04 あったかい
 
 
寒くて、寒くて、寒くて。
 
 
 
身を切られるような冷たい風が引切り無しに吹き付けてくる。
僅かでも暖を取ろうと、そっと指先に吐息を吹きかけたが、ちっとも効果が感じられない。
寧ろ、その吐息の熱に過剰な期待を掛けていた分、余計に寒くなったように感じられた。
他人の家の軒下。ほんの少し風を防げるその場所で身動き一つせず、身体を精一杯縮こませて。冷たい空気に晒される表面積を少しでも少なくして。
まるで、他人の幸せのお零れを貰っているようだと、そんな風に惨めに感じる段階はもうとうに過ぎてしまった。
自分を悲劇の主人公だとやらに仕立てるには、この寒さは現実味が在り過ぎて。
自分での状況の改善を夢見るには、自分はもう現実を知りすぎていて。
自分が味わっているこの状況を他人のせいにしようにも、何の生産性もない事は解っていて。
だから、今のこの状況を深く考える事はやめにした。
いつもの事だ。
母親が家に帰って来るまで。その瞬間までしか続かない、終わりの見えている地獄だ。
だから。
かじかんで苦痛を訴える指先も。遣る瀬無い程に震える身体も。カチカチと音を立てる歯も。
皆、無視をすればいい事だ。
胸の奥に吹き荒む冷たい風なんか、見ない振りをすれば済むことだ。
そんな事を考えて、どうしようもない寒さに、身を更に縮こませた、
瞬間。
 
 
 
 
 
-----ポウ
 
 
 
蝋燭が、灯った。
いつの間に現れたのか、何処から運んで来られたのか、そして一体何故に突然灯ったのか。
何もかもが謎だらけの蝋燭の炎は、揺ら揺らと揺れて、小さいながらも柔らかく、暖かい光を放っている。
その余りの美しさに一瞬見とれて。直ぐに切迫した己の身を思い出して。
ゆっくりと、手を伸ばした。
 
そっと手を伸ばした先、揺らめく炎の熱は、ひどく心休まって、思わずゆっくりと安堵の吐息を漏らした。
何かを思い出す、その温度。
安らかな、安堵感を呼び覚ます、その温度。
 
 
それは。
 
「…あったかい…。」
 
そっと、呟いた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「………悪ぃ、起した?」
 
心底申し訳なさそうなその声に、クラウドは薄っすらと瞳を開いた。
途端目も眩む様な朝の白い光が視界を覆って、一瞬後には甘くて優しい蒼い虹彩が目に入る。
その青い虹彩の持ち主は疑う余地もなくザックスで、寝転がった体勢のまま、淡いグリーンの枕に片肘をついて、
その上に自分の顔を乗せたまま、クラウドの方を見ている。
開いた片手は、ひどく優しい仕草でクラウドの髪を撫で付けていた。何度も、何度も。
暫く自分の状況が解らず、ぼんやりとその感触を追っていたクラウドだったが、
枕に右頬を押し付けた形で寝入っていたらしい自分の、驚くほど間近にザックスの顔がある事に気付き、心臓の鼓動が忙しくなる。
何故自分がザックスと同じベッドに横になっているのか、何故にこんな甘ったるい瞳で自分が見られているのか、
その理由を今更ながら理解したクラウドは、頬に朱が上るのが自分でも解った。
 
 
「…何、見てんだ変態。」
 
 
寝顔をずっと観察されていたのだと悟って、気恥ずかしい気分になる。
しかもこんな締まらない顔で、髪を撫で続けられていたのに自分は今の今まで気付かなかったのだ。
訓練が足りないな、などという酷く見当違いな事を思いながら、相変わらずクラウドの髪を撫で続けているザックスの手を振り払った。
ザックスが小さく苦笑したのが見えて、ほんの少しいたたまれないような気分になるが、今更後悔した所で仕方がない。
 
ザックスに、髪を撫でられるのは嫌いではない。ただ、気恥ずかしくて仕方がないのだ。
昨夜の己を思い出すと尚更。
そこで昨夜の自分の痴態やら、何やらを思い出して、うっかり頬に朱が上る。
そんなクラウドの気持ちなどお見通しなのか、ザックスはその紅い頬については深くは追求しなかった。
ただ、
 
「変態ってひでぇだろ」
 
などと笑って、ついていた肘を崩し、ごろんと転がる。
ザックスは、茶色い染みの浮き出た、ボロイ寮の天井を見ながら、
「好きな奴の寝顔見てたいっていうのは当然の心理だろー」、などとほざいた。
勿論その台詞は黙殺。
ただ、
こっ恥ずかしい台詞を綺麗にスルーするのはもういつもの事だったので、ザックスも大して気に留めていないようだ。
「無視かよ」と笑って、さっさと次なる話題を口にする。
 
「あ、そいやお前、何か夢でも見てた?」

「いや、別に。……何で?」
突然なる話題に、一瞬ぎくりとしたが、反射的に首を振ってしまった。
実際見てはいたが、ここで見たなどと言ったら、その内容を話さなければいけなくなると思ったからだ。
自分の見た辛気臭い夢など、朝っぱらから語るようなものでもない。
ザックスは、そうか?と少し意外そうな顔をした。
 
「なんか、『あったかい』とか言って目覚ましたからさ、夢見てたのかと思った。」
 
「………」

不覚な発言に、自分を責めるも、無意識の産物なのだから仕方がないと自分を納得させる。
 
あったかいと呟いたという記憶は確かにあるが、夢の中の事だと思っていた。
ただ、嘘をつくのはそう得意ではなかったから、こんな些細な言葉にも、適当に返す事もできない自分が恨めしかった。
だが、幸いザックスがそれを気に留めることはなかったようだ。「ふーん、何だ」などと呟いていている。
 
「…そーいうあんたは?」
 
深く追求されるのが怖くて、思わず言った言葉に、ザックスは視線だけをこちらに向けた。
 
「…あぁ。…俺はさ、今日故郷の夢見た。」
 
ポロリと漏らした予想外の台詞に、思わず目を見開く。
まさか、同じ物を見ていたとは。
故郷の夢。1年中温暖な気候であるゴンガガと、逆に1年中寒冷な気候であるニブルヘイム。
相反する気候の土地だが、お互いが故郷とする地を見ていた。
それに、何だかくすぐったいような、甘いような、そんな気分を呼び起こされる。
 
「なーんか、俺がよく登ってた木だとか、蛙事件とかがあった玄関なんかが出て来て、懐かしかったな。」
  
「…何だよ、その蛙事件ってのは。」
 
ザックスの低くて甘い声を、まるで睦言を聞くように聞いていたクラウドだったが、不意にとんでもない言葉を聞いた気がして、
思わず問い返していた。

「あぁ、それ?」
 
天井を向いていたザックスが、ちらりと視線だけをこちらに向けると、にやりと口の端で笑みを作った。
 
「いや、まぁゴンガガじゃ珍しくも何ともない事件なんだけどさ。
俺が朝早く、かぁちゃんに頼まれて、玄関のポストまで新聞を取りに行った時のことなんだけど、
ポストまで行くのに一々靴履くの面倒臭くってさ。裸足で、玄関を出た訳だ」
 
「…原人だな。」
 
「失礼な。その位誰でもやるだろ。」
 
年中寒冷な気候のニブルヘイムでは、裸足で外に出たりなどすると、直ぐに足先が信じられないくらいに冷えてしまうから、
そんな事考え付きもしなかったが、余りにも自信満々なザックスのその様子に、そうなのだろうかとぼんやり信じてしまう。
 
 
「…そんでさ、玄関開けて、外に一歩踏み出したはいいんだけど、何だか妙に冷たい訳よ。足の裏が。」
 
「………」
 
何となく先の展開が読めて、クラウドが顔を顰めると、ザックスはもう一度、唇を笑みの形にした。
 
「そう、ご想像の通り。
思わず下向いて俺は絶叫したね。俺の足の下に、すっげーでけー蛙がいやがんの!もう、こんなん。」
 
手で、蛙の大きさとしては信じられない位の大きさを示すザックスに、思わずクラウドは口元を手で押さえてしまった。
 
「うわ…気持ち悪…。」
 
「そう、気持ち悪くてさ。思わずそのまま家に駆け込んで、エライ怒られた。
蛙の汁つけた足で家に上がるんじゃありませんっ!それに折角仕留めたんなら、今日の夕飯にするからちゃんと持ってきなさいっ!てさ。」
 
「…………一生行きたくないな。ゴンガガには。」
 
信じられないくらい大きな蛙が玄関先に待ち受けているだけならいざ知らず、
それがその夜の夕飯になるような、クラウドの地方では信じられないような食習慣を持つ地方の話を聞いて、
クラウドは心底心の底から搾り出すような溜息を吐いた。
 
「あ、でもそれだけじゃねぇんだぜ?」
 
クラウドのあんまりな反応に、ザックスは慌てて弁解する。
 
「やっぱ田舎だけあって、星はすげー綺麗だし、果物とかもそこらじゅうになってて…
…あぁ、それに夏は川の近くに蛍が飛び交っててすげぇ綺麗なんだ。」
 
「へぇ…蛍か……」
 
闇夜を飛び交う、淡い光。点滅を繰り返し、緩やかに舞うその姿は、
それこそテレビのドキュメンタリーでしか見た事がないような光景だった。
 
「見て、みたいな…」
 
ぽつりと漏らしたクラウドに、ザックスは小さく笑うと、ごろんとこちらに寝返りをうった。
 
「来いよ。」
 
「…え?」
 
真っ直ぐ自分に向けられる視線は、とても優しく、そして、信じられない位の甘さを孕んでいて。
 
「俺の故郷。お前に俺が生まれた町を見せたい。」
 
視線よりも遥かに甘いその声に絶句した。
そんな甘ったるい声で、下手なプロポーズよりもプロポーズらしい台詞を紡ぐ。
 
「そんでさー、今や勘当寸前になってるご両親にお前紹介すんの。俺の大切な人ですって。」
 
「…何薄ら寒い事言ってんだ。」
 
慌ててぶっきらぼうにそう言うが、心臓は痛いほどに脈打っている。頬が赤くなっていないかが心配だった。
 
「えー何だよー。俺は心の底の本心から言ってんだぜー?」
 
子供のように拗ねた口調。けれどそれは一瞬のうちに改まった。
クラウドの瞳を真っ直ぐに見て、逸らす事さえ出来ない真摯さで。
 
「お前さ、俺のことタラシだタラシだ言ってるけど、こんな事言ったの初めてだ。
お前だけだよ、クラウド。」
 
今度こそ、自分の頬が熱を持ったのが解った。
熱に浮かされた情事の最中ではなく、酒で自分の正体も解らない程に酔っている訳でもなく、
こんな朝日の差し込む、何の変哲もない部屋で、何故臆面もなくこんなこっ恥ずかしい台詞が言えるのか。
思わず、視線を逸らしてしまったクラウドに、ザックスの小さく笑う声が聞こえた。
 
「でも、お前の故郷にも行ってみたいな。お前の生まれた町、見て見たい。…すげー寒そうだけど。」
 
最後の方だけ心底嫌そうに落ちた声のトーンに、クラウドは思わず笑ってしまった。
 
「…うん。すごい寒い。雪だって信じられない位積もってるし…。」
 
自分の覚えている故郷を素直に言葉に乗せていく。
こんなにも穏やかで優しい気持ちで故郷の事を思い出したのは始めての事だった。
不意に、何を思ったのか、ザックスは思い切り顔を上げて、瞳を輝かせた。
 
「そう、それ!それが見てーんだよ。白銀の世界ってゆーの?
俺そんなのテレビのドキュメンタリー位でしか見た事ないからさー。
膝ぐらいまで足埋もれさせてさくさく雪の上歩くとかすっげ憧れなんだ。」
 
「…ジャングル生まれの壮絶寒がりなくせしてか?」
 
「うるせ。」
 
途端に剥れた顔をするザックスに思わず笑ってしまった。
寒い寒いと不平を言うザックスが、白銀の世界で、足を縺れさせながら歩く様子を想像する。
その横を、苦笑しながら歩く自分。
きっとそれは、ひどく甘やかな時間なのではないだろうか?
思わず、笑みが漏れた。
 
「…来れば?」
 
「え?」
 
まさかそんな事を言うとは思っていなかったのか、ザックスが驚いたように瞳を見開く。
 
「母親に紹介どうのこうのは勘弁して欲しいけど、案内くらいならいくらでもしてやるよ。」
 
「…紹介もしろよ」
 
文句を垂れつつも、ザックスは心底嬉しそうに笑った。何だか犬コロみたいな反応だなと思ったらおかしくって。
そう、目も眩むような白銀の世界を見たら、ザックスはそんな反応を返してくれるんだろう。
だったら、連れて行ってやるのも悪くはない。
…それに。
 
「俺も、あんたに俺の故郷、見せたい」
 
 
クラウドの台詞に、ザックスは一瞬呆気に取られたような顔をしたが、
すぐに、こちらが恥ずかしくなるような甘ったるい瞳をして、笑った。
 
 
 
寒くて、寒くて、寒くて。
身を切られるような冷たい風が引切り無しに吹き付けてくる、
凍えるような寒さの街だったけれど。
 
 
 
 
 
ザックスがいれば、
きっとあったかいから。
 
 




 
♪いつか二人で行きたいね雪が積もる頃に〜
GLAYのWinter Ageinより、でした。
私はこの歌を聴くたびに何だか泣きたいような気分になるのですが、皆様はどうでしょうか?
当HP初兆戦、事後の会話(爆)
凄まじく甘ったるい話を読んで頂いて、ありがとうございますv