Act 10 見えない血痕
階段を上ると言う行為には危険が伴う。
何しろ、この組織の階段ときたら、上から下まで吹き抜けになっており、ちょっとした足音でも、
油断すれば簡単に上の階にも、下の階にも響き渡ってしまうし、上の階や下の階から、いつ人が来るか解らないという厄介な代物なのだ。
階段で姿を発見されれば、階段という性質上一本道になり、逃れようがなくなってしまうから、
常に神経を集中させ、微かな物音にも微かな気配にも気付く必要がある。
ザックスは、錆の浮いた手摺をなぞって、神経を集中したまま階段を下りた。
BF5。
最後の一段から足を下ろせば、奥の通路の壁に、数字と英語の案内が彫られているのが目に入る。
流石にこの階の作りは、地下牢のあったフロアの作りとは格段に違う。
果てしなく続いて見える廊下の壁は、むき出しのコンクリートである事に変わりはないが、
2メートル間隔に取り付けられたランプは、暖かな光を放って、視界をクリアな物にしているし、
時折目に入る調度品は、侵入者の目を眩ます為というよりは、
本当に生活空間に彩を添えるという意味で置かれているらしく、洗練された物が多かった。
それは、閉鎖的な空間故、限られた装飾しか不可能であるこの地下組織において、権力者のために
出来うる限りの贅を凝らそうと工夫した結果なのだろうと思える。
そう、この地下組織において、最も装飾品の多いこのフロアは、ラストリアの頭領、ガルドの部屋があるフロアだった。
クラウドには言う必要性を感じなかったから、言わなかった事だが、
ザックスがあの男に聞いたのはカードキーの場所ではなく、ガルドの居場所だった。
マスターキーは間違いなくガルド、もしくは彼の側近が持っているだろうから、 何もわざわざ駆けずり回って狭い鍵の管理室を探すなんて手間はかけず、彼から直接奪えばいいだけの事だ。 それに、得るものも、かかる手間も同じならば、鍵管理の警備兵をのすよりも、組織の頭を狙ったほうが脱出する際より都合がいい。 『…そんな簡単に喋ってくれたのか…?』 不意に、クラウドのそんな言葉を思い出して、足音と気配を完全に消しつつ廊下を進んでいるザックスは、唇に苦い笑みを貼り付けた。
あの瞬間のクラウドの鋭さにはザックスは内心舌を巻いたものだ。
咄嗟に吐き出した台詞は自分らしくもなく、探りを入れられる隙を多分に含んだ物になってしまった。
後々の自分は不自然さを隠せなかっただろうとは思う。 ただ、深く追求されなかった事に安堵を覚えた事を悟られなかったのがせめてもの救いか。
いくら最近募った者であるとはいえ、組織の人間が一組織の頭領の居場所やらを、そう簡単に喋ってくれるはずはない。
それだけの事をやったから喋ってくれたのだ。
初めは必死で拒んでいたあの男も、本気の殺気をチラつかせ、
ソルジャー時代に身に着けた拷問技術の一端を見せてやれば、軽くその居場所を吐いた。 クラウドにしては驚くほどの短時間だったようだが、ザックスの感覚的には、あれだけの時間粘っただけでも賞賛に値する事であると思った。
ソルジャーが行う拷問など、相当えげつない事だ。
兵とは言えども、組織増強のために最近募った多少腕っ節の強い一般人にはそうそう耐えられる事ではない。
クラウドをあの場から遠ざけたのは、確かに見張りも必要だったからだが、それよりももっと大きな理由は、その拷問現場を見せたくなかったからだ。
肉体的苦痛と精神的苦痛によって、急激に相手の心を壊していくという限りなく残酷な行為。
それを、彼に見られる訳にはいかなかった。
多少警戒を弱めているあの青年に、再度警戒心を植え付けるような真似は極力避けたい。
そうでなければ今までの自分の行動の意味が全てなくなる。全て水の泡というやつだ。
折角ここまで、全てが順調に進んでいるのだ。ここでしくじる事は避けたい。
ザックスは、廊下の先の、明かりの光の漏れた部屋の前で立ち止まった。完全に気配を消して中の気配を窺う。
中からは、低い話し声がぽつりぽつりと聞こえ、その中に先程牢の中で聞いた、何処か威圧的な声が存在する事を確かめた。
気配は3つ。それだけ認識し、一気に中に踏み込んだ。
「…なっ!!貴様っ!」
驚いたような顔をして立ち上がる見覚えのある顔と見覚えのない顔。
完全に油断している敵を始末する程簡単な事などない。
次の瞬間には、全員が膝を付いていた。
一人は右肩から腹にかけてばっさりと、もう一人は腹から左肩に抉り上げるように、
そして最後の一人、ガルドは腹の真ん中に深々と剣を突き刺されて、
目にも鮮やかな動脈血が一瞬にして壁やら床やら天井やらに撒き散らされる。
一瞬にして様変わりする洗練された室内。広がる地獄絵図。
「…う…」
ガルドが全身に冷や汗を浮かべながら、低く呻いた。
荒い息で、未だ突き刺さった剣に手を掛けるが、大量の出血で弱っているこの男に、自分の力で刃を引き抜く事など出来るはずもなかった。
「…き、貴様、…どうやっ…て…」
切れ切れの息の合間に響く声に、ザックスは冷たい笑みを浮かべた。
「別に。あんたが馬鹿だっただけの話だろ。あれ位の檻でソルジャーを閉じ込められるって思うなんざ甘ちゃん以外の何物でもないな。」
「…ソル、ジャー…?」
苦痛に顔を歪めながらも、怪訝そうな顔を見せるガルドに、ザックスは片眉を上げる。
「…何だ。本気で世間知らずの坊ちゃんだったのか。ソルジャーが持つ魔光色の瞳ってのさえ知らないとはな。」
薄く笑って、目のした辺りを剣を握っていない右手の人差し指でとん、とんと叩いてやれば、ガルドはその鋭い黒色の瞳を大きく見開いた。
そのままガルドの表情がこれ以上ない程に強張る。
「それでは…貴様が…ソルジャー…ザッ…クス…?」
思いもかけず出てきた自分の名に、ザックスは薄く笑う。
「…へぇ…ソルジャーの瞳も知らないような坊ちゃんに名前を知られてるとは俺も随分と出世したもんだ。」
嘲笑うかのような言い方にも、ガルドは固まったまま微動だにしない。
驚きというより恐怖のために身動きが出来ないと言った方が妥当かと思われた。
自分の名が持つ力をザックスも知らない訳ではない。
不意に、ザックスは目を細めると、「動くな。」と抑揚のない、だが強い口調で言い放った。
切り裂かれながらも頭領の危険に反応し、武器に手を伸ばした一人に気付いたからだ。
「動いたら、こいつの首も、お前の首も一瞬で飛ぶ。お前がそこの拳銃をその手に掴む前にな。
ソルジャーがその位の戦闘能力を持ってる事位お前らも聞いた事があるだろう?」
一瞬だけ視線を向けてやれば、武器に手を伸ばそうとしていた男がごくりと唾を飲み込むのが解った。
改めて視線をガルドに戻す。
「俺の名前知ってるって事は…こんな噂も聞いた事あるんじゃないか?」
薄く笑みを滲ませながら、これ以上ない程冷酷に。
「残虐非道、冷酷無比、命乞いも役に立たない…ってな?」
一瞬ガルドの瞳を過ぎった、死への恐怖。そして、生への執着。それに小さく笑って、突き刺した剣を軽く捻り上げてやる。
途端ガルドは零れ落ちるのではないかと思うほどに目を見開いて、身体をびくりと痙攣させる。続け様大量の血を吐いた。
「ぐはっ!」
捻る動きを止めてやれば、ガルドは肩を大きく上下させて、大きく咽んだ。
血の気を失った唇を震わせ、荒い息を繰り返す。
それを冷たい視線で見守った後、ザックスはガルドの身体に深々突き刺さっていた剣を一気に引き抜いた。
突き刺さっていた剣で身体を持ち上げられていたガルドは、もう一度低い呻き声を上げると、自重に任せて落下した。
ドサリと鈍い音を立てて床に叩き付けられる。それを一瞥して。
「今回は見逃してやるが、警告しておく。クラウドに手を出すな。あれは俺の物だ。」
視線と声音に冗談ではすまない本気の殺気を滲ませる。次に邪魔をした時は本気で消すつもりだった。
「言っておくが、次はこんな怪我くらいじゃすまない。」
吐き捨てるように言うと、ザックスは剣を大きく振るって、付着した血液を振り落とした。
もう、こいつらに用はない。
後はクラウドとの約束の物をさっさと回収するのみだ。
ザックスはガルドからついと視線を逸らすと、先程武器を手に取ろうとした男の元に歩み寄る。
ザックスが歩み寄ってくる恐怖にだろう、座り込んだまま後退りをする男に近付いて、地上へ脱出するカードキーの居場所を問えば、
腰を抜かしたまま震えた手で差し出してきた。頭領が重体で、何より彼の介抱が優先事項であるこの状況故、
差し出した物が偽者である訳がない。他愛もない作業だった。
受け取ったカードキーをズボンのポケットに無造作に押し込む。
カードキーを受け取ってしまえば今度こそこの場に用はなく、ザックスはガルドたちにさっさと背を向けた。
「…何故…、殺さない…?」
正に扉を潜ろうとした瞬間、掛けられた声。ザックスは立ち止まり、口元だけで笑った。
『残虐非道、冷酷無比、命乞いも役に立たない』そんな謳い文句を欲しいままにしている男の見せた慈悲が心底不思議なのだろう。
無視を決め込んでもいい事だが、傷だらけで虫の息であるにも関わらず、好奇心を失わないその心意気に何となく答えてみようかという気になった。
身体は前を向いたまま、顔だけをそちらに向ける。血まみれのガルドが息も絶え絶えに身を起こそうとしているのが目に入った。
「俺が、新羅が嫌いだからかな。」
「………な、に…?」
顰めた眉は苦痛ゆえか、疑問ゆえか。どちらにせよ自分には関係のない事だが。
ザックスは口元を笑みの形にする。
「単純な事だ。新羅に嫌がらせをするためだったら俺は何だってするってことだ。だから、生かしといてやる。」
ザックスの言葉に、何か自分なりの答えを見つけたのだろう。ガルドの瞳が大きく見開かれる。
「…それでは、やはりクラウドは…」
言いかけたガルドを鋭い視線で睨みつける。
「…深入りは感心しない、とさっき言ったばかりだぜ…?」
ザックスの殺気を孕んだ低い声音に、ガルドが息を呑んだのが感じられた。
「…折角拾った命だ。大事にするこったな。せいぜい新羅を困らせろ。期待してるぜ。」
そう言って、薄い笑みを張り付かせると、今度こそ振り返らず、後ろでに手を振った。
部屋を出たとき、頬に水が伝う感触感じて、そっとそこに手を当てる。
薄暗い廊下では、ただの黒く見える液体がべったりと指先に張り付き、舌打ちをした。
服の裾でしっかりと拭い取る。
自分はカードキーをちょっと失敬してきた。そういう設定なのだ。
返り血を、クラウドに見せる訳にはいかなかった。
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