Act 1   始まりは突然に
 
 
 
空気の澄んだ夜だった。
雲に隠された月が、風の力を借り、その姿を晒す。
漆黒の空には場違いなほどの満月。
そこから煌々と降り注ぐ光が、草原に立つ古びたコテージを柔らかに照らした。
コテージは林に囲まれており、周りには所かまわず枯れ草が生い茂っていた。持ち主が久しく手入れしていない証だ。
ここは景気の良かった時期、キャンプ場として大々的に観光化されるはずであった土地である。
だが景気ほど不安定な物はない。案の定好景気は長続きせず、突然訪れた大恐慌によって、
計画していた会社は経営破綻に陥った。経営の厳しい会社が、作りかけのコテージの撤収に金をかけるはずもない。
結果放置されることとなったこの木製のコテージは諸行無常の真理を代返しているかのようだ。

そのコテージ周辺を取り囲む木々の下に紫煙を燻らせた男が一人立っていた。

「…そろそろ、だな」
男は小さく呟いた。男にしては少し高く、また全く抑揚がない声。
続いて男は煙草の火をブーツの裏で消した。
腕にはまったデジタル時計にちらりと目をやり、木に持たせ掛けていた体を起こす。
その反動でふわりと見事な金髪が揺れた。髪に隠されていた顔が顕になる。
顕になったのは金髪碧眼で女性のように美しい顔立ち。
男はその顔に似合わず物騒な物を手に握っていた。
銃。小ぶりではあるが殺傷能力に優れた製造禁止モデル。
どうやら彼は銃の弾を点検しているらしい。
点検を終えると男は腰に手を伸ばし、剣の柄を確かめるように軽く握った。
空色の瞳が鋭い光を宿す。
「…『仕事』だ。」
男は小さく呟くとコテージに向かって歩き出した。。
 
 
 
男の名はクラウド=ストライフ
職業は暗殺者、俗に言う掃除屋だ。
それも世界に名を轟かす大企業新羅カンパニーお抱えの暗殺組織、『デリーグ』の一員だった。
金髪碧眼で、非常に整った女性的な顔立ちをしており、体つきも華奢でどこからどうみても絶世の美女。
だが、その女性的な印象とは裏腹に、人間離れした力を持ち、これまた人間離れしたスピードを持つ。
そして今までに殺り損なったものはいないというのが定評の組織内ナンバーワン。
その実績ゆえにかやっかいな相手にはボスから直々に指令が下る。
そして今回の任務もまたボス直々の指名だった。
何度刺客を差し向けても結果の出せないターゲットに痺れを切らしたらしいとの話だ。
直々の指名。それ故に失敗は許されない。
 
 
クラウドは軽く息をつくと、中の気配を窺った。
中の気配は驚くほどに薄い。まるで野生の獣が草むらに潜んでいるかのような微弱な気配。
(悟られたのか)
クラウドはそれに気付いて驚きを禁じえなかった。未だかつて自分の気配を読み取られたことなど一度もなかったからだ。
そのためほとんど剣を交えることなしに仕事は完了していたのだが。
クラウドは気を引き締めて剣に手をかけた。今日は剣を交えずには済みそうもない。
相手は相当の手垂れであるようだ。
唇を湿らせてゆっくりと扉に近づく。
扉の向こうとこちら側、お互いに気配を探り合っていることが肌で感じられる。
立ち込める緊張感。
戦いの場に常に身を置く者としての勘を信じてその瞬間を見出して。
 
扉を開けた。
 
暗い室内に一気に飛び込む。
続いて剣を振り下ろした。
金属と金属が衝突する鋭い音が辺りに響く。

受け止められた。

クラウドは小さく舌打するとすぐに背後に飛んだ。
剣をしっかり構えて相手を見据える。
思ったより若い男だった。
黒髪、青瞳の端正な顔立ちの男。体格も良く、無駄のない体つきをしている。年は自分より少し上くらいだろうか。
男は大きく目を見開いて驚いたようにこちらを見ている。
この暗闇でもこちらの顔が見えるらしい男にクラウドは内心驚いた。
男が驚いた理由は想像に易い。恐らくこの顔の所為だろう。
不本意ながらも自分の顔が女顔であることは熟知していた。
自分を狙っている暗殺者の顔が女じみたものであれば驚くのも無理はない。
そう内心では理解しているのだが、自分のこの女のような顔に劣等感を抱いているクラウドは舌打ちしたい気持ちで一杯だった。
 
クラウドは体勢を整えるともう一度男に飛び掛った。
今度は横に払うが、紙一重でよけられる。深く踏み込んで突き込めば、なぎ払われた。
見事な剣捌き。見事に寸部の無駄がない。
しかも何度打ち込んでも必ず相手は打ち返してくる。
 


打ち合っているうちにクラウドは奇妙な違和感を覚えた。
初めはそれが何だかわからなかった。
だが、相手がこちらの隙をついて剣を振り下ろした瞬間それに気付く。
右だ、そう感じたのだった。
これといった証拠があったわけでもないのにそう思った。
相手の次の動きがわかるのだった。
だがだからといってすぐに反撃を入れられるわけではない。
こちらが相手の動きが読めるように相手にもこちらの動きは読まれているようだ。
何故かは分からない。だが敢えて言うのなら戦いの勘が似ているというのがしっくりとする。
こちらが右と思えば必ず右に打ってくるし、こちらが左に打ち下ろそうとすれば待っていたとでも言うように打ち返される。
まるで息のあった芝居をしているようで非常に戦いにくい。
未だかつてここまで戦いにくい相手には会ったことがなかった。
 
だが、戦っているうちにクラウドはもう一つ気付く。
スピードはほぼ互角。けれど腕力は相手のほうが優勢なようだ。
それは相手が扱っている武器のせいもあるかもしれない。
大剣を振りかざすこの男の一撃一撃はとにかく重い。受け止めるたびに腕が痺れるほどの衝撃を感じる。
力の勝負に持っていかれたら恐らく負ける。そう解っていたからこちらは技で応戦しようとしたのだが。
それも続く重撃の前では厳しい。
焦りが隙を生み、そこを付かれる。
続く応戦に自分でも気付かないうちに疲労していたらしい。判断を誤った。
「…っ…」
気付けば一番とってはならない体勢に追い込まれていた。剣と剣が交差した力のぶつけ合い。
お互い一歩も動けない。
これでは力と力の勝負のみで決着をつけられてしまう。
暫くはそのままの体勢で持ち応えていたが、相手の剣はとにかく重い。腕が限界を告げていた。
これでは駄目だと感じた。後ろに飛ぶ距離を測ろうとする。
ーーその瞬間剣が弾き飛ばされていた。
「…っ!」
しまったとは思うものの剣を拾いに行くことなどできるはずがない。
一つ舌打ちするとクラウドは予定通り後ろへ飛んだ。
緊急時用に腰から下げていた銃を取り出すつもりだった。
だがそれも読まれていたらしく着地した時、既に男は目前。
 
戦いなれていると感じた。
 
動きの選び方、楽な流し方、相手はそれを知っている。それは戦えば戦うほどに磨かれていく一種の感覚である。
つまりこの男はクラウドよりも実戦経験が多く、今の時点では勝つのは難しい。
それでも諦めるわけにはいかない。剣を振り下ろそうと腕を振り上げた瞬間が最後のチャンスだ。
そう思って相手を見据えた瞬間
 
 
視界が反転した。
 
 
 
先程まで見えていた壁とは異なる木目が天井のものであることに気付いたのはたっぷり5秒はたった後だった。
目の前にはあの男の顔。
男は全体重をかけて自分にのしかかっている。そのことに気付いたのは更に3秒経った後だった。
自分の置かれている状況を理解してクラウドは男を思いっきり睨みつけた。
男は怯んだ様子も見せない。ただ何か言いたそうに一瞬口を開いた。
何度か躊躇うように口を動かし、だが何の言葉も発せずそのまま口を閉じ、そのまま唇を笑みの形にした。
 
「お前気に入った。」
 
「なっ…」
思いがけない台詞に思わずクラウドは声を上げた。
すると男は何が楽しいのか小さく笑う。
「お前の動きは並じゃない。剣の筋もいいし、戦いの勘も身についてる。
こんな狭いところじゃなくて、もっとお前の速さを生かせるところならお前もっと強いだろうな。」
一つ一つ噛み締めるように男は述べる。
(何なんだこいつ…)
次々とクラウドを分析している男の意図が全く読めなかった。
体の下から逃れようと必死に手足を動かそうとするが、まるで何かの技にかかっているかのように全く動かない。
男は動く気配もなく暴れるクラウドを見つめていたが、おもむろに言葉を発した。
「お前俺に雇われる気はないか?」
 
「…は?」
 
思わず体の力が抜けた。
相当間の抜けた顔をしていたのかもしれない。男はおもしろそうにクラウドを見ている。
「あんた何言って…」
「いや、俺さ仕事柄結構命とか狙われること多いわけよ。
だからその練習みたいな事しておきたいってわけ。」
男の言葉を理解するには瞬き3回分の時間を要した。それほど突拍子もない提案だった。
「な…、俺はお前を殺すために雇われた暗殺者だぞ!?」
きっちり瞬き3回の後、ようやくクラウドは声を上げた。
どうやらこの男は自分とクラウドの関係を把握していないようだ。
というかそれしか考えられない。だから立場をはっきりさせようと声をあげたのだが。
「ああ、そうだな。」
男はさらりと流した。クラウドが絶句していると男はだからどうしたんだとでも言うように首を傾げた。
 
全く持って理解不可解。
 
クラウドは眩暈がした。
どこの世界に自分を殺そうとした暗殺者をこのような理由で雇う奴がいるというのだ。
「俺は仕事を放棄しない主義だ。懐柔しようとしても無駄だ。殺すなら殺せ。」
他に考えられる可能性はこれしかなかった。
男は一瞬きょとんとしたが、すぐにあっけらかんとした笑みを浮かべる。
「仕事は放棄する必要ないだろ?俺の命を狙うって事実には変わりがないんだから。」
再びクラウドは押し黙った。全く何を考えているのかわからない。
男の真意が一体何なのか全く想像がつかない自分に苛立った。
男はクラウドの返事を待っていたようだが、押し黙ったクラウドに焦れたのかわざとらしい溜め息をつく。
「俺の命を狙うってだけで金が更にはいるんだぞ?こんなに良い仕事はないとおもうけどな。」
「…あんた正気か?」
正気の沙汰とは思えない言葉の数々に思わず口を開いた。
男は漸く口を開いたクラウドに気をよくしたのかにっこりと笑う。
「あぁ、今までにないって位正気だ。」
「…第一そんな事に金払ってあんたに何の得があるんだ?」
「お前に狙い続けて欲しいんだよ。他の奴じゃなくてな。」
男は何でもない事のようにいう。
まだわからない。
「お金なんか払わなくてもお前を殺すまでは俺がお前を狙い続けなきゃいけないことには変わりはない。」
「だってお前がずっとしくじってたら他の奴と代わらなくちゃいけなくなるだろう?」
『ずっとしくじっていたら』、暗にお前に俺が殺せるわけがないとこの男は言っている。

頭に血が上った。

「代わるはずがないだろ!その前に俺がお前を殺すんだから!」


叫んだところで男がにやりと底意地の悪い笑みを浮かべた。
その瞬間挑発に乗ってしまったことに気付く。
「商談成立だな。で、言い値はいくらだ?」

「…何言っ!」
「一千万」
さらりと放たれた額。思わず言葉に詰まった。今この男は何と言った?とんでもない額を口走りはしなかったか?
クラウドの沈黙を別の意味にとったのか男は次の言葉を口にする。
「足りないか?じゃあ五千でどうだ?」
「あんた…」
「じゃあ一億。」
今度こそ本当に返す言葉もなかった。ただただ相手の男を見てしまう。
身のこなし方から只者ではないと思っていたが、ここまでの額を平気で口走る人物に驚きを禁じえなかった。
一体何の職業をしているのか。麻薬の密売にんなのか。はたまた自分と同じ暗殺者なのか。
押し黙って身じろぎ一つしないクラウドを男なりに解釈したのか、男は胸もとのポケットから素早く一枚のカードを取り出すと
クラウドのポケットに押し込んだ。クラウドはポケットに視線を落とす。
「契約完了…だな」
にやりと笑って男はクラウドの拘束を解く。続いてゆっくりと上半身を起こした。
自分の上の重力が消える。クラウドは我に帰って体勢を整えようとした。
が、そのときにはもう遅かった。
 
鳩尾に鋭い衝撃が走る。

意識が暗い暗い淵に落ちていく。 
最後に目に映ったのは、男の楽しげな笑み。
(ふざけん…な)
それを最後にクラウドは意識を手放した。