何物でもない自分を、命も惜しむことなく最後まで守り通してくれた、
そんな人間を自分は見捨てたのだ。
言葉を失う最後の、最後の瞬間まで恨み言一つ言わず、自分を愛してくれた人間を自分は見捨てたのだ。
そして自分はそいつの存在すら忘れて、のうのうと生きてきた。
命すら奪ったくせに、それだけでは飽き足らず何一つとして失っていない自分は、あいつの記憶までをも奪い取った。
一体何処まで自分は浅ましいのか。
なんて最低な人間なのか。
吐き気がする。
この最低な人間に。
醜い利己心の塊に。
 
瞳の奥が熱かった。涙が込み上げてくるのがわかった。
泣く資格なんか自分にはない。
そんなもの与えられているわけがない。
そう解っているのに。
 
荒い息をつくクラウドを、ザードはただ、静かに見つめていた。
長い沈黙の後、ゆっくりと口を開く。
 
「なぁ、会社の陰謀に関わった人間って、死んでるかどうかわからないような生半可な殺し方するもんなのか?」
 
予想外の質問に思わず目を瞬く。
クラウドの返事を待たずにザードは続けた。
 
「陰謀に関わった人間を確実に始末するために、会社は生半可じゃない方法をとった。
だからそいつは男は死んだと思った。それ位酷い怪我だった。というか本当に虫の息だったんだろうな。
そして、女はそいつを失ったと思う事によって精神が崩壊しかねなかった。…その位そいつが好きだった。
…違うか?」
 
言葉に詰まったクラウドに、ザードはやっぱりなと笑う。
そうだと思ったと。
 
確かに違わない。けれどそんな事は関係ないではないか。
自分はあいつを見捨てた事には変わりがなく、あいつを忘れた事に変わりはないのだ。
最低な行為を失った事に何の変わりがあるというのか?
 
「だけど…!!」
 
それを言葉にしようとした瞬間
 
 
「少なくとも」
 
 
ザードが口を開いた。言いかけた言葉を飲み込む。
涙で霞む視界に、ザードが写った。
 
 
「少なくとも俺だったら、そいつの事、恨みゃしねぇよ。」
 
 
優しく微笑んでいる。そう、何もかも許すような、そんな微笑。
堪らなくて。どうしようもなくて。
涙が溢れた。
責めればいいのに。軽蔑すればいいのに。
何て最低な奴なのだと、生きてる資格なんかないのだと罵ればいいのに。
それをされて当然の人間なのに。
そうされるべき人間なのに。
何故こいつはこんな事を言ってくれるのだろう?
何故こいつは微笑んでくれるのだろう?
何故こんなにも…
 
ザードは立ち上がって、ゆっくりとクラウドの元に歩み寄ってきた。
優しい瞳で、クラウドの顔を覗き込むと、くしゃりと頭を撫でた。
 
「本当にそんな奴なら、もっと弁護するもんだ。
俺にはお前がそいつを無理矢理悪者にしてるように聞こえる。」
 
首を振った。ただただ何度も。
ザードが苦笑した気配が感じられる。
 
「お前はさ、自分の事責めすぎなんだよ。そいつはお前を守るために死んだんだ。
きっとお前が生き残ってくれて満足してる。かけがえのない者を自分の手で守れたんだってな。
だからもう十分だ。もういい加減、許してやれよ。」
 
 
唇を噛んだ。それは込み上げてきた嗚咽を抑えるためだった。
そんなクラウドを見ると、ザードは優しく微笑んでもう一度頭を撫でた。
その顔が重なる。
遠い日と同じ、あの優しい笑顔。
 
 
 
「お前はさ、なーんも悪くねぇよ。」
 
 
 
 
ああ、何故、と思う。
 
何故こんなにも優しいのかと。
死してなお何故こんなにも自分を気遣ってくれるのかと。
もう、堪え切れなかった。
今まで押し殺してきた嗚咽が喉を滑り降り、気がつけば子供みたいに声を上げて泣いていた。
わんわんと声を上げて泣くクラウドの背を、ザードはあやす様にぽんぽんと叩いてくれた。
 
 
 
 
 
長年の呪縛から解き放たれたような気がした。
記憶を思い出した瞬間から背負っていた背徳心。
自分が生きていることへの罪悪感。
それらが氷のように氷解していくのを感じる。
 
許された、と感じた。
初めて自分が生きていることに意味が在るのだと、そう言われたように感じた。


断罪終了ー。クラウドがザックスと再会して以来ずっと感じてた罪悪感のお話です。
ザックスには生きていて欲しいけど、生きてるってことはクラウドはザックス見捨ててしまったってことになりますもんね。
にしてもこの話は難産でした。なんか無理矢理感が拭えなくて…。
今も拭えてないですよね、すいませんーー!!精進いたします。。。

次は漸く会話ばっかりの状態から開放されます。
今まで動きのない話で申し訳ありませんでした。
お付き合いして頂けたら幸いです。