Act 6 不可解な油断
うっすらと瞳を開ければ、灰色の壁が瞳に入る。黒いひび割れの入った、今にも落ちてきそうなコンクリートの壁。 自分が根城にしている灰家に居るのだと思った。あの灰屋は、ボロイ割にはちゃんとしていて、寝台の横には小振りな窓がある。
朝になれば朝日が真っ直ぐに差し込んできて、自然と瞳が覚めるのが常。
だが、辺りはまだ薄暗くて、朝の気配など微塵も感じない。
きっと日の出まで遠いのだ。ならば、もう一度眠ろうかと思い、瞳を閉じかけた瞬間。
「オハヨウサン。」
視界一杯に、見覚えのある明るい笑顔が広がって、思わず眠気も吹っ飛んだ。
「うわ!?何でっ!?あんた!!」
思いっきり飛び起きると、辺りの景色が必然的に目に入ってきて、漸く己の置かれた状況を思い出す。
狭苦しい灰色の空間。かび臭い臭い。鉄格子の嵌った窓が一つだけ付いている頑丈そうな鉄の扉。
そうだ、自分は良く解らない男達に捕らえられてここに連れて来られたのだった。
そして。
ちらりと先程顔を覗き込んできた男に目をやると、男は悪びれずに笑ってみせる。
この男も何故か一緒に捕らえられた、という訳だ。
しっかりと後ろでに縛られた自分の手に不自由を感じながらも身を起こす。
捕らえられたにも関わらず、別段悲壮感を漂わせないこの男、ザックスも後ろでに手を縛られていたが、
縛られながらも図々しく胡坐なぞを掻いている。
「良く寝てたなーお前。見てるこっちも幸せになる位幸せそうな顔して寝てたぞ。」
面白そうに言われて、思わず顔が熱くなるのを自覚した。
良く解らない所に突然連れ去られて、しかも元敵の真横で熟睡するとは
「…ここに来てから、どれ位経ってる?」
「んーあんま経ってねぇよ。この格好でいて、ちょうど足が痺れだした位。」
この格好と言う所で、先程クラウドの顔を覗き込んだ体勢を取られて絶句する。
「…もしかしてずっと見てたのか。」
「うん、まぁ。」
「変人。」
「いや、暇だったし。」
そう言って悪びれずに笑うザックスに、自己嫌悪に陥るクラウドだ。
何故敵に覗き込まれて居て瞳を覚まさないのか。薬を飲まされていたとはいえ情けない。
「…何であんたまで捕まってんだよ。」
決まり悪さを紛らわすためにもそう口にする。
一番聞きたかったのはそれである事に間違いはないし。
ザックスは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐににっと笑って見せた。
「だって、俺ら共同戦線結んでる最中だっただろ?」
などと無邪気にのたまうザックスに、クラウドは思わず顔を顰めてしまう。
確かに共同戦線は張っていたが、それはその場限りの緩い約束だ。
自分が助かる可能性があるのなら、簡単に無下にしていい程度の。
そんな思考が顔に出ていたのだろう。ザックスは、小さく笑った。
「あと、ちょっといい事考えたから。」
「いい事?」
思わず聞き返したクラウドに向けられる不適な笑顔。どうしようもなく嫌な予感が広がる。
「あぁ。お前俺と一緒に何でも屋やらねぇ?」
「………はぁ?」
案の定だ。この男の提案がとんでもない事である事は大方予想がついていたのに、
迂闊な事を口にしてしまった自分に思わず自己嫌悪だ。
そんなクラウドにもザックスは気付く様子もなく、上機嫌で語り始める。
「何かさ、初め戦った時にも思ったけど、一緒に戦ってみて更に確信深めた。
お前さ、ホント俺と戦いのセンスが似てるんだよ。だから、背中預けててもすっげー戦いやすかった。
ホントこれ程一緒に戦いやすい相手は初めてだ。今まではさ、戦い相手で満足してたけど、それじゃ勿体無くなってきた。
だから…。」
「阿呆か。」
放っておいたら更にエスカレートしそうな発言に、そう言ってストップをかける。
相変わらずの飛んだ発想に頭が痛くなり、思わず顔が引き攣る。
「何度言ったら解るんだ。俺はあんたを殺すために雇われた暗殺者だ!
仕事を放棄する気は毛頭ない!あんたと何でも屋なんてとんでもない!!」
狭い牢屋内に、反響するほど大きな声で怒鳴りつけてやる。
そんなクラウドに、ザックスは小さく溜め息をつくと、小さく肩を竦めた。
「そっか、残念だな。ま、気が変わったらいつでも言えよ。俺はいつでもウェルカムだからさ。」
ザックスはそう言って引いた。予想外にあっさりした様子に、少々拍子抜けした。
クラウドを初め雇うときなど、本当にしつこい位に値段の交渉をしたのに。
少し不審に思いながら、ザックスを見つめていると、「さてと」などと言いながらクラウドに背を向けた。
何をするのかと思えば、何やら鍵穴をまじまじと覗き込んでいる。
手も使えないのに、鍵の構造を何か探ってもどうなるのだとは思ったが、それよりも閉口したのはザックスのその体勢。
ザックスは全く無防備にクラウドに背中を向けている。
手は拘束されているが、足は自由だ。今踵蹴りを食らわそうと思えば確実に出来る。
何しろ、ザックスからは殺気らしい殺気は感じない。
そこでふと気付いた。
(こいつ…殺気らしい殺気どころか…)
眩暈がした。
(全く、殺気がないんだ。)
それは本当に眩暈がするような事実だった。
だが、そこで初めて、クラウドが顔を覗き込まれていても全く目を覚まさなかった理由を理解した。
そう、気配に敏感な自分が、全く気付かなかった理由。
クラウドは暗殺者という職業柄か遠く離れていても気配を感じ、
眠っていても気配を感じれば飛び起きてしまう位にいつでも神経を張っている。 ただ、それは殺気によって気配をはかっているから出来る事だ。
この男にセンサーが働かないのは、一重に、この男に全く殺気がないからなのだ。
そういえば、と思う。
今までのザックスとの戦いを思い出す。
今の状況で殺気を放とうとしないのはまだしも理解できるが、
この男は1度目の戦いの時も、2度目の戦いの時も、殺気というものは放たなかった。
別段不意を狙う戦いではなく、真っ向勝負の戦いであったにもかかわらず、だ。
ここで生じる一つの疑問。
(何でこいつには殺気がないんだ…?)
それがこの男の戦いのスタンスなのだろうか?
それにしたって、そのメリットが解らない。
お互いを威圧し合うというのも戦闘の一つだ。それによって相手が怖気づいてくれればこれ程いい事もない。
だからクラウドは、不意を狙う戦い以外に、殺気を抑えるということはしない。その方が、戦闘には有利だからだ。
それなのに、何故?
今だって、とクラウドは思う。
確かに今は共同戦線を張っている最中だったから、踵蹴りを食らわすような事をするつもりはないが、
もう少しは気を張り詰めているべきではないかとこちらが心配になってくるのがおかしい。
それほどに、ザックスの背中は隙だらけだった。
(もしかしてこいつ…)
そう、もしかしてこの男は自分を気を張る程の相手ではないと思っているのだろうか。
そんな考えが頭に浮かぶ。
襲い掛かって来た瞬間に対処すれば十分に間に合う、そんな相手だと思われているのかもしれない。
苛立った。
どうしようもなく苛立った。
もしそうだとしたのなら、自分は初めからコケにされ続けている事になる。
クラウドは、苛立ちのまま音もなく立ち上がった。
そのまま、気配と足音を出来る限り消す。
そちらがそんなにもコケにする気なら、試してやろうと思った。 ゆっくり、慎重に、無防備な背中を晒すザックスに歩み寄る。 後、3歩、後、2歩、後…
「…おい。」
低い声で呼びかければ、ザックスはこちらがびっくりするような勢いで振り返った。
クラウドの方もまさかそこまでの反応を返されるとは思っておらず、思わず後ずさってしまう。
ただ、後ろでに手を縛られていたため、バランス配分を間違えて、体勢を崩し、尻餅をついてしまった。
ザックスはといえば、あからさまに驚いた、という顔でクラウドを見ている。
「っくりしたー…驚かすなよ。」
そう声を漏らすと、ザックスは小さく息を吐いた。どうやら本気で驚いたように見える。
こちらの思惑通りの反応と言えばそうなのだが、あの状態になるまで気付かれないというのは暗殺者の自分としては微妙な心境だ。
クラウドは小さく溜め息を吐いた。
「なぁ、こんな事俺が言うのも何なんだけどさ、あんたちょっと油断しすぎじゃないか?
確かに今は共同戦線張らなくちゃいけないような状況だけど、もしかしたら裏切るかもしれないだろ?
あんた自分の懸賞金いくらかかってるか知ってるのか?」
何だかおかしな事を言っている自覚はある。
だが、こうも油断も隙もあり過ぎでは何となく悔しいような気分が拭えない。
黙って聞いていたザックスが不意に笑った。
「その点はご心配なく。」
軽愚痴をたたいて、にっこり。
そんな軽い調子に、再度苛立ちを煽られる。
「俺なんかの攻撃は余裕でかわせるっていいたいのか?」
早々と鍵穴研究に戻ろうとしていたザックスはこちらに顔を向けると、「まさか」とあっけらかんと言った。
「お前程のレベルの奴に、油断してて勝てる訳がないだろ。」
「…じゃあ、どうして」
しつこく詰め寄れば、ザックスは少し考える素振りをした。
「それは…」
その先が紡がれる事はなかった。
不意に、厚い鉄の扉の向こうから、硬い何かがアスファルトに当たる規則的な音が聞こえた。
規則正しいそのリズムは、靴音だと察しがついた。
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