Act 3   挑戦状
 
 
 
 
スラムには掃いて捨てるほどある廃屋をクラウドは住居代わりにしていた。
廃屋にしては珍しく水道が出る、それがここを住居に選んだ理由。
クラウドは古くて妙に軋むベッドに身を横たえた。
瞳を閉じると3日前のあの感覚が蘇る。
技を繰り出すタイミング、距離感、次を見越した身体の動き方、それらがまざまざと思い出される。
ああすればよかったのにだとか、ああするべきだったのにとかいう後悔が脳裏を巡って苛立たしい。
 
あの男と戦ってから早くも3日が過ぎようとしている。
男は暗殺者に狙われている自らの状況を考えてだろう、住居が定まっていない。
突然ふらりと何処かに現れて、そこに住みまた消えてを繰り返す生活を男は送っているらしい。
つまり、男が何処に住んでいるのかという状況が把握できない限りクラウドの出番はない。
それらは主に情報部員がやることだからだ。
本当は自ら赴いてそれら全てをやりたいが、それはルール違反に当たる。
暗殺者は必要以上に顔を出させたくないと言うのがデリーグの方針。逆らうわけにはいかない。
だがクラウドは、情報部員は気配の消し方が甘いと感じていた。
並の人間ならそれでいいかもしれないが、相手はあいつだ。
それが通用するとも思えない。
その結果こうして3日という空白期間を作ってしまったのだと思う。
(早く戦いたい)
クラウドは寝返りを打って小さく溜息をついた。
次に仕留め損なえば殺される可能性が高い。しかも敵わない可能性の方が高い。
それでも戦いたいと願う気持ちは抑えられなかった。
この3日間、クラウドは何度もあの時の戦いを思い出した。
冷静に分析し、研究し、自らの弱点を見当した。
その結果前よりも咄嗟の判断力が格別に上がったような気がする。
それでも敵わないかもしれない。けれど試してみたい。
だから戦いたいと感じる。
どうしてももう一度戦いたい、と。
体中の血がそれを求めているのだ。
右手の甲を額に当ててきつく瞳を瞑る。
「早く…」
小さく呟いた。
 
その瞬間人の気配を感じて瞳を開いた。神経を集中させる。
気配を殺しているが、微妙に引きずるような独特の足音は消し切れていない。
それで誰なのかは見当がついた。
「何しにきた、ジル。」
冷たい声でそう訪ねれば冷やかすような口笛が聞こえた。
「相変わらずだな、クラウド。」
入り口には赤茶けた髪を背後で一つにくくった、背の高い男が立っていた。
デリーグの幹部の一人だ。
「あんたは特にわかりやすい。気配どころか足音も消せてない。」
棘のある言い方に、ジルは小さく笑うとこちらに歩み寄ってきた。
「きつい所も変わってないな。」
クラウドは身体を起こすと冷めた視線を投げた。
ジルはベットとは少し離れた椅子には腰をかけずにクラウドの座るベッドに歩み寄ってきたため
クラウドは思い切り睨み付けた。だが、ジルは気にした風もなくもう一度笑って唇の端を湿らせた。
「そんで、お綺麗な所もかわってない、と。」
ジルは左手を伸ばした。指先でクラウドの首筋をゆっくりとなぞる。
鳥肌が立った。明らかに意図のある行為。
クラウドは手を思い切り振り払った。
ジルはくくくと嫌な笑いをしてクラウドの顔を覗き込む。
「そう怒るなよ。俺は良い情報伝えにきてやったんだぜ?メールの代わりに直々にな。」
仕事の情報は支給されているPHSに入ってくるのが常だ。
だがジルは時々わざわざメールを送らず、情報伝達のためという名目で戯れのためにここにやってくる。
それが解るから感謝などという気持ちは微塵も沸いてこない。
クラウドは思い切り顔を逸らす。
「…で?情報は?」
「せっかちだな。まぁお楽しみは後でもいいか。情報ってのはZの事だ。」
「場所がわかったのか?」
一度そらした顔を思わず思い切り向けた。
「あぁ、まあな。今度はまた辺鄙な場所に現れたよ。」
ジルは胸ポケットからメモリースティックを取り出すと、机の上に無造作に置かれていたクラウドのPHSに差し込んだ。
途端に表示されるのは英語と数字を組み合わせた暗号。
続いて地図が表示された。その場所を見て絶句する。
廃屋。だが路地裏とはいえ町中だ。今までよりも遙かに見つけやすい。
「なんでまたこんなわかりやすい所に…」
クラウドは思わず呟いた。
デリーグは仕事柄上スラムの町は完全にと言ってよい程把握している。
相手もそれを知っていたのだろう。
Zは今までは常に町から微妙に離れた廃屋や廃ビルなどを選んでいた。
それが今回はどうだ。まるで見つけて下さいとでも言わんばかりのわかりやすい場所だ。
「挑戦のつもりじゃねぇの。馬鹿な奴だ。」
ジルは鼻先でせせら笑った。だがクラウドはそうもしていられなかった。
本当にそうなのかもしれないと思ったからだった。
『契約完了…だな』
そう言って置いていったゴールドカード。
限度額はないことになってはいるが、確かに一度に借りれるのは一億程度が限度だろう。
あのカードが本物ならあの男は本当に一億をクラウドに渡した事になる。
(一億渡して人を雇った以上は、働いて貰う。元が取れるようこちらも取りはからう、そういうことか?)
あのおかしな男ならやりかねない、そう思った。
自分を狙う暗殺者に殺してくれと頼むあの男なら。
 
 
懸命に頭を働かせていると、顎に手をかけられた。
思わず顔を上げればジルとまともに目があった。
瞳は嫌な光を帯びており、下卑た笑いを浮かべている。
「そろそろいいだろ?」
背筋が泡だった。
「離…っ」
顎にかけられた腕に手をかけてもぎ離そうとした瞬間。
「これは命令だ。」
 
腕の動きが止まる。続いてジルを思い切り睨み付けた。
だがジルは怯んだ様子もなく、舌なめずりをしている。
どんな事を言ってもびくともしない事はわかっていたがそれでも言わずにはいられなかった。
「卑怯者。」
案の定ジルは気にした風もなく嫌な笑いをすると、クラウドの上着に手をかけた。
「何とでも」
顔を触れる直前まで近づけてそういうジルは小動物を捕らえた肉食獣の笑みを浮かべていた。