Act11 脱出
 
 
眩しかった。
長らく地下に居た反動だろう。目がうまく開けれなくて、眉根を寄せる。
クラウドは目に痛い程に差し込んでくる陽光を、手を眼前に翳すことで、僅かばかりの抵抗を試みた。
「うわ…眩っしいな…。モグラになったみてーだ。」
背後から聞こえるうんざりした様子の声に振り向けば、ザックスも同じように眼前に手を翳していた。
組織を脱出したにも関わらず、相変わらず殺気の欠片どころか警戒心の欠片もあったものではないザックス。
クラウドはもうただただ溜息を落とすしかなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ザックスと別れてから、クラウドは手早く男を牢屋に放り込み、出来る限りのスピードで打ち合わせた階段に向かった。
それ程に急いだのは、カードキーを手に入れたザックスを待ち受けるためだ。
ザックスはああは言ったが、クラウドを囮にして一人で脱出しない可能性がない訳がない。
それは自分達の関係を想えば至極当然の事だ。
出し抜かれたくなければ、早めに作業を終わらせる。暗にザックスの忠告に従うような形になってしまった事は少し悔しい。
だが、確かに自分は油断しすぎていた。信じるべき相手と信じるべきではない相手の区別の方法を完璧に誤っていたのだ。
階段に腰掛けたまま、クラウドは一人頭を抱えてしまう。
一体何をトチ狂っていたのか自分は、と一連の出来事を振り返り。
思い出せば思い出すほど、うんざりした気分が圧し掛かってきて、クラウドは過去を振り返る事を放棄したくなる。
それ位あの男、やる事成す事どころか言う事までもが全てが全て信じられないくらいに常識という壁からかけ離れている、
ザックスという名の男が解らなかった。
突然襲ってきた暗殺者にゴールドカードを渡して雇おうとするわ、暗殺者の敵を自分の敵とみなし一緒に戦ってみるわ。
挙句の果てには何でも屋への勧誘までする始末。とてもではないが、一般人の思いつく発想からかけ離れている。
何を考えているのか、何がしたいのか、何が目的なのか。全てが全て一切合財謎だ。
その謎な男と一時的とはいえ共同戦線を結んでいる自分が酷く情けなかった。
大体自分は流され過ぎているのだ。
どう考えても、初めに共同戦線を言い渡された時から、断固拒否するべきだった。
例えどういう状況に追い詰められていたのだとしても立場上そうすべきだったのに、いつしか一緒に戦う事を承知していて。
どうせ連れて来られる羽目になるのなら、ザックスと共同戦線など組むべきではなかったなどと今更考えても際なき事まで考えてしまう。
ただ、共同戦線を言い渡したザックスの声音には、強制力だとか、威圧感だとかいう負の力ではなく、もっと別な何かを感じたから。
だから強く拒否しようだなんて思わなかった。
だがそれも言い訳にしか過ぎない。ザックスの手など借りずに自力で何とかすべきだったと今なら思うのに。
 
「…何、流されてるんだ…」
 
情けなくもそんな事を呟き、溜息を落とした瞬間。
足音が聞こえた。
一瞬気を張り詰めさせたものの、靴音の質でザックスだと気付く。
自棄に早い。あれから1時間も経っていないのではないだろうか。
だが、前方から悠々と歩いてくる黒髪の男は間違いなくザックスだ。
敵に捕らわれ、そこから脱走。そんな非常事態にも関わらず、相変わらずの余裕ぶりは何なのか。
「見つかったのか?」
階段の方に歩み寄ってくるザックスに姿を曝せば、ザックスは挨拶代わりに手を上げ、人好きのする笑みを浮かべてきた。
「あぁ、楽勝だったぜ。」
そう言って、人差し指と中指の間に挟んでいるカードをひらひらと振ってみせる。
呑気な口調に、張り詰めていた気が自然と緩んでしまいそうになる自分を慌てて叱咤した。まだ終わった訳ではないのだ。
ザックスは大きく伸びをすると、にっと笑って見せた。
「さ、じゃ、キーも手に入った事だし、こんな所に長々居座る必要もない。さっさと帰りましょか。」
緊張感を出そうと努力をしている横で、まるで散歩帰りのような物言いをされ、脱力感も一塩だ。
だが、ここで流されているようでは何の成長もない。クラウドは意を決して口を開いた。
 
「…ちょっと待った。その前に言っておかなくちゃいけない事がある。」
 
神妙な物言いに気付いたのだろう。
言葉通りさっさと階段に足を掛けていたザックスは立ち止まり、上半身だけ捻って振り返った。
目で続きを促してくる仕草に、クラウドは続けた。
「俺はこの組織から一歩でも足を踏み出した瞬間からあんたを敵とみなす。」
出来うる限りの硬い声で。
このままではいつまでも続いてしまいそうな独特のダラダラとした雰囲気。何処か馴れ合っている関係。
それらは全てここで打ち切るべきなのだ。そうでなければ、このまま何処までも流されてしまいような自分が怖かった。
こちらとしては大真面目に至極当然の事を言ったのに、ザックスはといえば、きょとんとした顔をする。しかも。
「…何でだ?」
などと言って、心底不思議そうに首を傾げだす始末。
あんまりと言えばあんまりな台詞にクラウドは眩暈を覚えながらも、努めて抑揚のない口調で続ける。
「何でって、俺たちは元々…」
「お前俺と一緒に何でも屋やってくれんじゃねーの?」
クラウドの言葉を遮り、あっけらかんとした口調で、まるで当然のような物言いを。
呆れて物も言えないとはこの事だろうか。というかもう、呆れを通り越して、軽く殺気さえ覚える。
「っあんた、人の話っ!」
身を乗り出して噛付こうとするクラウドにも、
ザックスは軽く肩を竦めるばかり。
「まぁまぁ、そんな話後でいいじゃねぇか。人間短期間でも考え変わるモンだし、その話は出口までお預けって事で。」
言い終わるや否や、カンカンと音を立てて階段を上っていくザックスに、クラウドはもう咎める気力さえ無くしてしまっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、今最後のカードキーを通して地上に出たはいいが、この有様。
ザックスはクラウドに完全に無防備な背中を向けている。
お願いだから、警戒心の欠片ぐらいは纏って欲しい。自分達の関係に思考を及ばせれば、そうであるべきなのは明らかなのに。
だがそんなクラウドの心中など知らぬように、余りにも、そう本当に余りのも警戒心の欠片もない横顔をみて。
ふ、と思う。
今、この瞬間、この場所で襲い掛かれば、勝機はあるのではないだろうか?
空を見上げて、「今日こんないい天気だったんだな」と何処か嬉しそうなザックスを見ながら思い出すのは牢屋での出来事。
全くクラウドの気配に気付かず、突然背後に立ったクラウドにただ驚いた顔をしたザックス。
これだけ何の警戒心も抱いていなくて、しかもこの距離でならば、恐らく…。
頭の中のシュミレーションで勝機が見えた。
だが、心の底でそれを実行する気は欠片もない自分に気付き、苦笑する。
 
不本意ながら自分はこの男に随分と助けて貰った。この男が居なければ、『ラストリア』から無事脱出できたか怪しい程に。
だから、せめてもう一度、忠告をしてからにするのが礼儀というもので。
だから、こんなにも日の光を満喫している男をもう少しだけ待ってやってもいいような気がするのだ。
 
「クラウド」
 
急激な光によって、目を閉じても、他の方面に視線を移しても生じていた不可思議な残像が、跡形もなく消え去る頃、
ぽつりと聞こえた自分の名前。ザックスに釣られて空を見上げていたクラウドは、視線を落としてザックスに向ける。
ザックスは、身体ごと振り返って笑っていた。
「…何だよ」
「お前、襲わねーんだな。」
一瞬呆気に取られたクラウドだったが、何処か人の宜しくない笑みに、クラウドの葛藤などお見通しだった事に気付く。頭に血が上った。
「っ!あんたがそんなに無防備過ぎるからだろ!」
「あぁ、だって俺お前と戦う気なんてねーもん。」
全く悪びれず、あっけらかんとした物言いをするザックス。
「っ!あんたいい加減に…!」
「クラウド」
しろ、と言いたかったのに、思わず言おうとした言葉を飲み込んでしまった。
向けられたのが、見た事もない笑顔だったから。
太陽を背にして、多少逆行気味になったザックスの瞳は、敵に向けているとは信じられない程優しくて。
その嫌味な位に整った顔は、太陽のように眩しい笑顔を浮かべていたから。
「なぁ、クラウド」
言葉に詰まっていると、もう一度名前を呼ばれて。
邪気のない、明るい声で呼ばれる名前は、まるで自分の物ではないかのようだった。
呆然と見上げるクラウドに、ザックスは唇を笑みの形にしたままゆっくりと右手を差し出してきた。
その意図が解らず、不審げに差し出された右手を見るクラウドに。
 
「俺と、来てよ。」
 
ひどく優しい声音で。
言葉が出なかった。簡潔な言葉。けれどそれの意味する事は解る。
それが解っても、自分がどうすればいいのか解らなかった。
ただ、その瞳から目が離せなくて。
耳が痛いほどの静寂の中、自分は一体どれ程の間そうしていたのか。
 
 
 
不意に呪縛から解けたのは、微弱な気配を感じたからだ。
酷く弱弱しいが圧倒的な存在感を秘めたそれは、気配を消そうとした結果なのだとクラウドは知っている。
クラウドは漸く我を取り戻した。思わずごくりと息を呑む。『彼』が、居る。
視線を巡らせ、辺りを窺うが、もうその瞬間には既に気配が完全に消えていた。背中を嫌な汗が伝う。
 
「…どうした?」
 
クラウドの突然の変化に気付いたのだろう。ザックスが怪訝そうに眉を顰めるのが視界の端に写る。
ザックスはまだその気配に気付いていないのだと悟った。
当然と言えば当然。『彼』の気配は、長年付き合ってきたクラウドでしか感じられない。
寧ろいくら付き合いが長いとはいえ、気配を拾う事が出来るのが奇跡とでもいうべき事なのだ。
それ程見事に彼は気配を消している。消す事ができるのだ彼は。
何処か霞がかっていた緊迫感が自分の手に戻ってくる。
クラウドは、ザックスを見据えると、首を振った。
 
「馬鹿な事言ってないで、さっさと何処へなりとも行け。俺はあんたを狙う暗殺者だ。
仕事を放棄する気はないし、あんたと何でも屋なんてとんでもない。今回はあんたには借りがある。だから戦おうと思わないだけだ。
 
この台詞はザックスに言った台詞でもあるが、『彼』に向けて言った台詞でもあった。
借りがある。だからザックスに手を出す気は今はもうない。そう言うことで、出てくるなと『彼』への牽制をしたつもりだった。
 
意識は気配を追う事に必死になっていたから、気も漫ろな返事になってしまっていることは解っていた。
だが、意識を集中していなければ、いつ何時何処からともなく飛び出してくるか解ったものではない。
ザックスが「堅物だな」と笑う声が聞こえた。
 
 
それきり会話は途切れたが、そんな事を気にしている余裕はクラウドにはない。
『彼』が何処にいるのか。それを察知して牽制しておく必要があり、それには全神経を『彼』に注ぎ込む必要があった。
だから忘れていた。
その場にいるもう一人だって別の意味で油断ならない人物だということを。
 
「………え?」
 
その瞬間だけは、流石に『彼』から意識を逸らさずにいられるほど無頓着ではいられなかった。
いつの間にか、本当に直ぐ傍までその男の接近を許してしまっていて。
顎に手を掛けられる。軽く持ち上げられる自分の顔。
釣られて目線を上げれば、目の前にザックスの顔。気付いた時はもう遅かった。
「ちょっ…!」
頭が真っ白になった。
視点が合わないほどに近くにある蒼い瞳。
そして。
唇に、温かくて、柔らかい感触。
掠めるようなそれは一瞬の事で。けれどそれは世間一般でいうキスという物に違いなく。
余りの出来事に、瞬間的に飛びずさる。思いっきり口を手で拭った。
「な、何すっ!!」
ただただ混乱しているクラウドに、ザックスは不敵な笑みを浮かべて見せた。
「絶対俺はお前を俺の物にするから。」
まるで宣戦布告のように。
「なっ…」
口に手を当てたまま固まるクラウドにザックスは大袈裟に肩を竦めてみせる。
「ま、今回は諦めるわ。妙な虫もいることだしな。」
てっきり気付いていないと思ったのに、ザックスはクラウドが彼が居ると目算をつけている場所に、ちらりと視線を向けた。
「じゃな、クラウド。またな。」
未だ衝撃から立ち直れていないクラウドににっこり笑って。
軽く手を上げ去っていくザックスの背は、『彼』を警戒してか、今度は全く隙がなかった。
 
 
 
 
 
 
 
ザックスの背が完全に見えなくなった頃、路地から小さく口笛の音と共に一人の青年が現れた。
薄く、闇に溶け込むようだった気配が存在感を放つ。
「中々やるねー、あの男。」
まるで少年のような甲高い声。焦げ茶色の髪に萌黄色の瞳。口元に刻まれた無邪気な笑み。
路地から出てきたのは案の定、『彼』、クルーエルだった。
「覗きを承知でキスするなんて、中々出来ることじゃないよね。」
そこに焦点を当てるのかと思わず突っ込みたくなるが、次の言葉に遮られた。
「それに、こんな短時間でクラウドを味方につけちゃったみたいだしね。」
「………」
無邪気に明るい声でそう言うが、それが棘を含んだ物である事は誰よりクラウドが知っている。
仕事運び人クルーエル。
彼は、その名の通り普段仕事運び人として組織に居るが、その実、実力はクラウドとほぼ互角かそれ以上と目算をつけている。
だが、実の所戯れ以外に戦ってみた事はないのでよく解らなかった。ただ、気配の消し方においては、クラウドよりも秀逸だから、
不意を突かれれば、負ける事は十分にありえると考えただけだ。
実は腑抜けた奴らが多い組織の中で、唯一手強いとクラウドが認識している男、それがクルーエルだった。
それだけの実力を持ちながら、普段は仕事運び人に徹しているのは、彼の裏の任務の都合上、
簡単に組織の人間にその力を見せるべきではないからだ。そう、彼の裏の任務、裏切り者の始末のためには。
そんなクルーエルがわざわざ出てきた理由、それは考えるまでもなく予想がつく。
黙ったままのクラウドに、クルーエルはくすっと可愛らしく微笑んだ。
「言い訳しないんだ?さすがクラウド。話が解ってるね。そう、どんな言い訳した所で結果は変わらないもんね。」
笑っているのに、何処か剣呑な色を帯びたその瞳がすっと細められる。
「クラウド、組織の方針覚えてる?」
まるで子供のように軽く小首を傾げて。
「手段を選ばぬ迅速な始末。それが組織の一番の指針。そこには貸し借り感情なんて関係ないって事位当然解るよね?」
笑っているのに、気温が1,2度下がったように感じる。クルーエルの柔らかだが何処か気迫のある物言いに、何処か諦めた気分になった。
「…で、俺も本格的に始末の対象になったって事か?」
だが、予想に反してクラウドの言葉にクルーエルがきょとんとした顔をした。直ぐにおかしそうにくすくす笑う。
「あぁ、勘違いしちゃったかな。僕にクラウドの始末命令は出てないよ。
抵抗するようならと思って僕が迎えに選ばれただけ。でも、クラウド反省してるみたいだし、ボスも許してくれるよ。
…ただ」
最後の不穏な一言の後、クルーエルの唇に刻まれる冷たい笑み。
「ちょっとだけ、頭冷やそっか?」
まるで小学校の教師が、子供を優しく諭すような、そんな穏やかな言い方だった。