Act 2 理解不可解
頭の芯が痺れているのを自覚しながらゆっくりと瞼を開く。
まるで人の顔のような柄をした木目が目に入った、
その瞬間飛び起きていた。
腹が痛んで数回咳き込む。辺りを見回すがもう誰もいなかった。
(何なんだ…?)
クラウドは状況が理解できずに顔を顰めた。腹はまだ少し痛むが体には傷一つない。
自分を殺しにきた暗殺者にとどめを刺せる状況下であの男は手を下さなかった。
仕事につく前受けていた説明とはかけ離れている。
この仕事に赴く前クラウドは散々ターゲットの恐ろしさを聞かされてきた。
赴いた者は例外なく殺される。情報収集だけのために赴いた者も引き時をよくわきまえた人間も一人も帰ってこなかった。
つまり逃げは取れない、殺らなければ殺られるという厄介極まりないターゲットであると聞かされてきたのだ。
だが今の状況はどうだ。
男は訳のわからない契約を取り付けただけ。クラウドを無傷で帰したのだ。
契約、という言葉でクラウドは気を失う間際に渡されたカードを思い出した。
胸元のポケットから取り出して思わず目を瞠った。それは通常ゴールドカードと呼ばれる限度額なしのクレジットカードだった。
眩暈を覚える。
この時勢この時代にこのカードが持てる人間は限られている。
この時勢には借りた金は返すほうが珍しいからだ。
それでもこのカードを所持できるという事は余程の人物ということ。
いや、それよりもクラウドの眩暈を引き起こしたのは別の事実。
「あいつ、本気なのか…」
このカードを渡した以上は本気なのだろうが、どうにも信じられなかった。
暗殺者を専属の戦闘相手にするなどという話見たことも聞いたこともない。
厄介な事に巻き込まれてクラウドは小さく溜め息をついた。
**
崩れたビルの瓦礫下。そこが組織のアジトだった。
瓦礫が積もった場所など、ここスラムでは珍しくなかったから好奇心を持って近づく者などいない。それを考慮した上だった。
クラウドは左耳の赤いピアスをはずす。
このピアスはデリーグのメンバー全員が持っているここへの鍵だ。
デリーグの一員になった時につけられ、死んだ瞬間に機能を失う最新システムを搭載している。早い話が首輪だった。
瓦礫の下は万遍なく埃が積もっていたが、一箇所埃の積もっていない場所がある。クラウドはそこにピアスを置いた。
途端に機械的な音がして、地下へと続く階段が現れる。ピアスは音をたててそこに落下した。
適当な位置まで降りると、ピアスを拾って長い階段を下りる。自動的にドアがしまる音を後ろに聞きながら先へ進む。
いつものように鉄製の扉を開けると、一斉に視線を浴びた。
広くはない室内に他の暗殺者が5人ほど。
そして彼らに囲まれている仕事運び人のクルーエルがいた。
クルーエルはこげ茶色の髪に、萌黄色の瞳の童顔で可愛らしい顔立ちをした男で、15、6に見えるが実年齢は27らしい。
だが何処まで真実かはわからない。
「おかえり、クラウド。」
クルーエルは微笑んでクラウドを迎えた。
辺りはざわついている。どうやら 面倒な時に来てしまったようだ。
これから報告する内容を思うと少しげんなりした。
「なんだ、あいつがやったのか?」
「あいつにやれたんなら俺にだってできたのによぉ」
「俺の獲物をとりやがって。」
次々に陰口をたたく奴らは素通りして真っ直ぐクルーエルの元に向かう。
「終わった?」
まるで課題のレポートの進行具合を聞くような軽い調子でクルーエルは訪ねた。
彼と話していると、自分の仕事が何なのか時々わからなくなる。
クラウドは一つ溜息をつくと小さく首を振った。
「次は仕留める。」
それだけ言うと、クルーエルは目を丸くした。
「何、Zと戦って無事だったの?」
Zとはあのターゲットのコードの事だ。辺りが再びざわつく。
(面倒だな)
クラウドは舌打ちしたい気持ちで一杯だった。
説明しようにも事情が事情であまりしたくない。
クラウドが押し黙っているとクルーエルは小さく笑った。
「って無事だったからここに居るんだよね。ごめんね頭悪くて。」
『デリーグ』一の切れ者の言う台詞ではないようだが、やはり切れ者の台詞だと思う。
こちらの事情を察して、事情を話さなくてもよいような流れに導いた。
「じゃあ、どうする?」
それ以上追求はせず、クルーエルは端末に目を向けた。
「…どうするってどういう意味だ?」
クルーエルは視線だけを一瞬こちらに向けた。
「ん〜クラウド一回失敗したわけだし他の人にまわしたい?」
言うが早いかクルーエルは何かを打ち込む。
「俺にやらせろ!」
「何言ってんだてめぇにゃ無理だ!俺がやる!」
周りのギャラリーが俺がやると自分の名前を次々と連呼した。
あの男にかかった報酬は半端じゃない。
少しでも金の欲しい奴らが名乗りを上げるのは当然の事と言える。
この馬鹿な奴らが次々と殺すために出向いて行っても倒せるような男ではないことは肌で感じた。
瞬殺されるのがオチだろう。
この組織に愛着があるわけでもないから、デリーグの者が何人死んだって構わない。
死んだら死んだ分だけ補充されるだけだし、何の感慨もわかない。
だから奴に拘る義理など何もない。
今回自分は見逃されたが次も無事であるとは限らない。
むしろ戦闘経験の差という埋められない差があるゆえに次こそは仕留められる可能性が高い。
ここらで身を引くのが妥当だ。
そう冷静に分析する自分は確かにいた。
でもそれでも。
男の不適な笑みが脳裏に浮かぶ。
『だってお前がずっとしくじってたら他の奴と代わらなくちゃいけなくなるだろう?』
(あのまま引き下がれるか…!)
クラウドが顔を上げ、鋭い視線を向けた途端喧噪が静まった。
「…俺が殺る。」
辺りが静寂に包まれる。
クラウドの持つ圧力に飲まれたのか、息を飲むような音が聞こえた。
ただクルーエルだけが口元を可愛らしく笑みの形にした。
「了解。じゃあ彼はクラウドに任せる。」
それだけ言うとパソコンに何やら打ち込み出した。
それを見届けると背を向けた。
理解不可解。それでもあの言葉は許せない。
自らの意志で一つの仕事に拘るのはこれが初めてだった。
「おい!クラウド!!」
背後から他の暗殺者達の声が聞こえたが、気にせずそのまま部屋を後にした。