01.君がいるから
 




窓際奥から3番目。
窓から常に柔らかで暖かい日差しが降り注ぎ、ふと目を上げれば、窓の向こうに新緑が見える。
そこがクラウドの指定席。
年季の入った、決して座り心地が良いとは言えない木製の椅子にそっと腰掛けて、
クラウドは面白くもなんともない参考書をぱらりぱらりと捲っている。
マテリアの色と性質云々がびっしりと書いてある紙面に、影が落ちたのに気付いたのだろう、
日の光を浴びている所為で、より一層金糸めいて見える金髪が揺れて、クラウドの空色の瞳がザックスを捕らえる。
未だ抜け切れない、他者への警戒を色濃く滲ませたその瞳が、
ザックスの存在を認めた瞬間劇的とも言える程緩んで、安堵を含んだ気安い色が滲む。
 
この瞬間がザックスは一番好きだった。
 
「よ。」
軽く手を上げながら、机を回り込む。音を立ててクラウドの隣の椅子を引いた。
突然の来訪者に付き合ってくれる気になったのか、クラウドはコロンと小さな音を立ててペンをノートに落とす。
「あんた、ここ苦手とか言ってなかったっけ?」
クラウドの隣の椅子に腰掛ける俺の方に向き直って、茶化すような口調。
ここというのは図書館の事。
やたら埃臭くて分厚い文字がぎっしり詰まった本が、綺麗に決められた秩序を持って並べられているこの施設が、
ザックスは入隊当初から苦手だった。エンターテーメント小説の一つも置いてあれば多少事情は変わるのだろうが、
生憎とこの新羅の図書館は、教科書類、資料類、参考書類そればかりが敷き詰められている。
ソルジャー昇格試験時に利用したときはキにしている場合ではなかったが、試験が終わった瞬間から最も近付きたくない場所になっている。
「まぁな」と言って決まり悪い気分で頭を掻くと、クラウドは小さく笑った。
「最近良く来るけど、どうしたんだ?報告書でも溜まってんのか?」
「あぁ、ま、そりゃ溜まってるけどな。」
「聞くまでもなかったな」
「ひでぇ!俺だってやるときゃやるぜ?…まぁ、10回に一回位だけどな」
「すごい低確率だな」
そう言って笑うクラウドを見る瞳はきっと、とんでもなく甘ったるい瞳なんだろう。
クラウドは最近よく笑うようになった。冷笑だとか、皮肉な笑みとか、そんな歪んだ笑いではなく、
心の底から自然に漏れ出す感情を表情に出してくれる。それが堪らなく嬉しい。
「いや、でも俺最近図書館苦手じゃなくなってきたんだよなー。」
「そうなのか?」
「ま、元々俺教養的な人間デスカラ当たり前と言っちゃ当たり前なんだけどな。」
「すっごいくだらない冗談。」
「ひっで!」
大きく目を見開いたオーバーリアクションに、クラウドはまた小さく笑った。
「本能で生きてるような人間が何言ってんだ。」
クラウドの余りといえば余りな物言いも、親しみを込めて言われているのだから痛くも痒くもない。
「何言ってんだ、俺ほど理性的な奴はいないっつーの。
…あー…でもこれは確かに本能的な問題かもな…食わず嫌いって突然なくなるだろ?そんな感じ。」
「…そんなもんか?」
納得出来ないとでも言うように眉根を寄せるクラウドに、
「あぁ、そんなもんだ。」
と自信満々で言い切ってやれば落とされる苦笑。
「つか、図書館を食い物と一緒にするのもどうかと思うけど。」
「まぁ、それ位俺の腹が減ってるってこった。だからさ、この後どっか飯食いに行こうぜ。それ言いに来たんだ」
強引な展開に、クラウドは大きく目を見開く。それに悪びれない笑みを返してやれば、
「あんた無茶苦茶だな。」
と苦笑しつつクラウドは本を閉じた。
 
 
軽愚痴を叩きあいながら、図書館の出口に向かい、職員の横を通り過ぎようとした瞬間、ガタンと何か大きな音がした。
反射的に音源に目をやれば、何と図書館の職員が立ち上がり様椅子を倒してしまったようで、
職員の後ろにパイプ椅子が無残に倒れているのが見えた。
職員は、大きく目を見開き、失礼にもザックスに真っ直ぐ人差し指を向けて、口をパクパクと動かしている。
「ザ、ザックス!?どうしたんだ!?こんな所に来て!?」
突然声を掛けられたのは、有名だからという訳ではなく、顔見知りだからだ。
ソルジャー昇格試験時、余りにも長く延滞していた本があり、それにこっぴどく叱られたのが付き合いの始まり。
彼はザックスの図書館嫌いを熟知している人間の一人だ。
「ま、たまにはな。」
涼しげにそう答えてやれば、何と職員は頭を抱えて蹲ってしまう。
「あぁ、どうすればいいんだ。明日は天変地異が約束されたようなもんだ。
こんな事ならもっと親孝行しとくんだったぁ!!!」
大袈裟なリアクションと、大袈裟な物言いに、流石にうんざりして、そのまま何の声も掛けずに素通りした。
図書館から出て、エレベーターの前にツカツカと歩みを進めれば、クラウドが何度も背後を振り返りながら付いて来た。
「…お前、あそこまで言われるほど図書館嫌いだったのか」
「まーな…つかでもあいつはちょっとオーバーだ。」
呆れたような物言いのクラウドに、肩を竦めて見せる。
「…食わず嫌いの原理だったっけ?」
くすっと小さく声が聞こえて、ちらりとクラウドを見やる。
ザックスが図書館が苦手でなくなった理由を素直に信じて、おかしそうに笑ってくれる。
本当は、別の理由なのだが、それは敢えて伏せている。
完全に表情を落として、全く抑揚のない声で話して、何もかもを拒絶していたクラウド。
多少その傾向は残っているものの、今ではもうこんなにも変わってくれて。
それだけの時を一緒に過ごしてきたと思ってる。そしてこれからもこんな時が続いてくれればいいと思ってる。
不器用な優しさだとか、人生に対する直向さだとか、自分の持ち得ない純粋さだとか、
そんな、クラウドを形作る全ての物にこんなにも惹かれているから。
けれど、それを言うには、友情という名の厚い壁を壊さなければならない。
だから。
 
 
「…つーか、図書館には、お前が居るから。」
 
 
ぼそりと口の中だけで呟くことにする。
「…?何か言ったか?」
案の定聞き取れなかったらしいクラウドに聞き返されたが、「何でもねーよ」と首を振った。
小さく呟いたその言葉が真に彼の耳に届く事はあるのだろうか。
こっそり落とした溜息は、白い霧となって灰色の空に散って行った。