Act 9 予兆
クラウドは子供のように泣いて、そして子供のように眠ってしまった。
彼も疲れているのだろう。
当然だ。何日眠っていたかは知らないがその間彼はずっと看護してくれていたようだから。
寝すぎたせいなのか、先程のクラウドの話が眠りを妨げているのかは解らないが、
まだ熱っぽいにも関わらずザードは眠れなかった。
ベッドの上で何度か寝返りを打った後に、眠ることを諦めて、そっとベッドを抜け出す。
音を立てないよう細心の注意を払いながら、ソファで眠るクラウドの元歩み寄った。
屈み込んで、クラウドの顔を見下ろす。
向こうを向いているため、顔ははっきりとは見えないが、
硬いソファの上にもかかわらず、安らかに眠っているようだ。
部屋のソファは堅いし、自分はもういいからと言ったにも関わらず、
クラウドは頑としてこの部屋のソファに留まったのだった。
「………」
捲れかけている毛布を肩まで被せて、そっと溜息をつく。
(そういうことだったわけ、か…。)
激しい恋、精神の崩壊、そして喪失。
そしてその大切な者に、自分が似ている、と。
クラウドが一番初めから自分の事を悲しそうな瞳で見つめていた事にも。
自分のふとした仕草、何気ない言葉に隠し切れない懐かしさが滲み出ていたのにも。
遠い昔から自分を知っているかのような瞳を向けている、そのことにも。
謎が解けてほっとする反面、聞かなければよかったと思う自分も確かに存在した。
クラウドを縛り続ける男の話など聞かなければ良かった、と。
あれ程聞いてみたかった事なのに、何故そう思うのか解らない。
そして何故、相反する感情が同時に存在するのかも。
ただ、解ってはいけないような気がした。
解ってしまえば自分が足元から崩れていってしまうような気がする。
漆黒の闇に落ちて行き何もかもを失う。
そう、今の生活だけではなくこれからの生活も、自分自身の思考も、そして自分の命さえも。
(けど…)
安らかな寝息を聞きながらふと思う。
本当に自分の事を知っているのであればどれ程いいだろうか。
この威勢がよくて生意気で、でもとても優しいクラウドと一緒に、他愛ない話をして、くだらない事で笑って、
時には喧嘩もして…。
そんな穏やかで掛け替えのない時間を紡いでいく。
唇が綻んだ。
頭に思い描くだけで、わくわくする。
きっと毎日が楽しいんだろうな、と思う。
そんな過去が自分のものであったなら…
夢想してしまって、苦笑した。
何を馬鹿な事を。
(そんなのありえない話だってのは身に染みて解ってるだろう?)
そう、そんな事は解りきっている。
目を開いた、その瞬間から自分は過去などなかった。
いや、過去なんて自分には存在しなかったのだから。
それが淋しいと感じた事はない。
過去なんて所詮生きてきた軌跡に過ぎない。
それを後生大事に持っている奴だって当然いるだろうが、
そんなものが生きていく上で何の役に立つというのか。
過去があるからといって日ごろの賄いが得られるわけでもない。
生きて、呼吸をするのに過去など必要ない。
だから、それについて何も感じた事はなかった。そのはずなのに。
『俺は男だ!二度と間違えるな!!』
そう言ったクラウドの顔を思い出して、ふと笑みが漏れた。
きっと自分は何度あっても彼にそう言わせるだろうと思う。
けれどきっと今とは違う関係を築いていた。
何でも屋とその依頼主だなんて、その場限りの関係じゃなくて。
大切な友人として。ずっと、ずっと。
そんな過去なら自分も欲しい、と切に思う。
不意に、クラウドが僅かに身じろぎをして、無防備な寝顔が顕になった。
いつもはきついと感じられる瞳は閉じられていて、あどけなささえ感じられる。
滅多に見られない顔。心臓が高鳴った。
そう言えば本当に整った顔をしてるな、と今更ながらに思う。
染み一つ無い白い肌に、柔らかい金糸の髪。
大きな瞳を縁取る金色の長い睫、そして僅かに開かれている赤く色付いた唇。
(もし、そんな過去が自分のものだったら…)
ふ、と生じる疑問
もし、そんな過去が自分のものだったら
果たして友人だけで満足したのだろうか?
「……」
胸のうちに生じるどうしようもない衝動。
ザードはそっと手を伸ばして、クラウドの唇に薬指で触れた。
柔らかく、暖かいその感触。
心臓がぎゅっと締め付けられる。
ついで胸の内から広がるどうしようもない熱さ。
屈み込んで、クラウドの顔にかかった金髪をそっと払った。
クラウドは微動だにしない。ただ穏やかな寝息をたてている。
それを確かめると、ゆっくりと顔を近づけていった。
唇と唇が触れるその直前。停止する。
続いて振り返った。
「…何しに来た」
「あら、ばれちゃった。」
驚かせようと思ったのに、そう言って扉の影から出てきたのは黒髪に鳶色の瞳の女性、フェリスだった。
手に一本花を持って悪戯っぽく笑っている。
「お見舞いに来たのよ。調子はどう?」
「お前が見舞いに来るなんて珍しいな。」
皮肉ではなく本当に驚いたのだ。
フェリスは手に持った花の花弁に軽く唇を当てると、小さく笑った。
「たまには、ね。」
そう言うと、すっとザードの元に歩み寄り、ソファで眠るクラウドに目を向けた。
フェリスは暫くクラウドの寝顔を眺めていたが。
「随分と仲良くなったのね。」
そう言ってザードを覗き込んだ。その瞳が鋭く光っているような気がして思わず目を逸らす。
「…まあな。」
「ま、いいけど。」
ザードの態度をなんと思ったか知らないが、フェリスは興味なさそうな顔をして、
ザードの横を通り過ぎ、部屋の隅に置いてあった花瓶を手にとる。
水道は出ないからだろう、花瓶にそのまま花を挿すと、ベッド脇のテーブルにコトンと置いた。
沈黙したまま、挿した花の花弁を指先で弄っていたが、不意に顔を上げた。
「あぁ、そういえば医者行くの?」
「…趣味悪いな、立ち聞きしてたのか?」
そうではないかとは思っていたが
案の定立ち聞きされていたと聞いて思わず棘のある言葉になったがフェリスは別段気にしていない様子。
「お邪魔しちゃいけないと思ってね。」
フェリスはこれでも遠慮してたのよ?と小首を傾げて唇を笑みの形にする。
その様は可愛らしいというよりは妖艶と言った方がしっくりくる。
ザードは苦笑した。
「医者は行かねーよ。行ったって意味が無いからな。…それに、余分な用事を増やしたくはない。」
「そうね」
元から答えが解っていての問いだ。フェリスはあっさり答え、くすくすと笑った。
不意に花弁をいじっていた指を止め、鋭い目をこちらに目を向けた。
「それより、忘れてないでしょうね?」
「何をだ?」
解っているのに敢えて惚けてみると、フェリスの瞳が剣呑な色を帯びる。
「しらばっくれないで。」
こちらの予想通りの反応に小さく笑った。
「そう怒るなよ。ちゃんと解ってる。」
「…ならいいけど」
そう言うとフェリスはこちらに歩み寄って来た。
ソファの元に座り込んでいるザードと目線が合うように、僅かに屈む。
さらっと黒髪が流れて香水の匂いがした。フェリスはそっとザードの顎に手をかけると、唇を重ねる。
フェリスは長いキスの後、そっと離れると、唇を笑みの形にして。
「貴方は貴方のものじゃないから。忘れないで。」
だなんて解りきっている事を口にした。
**
「なーもういいって。早く出発しようぜ。」
本日何度目かの言葉に、クラウドは心底呆れて盛大な溜息をつく。
「あのなぁ、何度言ったらわかるんだ?あんたは40度の熱出したんだぞ。せめてもう一日じっとしてろよ。」
うんざりしたようにいうクラウドに、ザードは不満気だ。
ザードはみるみる内に回復して、2日目にはもう殆ど熱は下がっていた。
それでも万全を帰すために、もう1日だけはここに留まろうと言ったのだが、
いかんせんザードはもういいから早く出発しようの一点張りだ。
「大体もう一度倒れた時に担ぐのは俺なんだからな。こっちの迷惑考えろ」
前も使った台詞だが、この台詞は一度倒れた前科があるだけに痛いらしくザードは口篭る。
そして漸く諦めたのか、大きく溜息をつくとベッドに倒れこんだ。古いベッドが軋む音がする。
「あーあ、お前が俺をお姫様抱っこできるだけの力があったらな」
「…何おかしな事言ってんだ。」
クラウドはこう見えてザードをお姫様抱っこできる位の筋力なら持ち合わせているが、
それを言ってしまえば「じゃ、やってみて」と言われるのが目に見えていたからそう言う。
「いや、なんか楽しそうじゃねぇ?お姫様抱っこ。それなら熱あってもいいし。」
「俺がお前をそれして歩くのか…?」
男が男をお姫様抱っこ。それほど気持ちの悪い事もない気がする。
しかも別にお姫様抱っこだろうが何だろうが、
熱があったなら運ばれるよりベッドの上に居た方がいいに決まっている。
「あ、よく考えたらやっぱ駄目だ。」
「当たり前だろ。」
「モンスターに会った時に手が塞がっちまってる。」
「…そういう問題かよ。」
ザードになったってザックスは時折おかしな事を言うのは変わらない。
やはり人間根本は変わらないと言うことか。
ベッド上と、ベッドサイドでの果て無き応酬。
ザードの前で思いっきり泣いてしまった翌日、何だか決まり悪い気分だったが、
ザードは全くもっていつも通りで何だか拍子抜けすると共に安心した。
これからもこの穏やかな時を紡いでいけるのだと思ったから。
『少なくとも俺は、そいつの事恨みはしないよ。』
ザックスの言葉を聞いてから、クラウドはやっと自分の存在を許せるような気がした。
未だ罪悪感は拭えない。この罪は一生消えることはないけれど、それでもザックスは許してくれる。
それだけで、生きることがずっと楽になった。
ただ、だからと言ってザードと自分の関係が一変するわけではない。
ザードは変わらず自分の事を思い出しはしないし、何よりフェリスがいる。
だから、この旅が終わったら自分たちは何の関係もなくなる。
それまでで構わない。
この穏やかな時を紡いでいけたら。
だが、それが叶わない事を思い知ることになるだなんてこの時は思いもしなかった。
コン、コン
扉を叩く弱弱しい音がする。
それが意味のない会話を中断する契機となった。
ザードと顔を見合わせて、俺が出るとの意志を伝える。
「…はい?」
クラウドはそっと扉の取っ手に手をかけた。
お、終わらなかった…(汗)
本当はもうちょっと先まで書きたかったのですが、それを書き出すと相当長くなってしまうもので…。
中途半端な所で終わって本当に申し訳ありません。
お話としてはこれから本題に入っていきます。本題までが長すぎですね…すいません。
本当は『許されざるもの』も『その温かさ』も当初の設定では書くはずじゃなかったんですよ。
それがついつい書きたくなっちゃって、ここまでが長くなっちゃったんですね。
えと、フェリスって変な女って思ってた人正解です。彼女は変な女です(死)
まだ暫くかかるのでもし宜しければお付き合い下さい。