Act 12  独りで居る事
 
 
 
 
不自然な程真白い壁に囲まれると、いつも眩暈にも似た感覚を覚える。
頭が痛くなる程きついホルマリン臭やフェノール臭はもう嗅ぎなれたもの。
ガラス瓶に詰められた首から下がない無数の動物達のサンプル達にも、今更恐怖心を煽られる事はない。
だが、それでもこの純粋で、何処かわざとらしさを感じるほどに清潔を装った白を見ると、いつまで経っても吐き気がする。
それはやはり、純粋を意味する白で囲まれたこの部屋の持ち主が、吐き気がする程の感性の持ち主であると知っているからなのか。
クラウドはそんな事を考えつつ、帰ってきて早々放り込まれたいつもの部屋を改めて見回した。
部屋には精密機器や難解な化学式が書かれた書物やレポート類などが何の秩序もなく並べられている。
自分には、非常に雑多な印象しか与えないこの部屋にも、持ち主は何らかの秩序を見出しているらしい。
ほんの僅かでも何かを移動させれば直ぐに認識が可能らしく、激しい叱責が飛び、時に殴られる事さえあった。
たかが物を動かした程度でそのような扱いを受けるのは、クラウドには限りなく理不尽だとは感じるものの、
それ程異常に物事を記憶し、執着できる人間でなければ研究という物にこれ程打ち込める事はないのかもしれないとも思う。
 
 
物を動かす事のないよう細心の注意を払いながら、いつものように丸椅子に腰をかけるのとほぼ同時に、この部屋唯一の扉が乱暴に開かれた。
扉の向こうから現れたのは、ひょろりとした体躯に、青白い顔、洒落た感じを欠片も感じない眼鏡を掛けた黒髪黒目の男。
片手には大きめのアタッシュケースを提げており、重心が傾ぐのか、右肩を僅かに下げながらこちらに向かってくるその男の名は宝条と言い、
このデリーグで唯一の医師と呼べる人物だ。
宝条はいつも、同じような体躯をした取り巻きの男二人を連れている。
それを見る度に、医師と言うのはこうも人相が似る物なのかとクラウドはぼんやりと思う。
宝条達はカツカツとリノリウムの床を踏み鳴らし、こちらに近付いてきた。
いつものように感情を感じられない無機質な瞳で見詰められ、手の届く位置に来た瞬間顎を掴まれる。
そのまま遠慮も何も無く無理矢理に持ち上げられた。
「ふむ。あの量の投薬では別段支障はないようだな。顔色も正常。瞳孔も正常だ。」
挨拶も何もなしに第一声がそれだった。目を見ると言うよりは、眼球を観察するような視線を向けられる。
「だがそれでもZには勝てなかったという事か。この出来損ないでは。」
多分に皮肉を含んだ言葉に、クラウドは思わず瞳を逸らして唇を噛む。
悔しいが事実であり、お前にそんな事を言われたくはないとは思うものの、ここで逆らう訳にはいかない。
押し黙るクラウドをどう思ったか知らないが、宝条が鼻で笑う気配が感じられた。
「…ふん、まぁいい。素材は悪くともまだ改良の余地はある。」
言い終わる前に用は済んだとばかりに勢いよく顔を払いのけられていた。
「素材が悪い」の所で、心底蔑むような視線を向けられても、クラウドは俯く他なかった。どれ程屈辱を感じていてもここは耐えるしかない。
宝条はデリーグではボスに次ぐ高位の持ち主、幹部中の幹部なのだ。
いつからこの組織に居るのかははっきりとは解らないが、
初めから横暴で、身勝手で、自分の興味の幅以外には目もくれようとはしないこの男をクラウドは心底苦手としていた。
 
その後の宝条はといえば、いつも通りライトを瞳に当てたり、魔力や体力の測定等の検査が勝手に行われていく。
検査を進める程に、宝条の顔が不機嫌な物に変わっていくのが感じられ、嫌な予感はしたものの、
それを防ぐ手立ても無く、宝条は最終的に心底不機嫌そうに舌打ちした。苛立った様子で、傍の台に置かれていた注射器を手に取る。
瞬間、その先を連想したクラウドは、寒気だった。
そんなクラウドの気など知らぬ、いや知っていたとしてもどうでもいいであろう宝条は、
続いて黒いアタッシュケースの中から緑色の液体がたっぷりと入った小瓶を取り出し、注射器の中に注入した。
粘度をのある、不自然で毒々しい緑色の液体は見ていて余り気持ちのいい物ではない。
だが、何の反論する余地もないままに、徐にその液体を二の腕に注入された。
何の手加減も無く、勢い良く押されたピストンは、その不可思議な液体の進入を促進する。注射器の中の液体が残らず二の腕に送り込まれていく。
何の注意を促すこともない突然の行為にももう慣れた。だがここから先には未だに慣れる事はない。
緑色の液体が全て体内に納められた瞬間、まるで鳥肌が立つような感触がそこから全身に広がって行った。
 
 
「う…あ…」
 
 
 
吐き気と眩暈を覚えて、椅子から滑り落ちる。冷たい汗が背中を伝った。身体の制御が自分では効かず、全身をえもいわれぬ震えが走る。
「う…あ…あぁ…」
頭の中をフォークでをぐちゃぐちゃに掻き乱されるような感覚。叫び声を上げずには居られないその違和感。
「あ…あぁぁぁぁ!!」
自分の叫び声さえ何処か遠くに感じられた。宝条は注射器を廃棄物入れに放り込むと、クラウドにさっさと背を向ける。
「今回はこれで終わりだ。さっさと大人しくさせろ。」
「はっ!」
宝条の指示に、今まで立って見ているだけだった取り巻きの男達は、声を上げ、クラウドの腕にもう一度何かを注入した。
今度は無色透明の粘土の無い水のような液体だ。
それを注入されるとクラウドはいつも膝の力が抜けて立っていられなくなる。今回も例によって例に漏れず、その場に崩れ落ちた。
眼前にある床の白と、頭の中の真っ白な靄の区別がつかない。何も考えられなくなる。何も、感じなくなる。
そこから先の意識は、いつもない。
 
 
 
 
 
**
 
キュッキュッという、ゴム製の靴が床を打つ音が長い廊下に響き渡る。
辺りの薄暗く、荘厳な雰囲気とはかけ離れたその音にも別段気にした様子もなく、小柄な男は真っ直ぐ廊下を突き進んだ。
その先に見えてくるのは、やはり豪奢で大きな木の扉。
全てがコンピュータで管理されたオートロックの扉が大部分を占めるこの組織で、
唯一この扉だけがそんなレトロな作りをしているのは、この部屋の持ち主の趣味だった。
小柄で、スニーカーを履いた男、クルーエルは慣れた仕草でその扉の取っ手を持ち、横に引いてスライドさせた。
一見押すか引くかで開ける様に見えるこの扉を横開きにしてはどうかと何処か捻くれた提案したのはクルーエルだった。
変わり者扱いをされたが、そうする事で、扉を勢い良く開けられる危険性が多少なりとも軽減される事があるかもしれないではないかと、
理論的に理由を並べ立てた結果、この扉の許可が下りた訳である。
部屋に踏み入れた瞬間、目に入ったのは、大きな木製の机と、その前に腰掛ける一人の男。
その男は白髪の混じった黒髪に、黒い瞳をした男で、顔にははっきりと老齢を示す皺が幾本も刻まれている。
「Cの回収、完了しましたよ、ボス。」
クルーエルはいつもの笑みを唇に乗せつつ気軽な口調で話しかける。そう、彼こそが暗殺組織『デリーグ』の頭であった。
下っ端の前には決して顔を曝す事はなく、この組織の中の何処に居るのかさえ知られていないが、クルーエルだけは別だ。
彼だけは、ボスと接触する権利を与えられていた。
ボス、と呼ばれたその男は、クルーエルの気軽な口調に気分を害した様子はないものの、難しげに顔を顰めた。
「…それは、Zの確保は未だ不可能、という事か。」
後に報告しようとした事を先に言い当てられて、多少決まり悪い気分になるものの、クルーエルは表情を変える事はしなかった。
「そうですね。今回は取り逃がしました。」
「今回は今回はと何回それを聞いたと思っているのだ。」
ボスの声は多分の苛立ちを含んでいた。まぁそれも仕方のない事とは言える。事実そう言われるほど何度も彼を取り逃がしてきたのだから。
「あれが新羅側に知られれば、我々は破滅だ。そこの所は理解しているのだろうな。」
「勿論。だからこそ今回クラウドを投入したのでしょう。」
そう、一刻も早くザックスをデリートする必要があると判断したからこそ、デリーグの中で、ナンバー1であるクラウドを投入したのだ。
「…そうだな。だが、それでも駄目だった、と。」
「はい。ですが、今回またもや予想外の事が起こりました。」
「何だ。」
ボスは苛々とした様子で爪を噛んだまま、クルーエルの方を見やる。
「クラウドがまた生かされて帰ってきました。」
「何だと。」
ボスが大きく目を見開いた。予想外とその顔には書いてある。そう、クルーエルだって予想外の展開なのだ。
残虐非道、冷酷無比との名を欲しいままにしているザックスが一回目にクラウドを生きたまま返した時だって相当驚いたが、
二回目に至っては、ザックスがクラウドを見逃すシーンというか見逃す以前の問題であったのを目の当たりにしたのだ。驚かないはずがない。
ザックスは決して組織の人間を生かしたまま帰すような男ではない。
だから、てっきり自分はクラウドは1回目の時に、いい所までいったから二回目の兆戦をしたのだと思っていたのに、
自分の気配を読み取ったザックスの腕前といい、どうやら状況は全く逆のようだ。
「どういうことだ。我々をコケにして楽しんでいるということか。」
「さぁ。僕には解りかねます。戯れのためなのか、それとも別の理由があるのか。」
「……」
「まぁ、どちらにせよ始末しなくてはいけないことには変わりない。しかも一刻も早くに。」
「…その通りだ。」
「だから、次は僕が行きます。」
「…お前が?」
「はい。もう、僕しかいないでしょう?」
にっこりと笑顔を見せた瞬間、ボスは見ているこちらが可哀想になる位顔を真っ青にした。
「いや、いかん!お前を失えば私はどうなると思っているのだ。大体、クラウドでも駄目だったのならば、お前でも…」
「勿論。僕は貴方を置いていく危険を犯すような事はしたくない。だから、一人で行く気は無いですよ。次は、クラウドと二人で行きます。」
ボスは顔をぽかんとしたものの、やはり大きく頭を振った。
「いや、いかん。お前を私の元から放したくは無い。私は怖いのだ。」
「でも、ザックスを始末しなければどちらにせよ貴方は破滅だ。そうでしょう?」
「……」
ボスは身体を寒さのためではない震えに揺さぶられながら、俯き唇を噛んだ。
「大丈夫ですよ。僕は強い。」
クルーエルはしゃがみ込み、ボスの目線と自分の目線を合わせると、まるで子供に言い聞かせるような口調で言った。
ボスが恐る恐るといった様子で顔を上げる。いい年をしているはずなのに、その縋るような瞳はやはり幼い子供のようだ。
「…お願いだ。私を置いていくな。お願いだ。」
「大丈夫ですよ。僕は貴方を置いて行ったりはしない。大丈夫だから。」
震えるボスの背中を撫でながら、クルーエルはその言葉を何度も繰り返す。
暫くはこの人の側を離れられないかもしれない。薄っすらとそう思いながら。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
**
 
 
 
 
まるで嵐の直後の波間を漂っているような気分だった。
自分の意思とは関係なく、意識が激しく浮き沈みするのが酷く気持ちが悪い。
まるで船酔いにも似た感覚に、クラウドは溜まらず飛び起きた。
喉の奥から込み上げてくる吐き気に逆らわず、胃の中の物を全て吐き出そうとはするものの、
暫く何も口にしていなかったので、吐き出されるのは胃液ばかりで酷く苦しい。
喉が焼けるように熱い。口の中に酸性の液体の味が残り、気持ちが悪い。
「……っ…」
荒い息を吐き、涙目になりつつも、ゆっくりと辺りを見渡す。
灰色の天井、灰色の壁、太い鉄格子。涙で霞んだ視界にもそれが、牢屋という部類に入る事は解った。
入れられている場所は最悪であっても、漸く意識がはっきりとしてきた事に安堵する。
戻って来れた。そう感じて、全身の力が抜け落ちる。
あの気味の悪い液体の注入は、最低でも週に1度は行われ、その後にはいつもこの調子だ。
まるで身体が異物を受け入れる事を拒否しているかのように、全身から吹き出す汗が止まらない。

宝条という医師が一体何者で、何のために自分にあのような事をするのかは知らなかった。
聞く権利は自分には与えられていない。ただ、この組織に所属してからずっと続けられており、儀式のような物だ。
初めは酷く混乱し、反抗したものの、もう今では慣れてしまった。その意味を深く考える事さえいつしかやめてしまった。

ただ、いつもであれば、倒れれば勝手に自分の部屋に運んで貰え、自分のベッドの上に寝かされているのだが、
今回牢屋に放り込まれたのは、クルーエルの言う、頭を冷やす時間という奴を与えられたからだろう。
最悪な気分の後に目覚める場所として心地よい場所とはお世辞にも言えなかったが、目が覚めた瞬間一人で居られるのは有難い。
大抵あの投薬で弱っている時を狙ってジルはよくやってくるから、投薬後の最悪な目覚めの瞬間に最悪な顔を拝まなくてはならなくなるのだ。
バクバクと脈打っていた心臓が漸く落ち着きを取り戻してきた。大丈夫だ、そう自分に言い聞かせる。
身を起こして、背を灰色の壁にもたせ掛けた。ふと見上げれば鉄格子の嵌まった小ぶりな窓が見えて、そこから月の光が差し込んできている。
鉄格子越しの世界、それを見るとはなしに眺めながら、クラウドはふと苦笑を落とした。
「…こんな短期間で、2回も牢屋に入れられるなんてな。」
思わず漏らした独り言は牢の中に拡散して、静かに溶け込んでいく。
独り言なのだから、答えはなくて当然。だが、何も言葉が帰ってこない事に、軽い違和感を覚えて、そんな自分に驚いた。
返事が返って来る事に慣れ初めていたのだと、初めて気付いた。
まぁ確かに、いつも賑やかなあの男、ザックスと共に牢に入っていたのはつい先程と言ってもいいほどの時間なのだから、
仕方がないと言えば仕方がないのだが。
不意に石肌の冷たさが身に染みて、肌が粟立ち思わず膝を抱えた。
たった一人薄暗い牢屋で膝を抱える。初めてではない経験だというのに、何となく不思議な気分だ。
同じ牢屋という構造物の中にいるのに、こうも違うものなのか、と。
賑やかに騒ぎ立てるあの男が居て、他愛ない会話を交わした。ただ、それだけなのに。
隣に人が。あの男が居るというだけでこんなにも。
『ラストリア』の甚だしいばかりの勘違いと、あの男の常識から逸脱した思考から生じたとんでもない出来事。
自分のターゲットと同じ牢に入るなんていう信じられない位に不本意な状況。
他愛ない言葉の応酬、突飛な行動、背を預け合いながらの戦闘。
それらは今思えば、場違いな程突飛で、奇抜で、不気味な出来事だった。そんな物に慣れる自分はどうかしている。
だが、恐らくそんなにも容易く順応してしまったのは、やはりあの男からどんな時にも明確な敵意は感じられなかったからだろう。
敵意も殺意も向けられない。ただ側に居る。その感覚を自分は随分と長く忘れていた。
(それに…)
ふと口元に浮かぶ苦笑。思い出されるのは憮然としたあの顔。
『お前、笑い過ぎだ。』
ロケットペンダントだなんて、この世の誰よりも似合わなさそうな物を首から下げていた事を知られた時のあの決まり悪そうな顔だった。
あんな風に思い切り笑うことも、自分は随分と長くの間忘れていた。
そこで、ふとクラウドはとんでもない事に気が付いた。
「そういえば…あいつ…」
思いついたその事を確かめるために、クラウドは慌ててポケットに手を突っ込んだ。指先に触れる金属の冷たい感触に、クラウドは冷や汗を掻く。
クラウドは急いでそれをポケットから引き出すと、自分の眼前に曝した。
『…あ、でもここ脱出したらちゃんと返してくれよ』
鎖がシャラリと涼しげな音を立て、ペンダントトップがゆらりと目の前で揺れた。血の気が引くとは正にこの事だ。
「……何であいつ忘れてるんだよ…。」
思わず、ガクリと肩を落として項垂れてしまった。
自分から取り返すのを忘れたザックスを詰りつつも、あれほど言われていたにも関わらず、返す事をすっかり忘れていた自分も情けなく感じた。
だがやはりどちらに非があるのかと問われれば、やはり向こうだろう。あれだけ言うほど大事な物を、忘れるとはなんて抜けた奴なのだと軽く呆れる。
目の前で軽く揺れる少し大きめのロケットを改めてじっくりとと眺めてみる。
飾り気の一切ないその装飾品の表面には、くっきりと眉間の皺を寄せた自分が歪な形が映っていて、思わず苦笑してしまった。
別にこのペンダントが手元にあるからといって別段自分に実害はないのだ。こんな顔をしてやる必要さえないのに。
「に、しても誰の写真が入ってるんだか…」
暫く眺めて、クラウドはぽつりと呟いた。
別段聞く必要性も感じなかったし、その時は興味などなかったから聞かなかったが、こう暇を持て余していると何とはなしに気になってくるものだ。
常に身に着けていたいほど大事なのだと彼は言っていた。
ならば、やはり中身は恋人か。それとも生き別れの兄弟か。はたまた死別した両親であるのだろうか。
想像は何処までも膨らみ続けるものの、開けてみようという行動には結びつかないのがクラウドの律儀な所だった。
だが、その律儀さも無駄になる事はクラウドも重々承知していた。何故なら、もうこれは2度とあの男の元に戻ることはないからだ。
あのような事件があった以上、もう2度とクラウドがザックスを暗殺する資格を与えられるはずは無い。
従って、もう自分には一生彼と会うことはない。そう、もう二度と。
このペンダントを渡す機会すらない程に。
そう思った瞬間何故かほんの少しだけ胸が痛んだ。
もう一度、ペンダントを眼前に翳す。持ち主の手から離されたそれは何処か頼りなげに左右に揺れている。
それを何とはなしに眺めながら、ふと、決してありえない仮定を考える。
 
もう少し違う生き方をしていれば、自分はあの男と一緒に行ったのだろうか。
 
もっと自分が自由で、何の規則に縛られる存在でもなく、自分で生き方を選ぶ事が出来る人間であったなら。
もしそうだとしたならば。
自分はあの男と生きる道を選んだのだろうか。
あの突拍子も無い発想と、不審行動に振り回されて、一緒に何でも屋とやらをやっていたのだろうか。
 
…きっとろくでもない生活なんだろうなとは思う。あの男の性質だ。落ち着いた生活など決して望めはしないだろう。
振り回されて、走り回って、とんでもない事に巻き込まれて。
うんざりするような事のはずなのに。どうしようもなく疲れる事のはずなのに。それでもそれは。
ほんの少しだけ、楽しい事のような。そんな気がした。
ただ、そう思うのはそれがきっとありえない仮定の上に成り立っているなのだろう。
自分と彼の人生は、どちらかかが死なない限り、永遠に平行なままだ。
そしてどちらかの命が途絶えたからと言って交わる訳では決してない。
ただ平行に走っていた直線の片方が途中で途絶えてしまう、ただそれだけの事だ。
 
 
そんな際なき事を考えている時、不意に階段を降りて来る靴音が聞こえた。
ゆっくりとした足取り。だが酷く特徴ある歩き方。まるで片足を引き摺るような。
階段の上方から現れたその顔は予想通り。うんざりする程見たくない人物。
…ジルだった。
 
「よぉ」
 
軽く手を上げただけの挨拶にも、クラウドは鋭い視線を向けただけだ。
そんなクラウドの頑なな態度にだろう、ジルはクツクツと肩を震わせて笑った。
「…そんなに嫌そうな顔すんなよ。わざわざここまで会いに来てやったんだぜ?
お前ときたら俺に何の断りもなしに男と消えやがるんだからよ。」
「……」
返事を返してやるのも馬鹿らしく、クラウドはふいと視線を逸らした。
ジルは例の独特な歩き方で牢に歩み寄ると、ベルトにかけてあった鍵のうちの一つを取り、鍵穴に差し込んだ。
勿論それはクラウドを逃がすためなどではない。
元より、この牢から脱出した所で直ぐに捕まるのは目に見えている。
そして、裏切り者の烙印を押され、消されるだけだ。
それが解っていたから、抜け出そうという気は更々なかったし、ジルも鍵を開けることに抵抗を感じないようだった。
ガチャリと無機質な音を立てて、牢の扉が開く。クラウドがうんざりとした気持ちでジルを見上げると、口元に酷薄な笑みを浮かべた。
「お前が居なくて随分と寂しい思いをしたぜ?その分の責任はきっちりとって貰わねーとな。」
下卑た声と共に、ジルはクラウドの前に歩み寄ると、自らのベルトに手をかけた。
それの意味する事を正確に読み取って、クラウドは深い溜息を落とした。