Act 9 根拠のない信頼
所詮脱獄などできはしないだろうと鷹を括っていたのだろう。
続き部屋には無造作にザックスのバスターソードと、クラウドの剣が置いてあった。
それらを無造作に拾い上げて、地下牢から脱出を開始する。ただ、劇的に状況が変わる訳では決してなかった。
自分が今一体何処にいるのか、この基地は一体どういった構造をしているのか、そもそも自分達は何階に居るのか、
それさえも解らないという全く持って手探り状態が続いている。
「これじゃ、キリねーな…。」
目の前に立ちふさがる、何度目かの行き止まりに、ザックスが小さく声を漏らした。
長らく歩き回っているうちに気付いたのだが、この組織はまるで迷路のように入り組んでいた。
通常生活するには無駄としか言いようがない程多数存在する行き止まり。
どれ程歩き回っても、同じ場所に戻って来たのではないかと思わせるほど、あちらこちらに置かれた全く均一な大きさの調度品。
どれもこれもが、この場所の初心者にとっては有難くない物ばかり。
ラストリアの人間にとって、この場所は最終的には要塞になりうる場所故に、侵入者を容易く排除するための工夫がこれなのだろう。
(…それにしても…)
クラウドは、溜息を吐きつつ、先の見えない程長く続く、薄暗い通路に瞳をやった。
(いつの間に、こんな地下に、これ程の組織を作ったんだ…?)
そんな疑問が思わず浮上してくる。
新羅は『デリーグ』等の組織に加え、情報部員、ネットワーク、最新機器の投入によって、常に反新羅組織の同行に気を配らせてきた。
これ程の巨大な地下組織が出来たと知っていたならば、とっくの昔に『デリーグ』に壊滅命令が出ていても良さそうなもの。
だが、小さいものも数え合わせると星の数ほどある反神羅組織の中で、『ラストリア』は『デリーグ』のデータベースによると
A、B、Cとある危険ランクの内で、Cという最低ランクに位置付けられていた。
『デリーグ』のデータベースは新羅から直接ネットワークを繋いであるため、『デリーグ』の認識はほぼイコール新羅の認識であり、
つまりは『ラストリア』は取るに足らない矮小な存在として、新羅にも認識されていたと言う事だ。
それにも関わらず、『ラストリア』がこれだけの組織を作っている。
そんな事が出来たのは、『ラストリア』が新羅や『デリーグ』の目を掻い潜る事が出来る程の資本と技術を得た、という事だ。
だが、一体どうすればそんな事が可能なのか。相手はあの新羅カンパニーだというのに。
不意に、肩に何かががとんとん、と触れる感触がして、思考の闇から引き上げられた。
振り返れば、ザックスが、奥の通路を指差している。
指先を目で追えば、そこには、退屈そうに欠伸をしている見張りの男が立っていた。
「見張りか…」
軽く舌打ちして、手を剣にかけようとすれば、やんわりと押さえつけられる。
怪訝に思い、見上げれば、ザックスは小さく首を振った。
「このまんまだとキリがねー。あいつに聞こうぜ。」
「…………は?」
思いもかけない台詞に、声を上げた瞬間、ザックスは悠々とした動作で男の元に歩きだしていた。
まるで、本当に見知らぬ土地で迷子になってしまった人間が、何気なく道を尋ねるかのように
全く持って堂々と姿を曝して歩くザックスに、一瞬呆けてしまったクラウドだったが、
我を取り戻し、慌ててザックスの腕を掴もうと手を伸ばそうとした。
だが、その時にはもう既にザックスは男の首元に剣を突きつけていた。
息を呑むほどの早業だ。
「…ひっ!」
一瞬遅れて上がる、喉の奥で引き攣るような男の声。
「よ、お兄さん。俺、聞きたいことあんだけど、いいかな?」
まるで道端でばったり友人と出会ったかのような明るい声。
ただ、それには、ただの明るさだけではなく、寒気がするような凄味を感じた。
「お、お前…っ…」
「…おっと、大声出したり、妙なマネしようもんならその場で首飛ぶから。そこんトコ宜しくな。」
小さく身動ぎした男に、ザックスはすかさず力を込めたのか、首元に小さな赤い筋が伝った。
男の顔が苦渋に満ちた物に変わり、息が極度の緊張で荒くなるのが傍目にも解る。
不意に、ザックスの瞳がちらりとこちらに向けられ、そのまま視線が通路に流れた。何らかの意思を込めた瞳。
その動作は本当に一瞬の事だったが、言いたい事は解った。恐らく通路の先で人が来ないか見張ってろという事だろう。
使われる事は気に食わなかったが、ザックスの方が先に動いた以上役割分担はもうそのように決まってしまっている。
クラウドは、渋々ながら頷くと通路の方に足を向けた。
次の瞬間には、何かがぶつかる鈍い音と、男の低い呻き声が耳に入ってきた。
相手の精神的余裕を奪い、自分の生命の温存以外は何も考えられない程に追い詰めて、自分の聞きたいことを聞き出す。
所謂拷問という作業はものの数分で終わり、済ました顔のザックスが通路の方に顔を覗かせて手招きをした。
通路の見張りと言う役から解放されて、クラウドが先程の場所へ戻ると、男は真っ白い顔で身体を二つ折りにした状態で倒れていた。
ただ、別段大きな外傷はない事に気付き、クラウドは思わず首を傾げる。
「…そんな簡単に喋ってくれたのか…?」
ザックスは、もう用済みとなってしまった男には目もくれずに頷く。
「あぁ。この組織がここまで大きくなったのは最近の事だからな。
しっかりとした人材がまだいないんだろう。ちょっと脅しつけたら簡単に喋っちまった。」
淡々と話すザックスの台詞は淀みがなく、クラウドは微かな引っ掛かりを覚える。
「…詳しいな。」
「あん?」
口を挟むクラウドに、ザックスは怪訝そうに首を僅かに傾げてみせた。
「何が…」
「この組織が大きくなったのは最近だ、なんて普通の何でも屋風情が知りえる情報じゃない気がする。」
探りを入れるような言い方に気付いたのだろう。
ザックスは一瞬面食らったような顔をしたが、それも一瞬の事。
すぐさまそれはいつもの不適な笑みにとって変わった。
「…何、俺のこと気にしてくれんの?」
「誰が。」
思いも掛けない言葉を言われて、即座返した返事に、ザックスは「そっけねぇでやんの」と笑った。
「そんなことよりさ、お前コイツどっか隠しといてくんねーか?」
コイツ、という所で地面を指差されてそちらに目を向ければ、血の気の窺えない顔で伸びている先程の男。
確かにこの場にただ放置していたのでは、見つけてくれと言っているようなもので、
それ即ちザックス達が脱走したのをわざわざ敵さんに教えてやるようなものだ。
せめてクラウド達が捕まっていた階下にでも運ぶべきだろう。
うまくはぐらかされた事を感じた。だが、まぁいいかと思った。
確かに、ここでザックスの情報を得た所で自分には何の利益もない。
たまたま交わった平行線は、今後交わることなどあり得ない。それよりは、一刻も早くここから脱出する方法を考えた方が懸命だ。
「…別に構わないけど、あんたはどうする気だ?」
構わないと答えたのは、いつかは脱走がバレるとしても、それは出来うる限り引き伸ばしたいというザックスの意図を汲んだからだった。
だが、ザックスの物言いでは、この男の始末はクラウドに任せて、自分は何かをしようとしているかのようだ。
ザックスは、先の見えない廊下によこしていた視線をこちらに向ける。
「あぁ、俺?俺はカードキー探しに行ってこようと思ってな。」
「…カードキー?」
ザックスの言葉をそのまま半濁すれば、ザックスは「あぁ、コレ」等と言いながら、床に転がっている男の手元から
カードを取り上げてみせた。
「これは、こいつが持ってたこの階を脱出するためのキーなんだけどさ、どうやらこの階自体が牢屋みたいなもんになってたみたいだ。
だからこれだけ歩き回っても出口らしい出口に着かねぇんだ。そう、さっき見かけた調度品あっただろ?あの裏に隠し扉があったらしい。」
さっき見かけた調度品とは、見かける度に同じ場所に戻ってきたのではないかと思わせる程、等間隔に置かれていた、
ほぼ均一の大きさの壺の事だ。侵入者を撹乱させる意図があるのだろうとは思っていたが、出口を隠すなどと言うまた別の意図があることに驚いた。
クラウドが納得したように頷くのを待ってザックスは先を続ける。
「んでな、こいつの意識なくなる前に喋らせたんだが、どうやらこの組織自体が地下にあるらしい。
地上へ向かう通路に行くには、今回と同じようにカードキーがないと行けないらしいんだ。」
クラウドは自然ともう一度頷いていた。地下組織にから地上への通路に必要なカードキー。ありえる話だ。
実際クラウドが『デリーグ』の地下組織に入る際にも赤いピアスが必要なのだ。
「でさ、物パクって戻ってくるなんてのは一人のほうが気楽だろ?だから俺が取ってくる。
カードキーは地下5階、このフロアの1つ下にあるらしい。
だから、お互いの仕事済ませたらこのフロアの階段で待ち合わせ…って事でどうだ?」
一通りの説明を受けると、クラウドは小さく頷いた。
作戦も何も立てようがない只管強行突破を貫かなければならないこの状況に置いてザックスの指示は
一々最もで、反論すべき項目も見つからない。
「解った。じゃあ、それでいこう」、と了承の意を伝えると、ザックスはくすりと小さな笑みを漏らした。
この場にそぐわない態度に、思わずザックスの顔を見上げれば、ザックスは些か人の宜しくない笑みを浮かべている。
クラウドはその行動の意図が解らず、眉根を寄せる。
「…何だよ。」
「いや、お前、疑わねーんだなと思って。」
「何をだ?」
一体何を疑うのか、それが本気で解らなくて首を傾げれば、もう一度ザックスは小さく笑った。
「いやさ、もし俺が一人でカードキー持っていっちまったら…とか、お前考えないんだな。」
親指と人差し指の間に挟んであったカードをひらひらと振りながらの言葉に、クラウドは思わず絶句してしまった。
それは、ガンと頭を殴られたかのような衝撃だった。
余りにも顕著な反応にだろう、ザックスが小さく笑う。
「んな顔すんなよ。冗談だって。お前が俺の事油断しすぎ、だとか言ったから、ちょっと言ってみただけだ。」
ザックスは無邪気な声でそう言う。
だが、クラウドがこれ程衝撃を受けているのはまた別の理由なのだ。
どうやらクラウドがこれ程衝撃を受けた理由を読み間違えているらしい。
当たり前のことだ。
自分だって信じられないのだ。こんな事を思った自分が。
相変わらず押し黙っているクラウドに「オイオイ」とザックスが少し焦っているような、呆れたような声を出す。
「だから冗談だって。そんな思い詰めんなよ。確かにこんな時に言う冗談じゃなかったよな。俺が悪か…」
「違う」
何時までも勘違いを続けている男の言葉を思わず遮っていた。
途端ぴたりと口を噤んで先を促すような瞳をするザックスに、思わず口走っていた。
「その可能性が浮かんでも、あんたは、そんな事しそうにない気がするって勝手に思い込んでた自分に驚いてるんだ。」
「………」
今度はザックスが絶句する番だった。目を大きく見開いて、カードキーを持ったまま微動だにせず固まっている。
今更ながら、思わず口走ってしまった自分の言葉の意味に気付き、どうにも居た堪れない気分が襲い掛かってくる。
この場から逃げ出したいほどの後悔に、クラウドは思わず顔を顰めてしまった。
(何、言ってんだ、俺は…)
自分は暗殺者で、ザックスはそんな自分のターゲットで。今はただ緊急事態に陥ったために一時的に協定を結んでいるだけの話で。
信用なんて、天地が引っくり返ってもするべきではない相手だと言うのに、クラウドはふとその可能性が浮かんだ瞬間、心の中でその考えを一蹴りしたのだ。
ザックスが、そんな事をするはずがないのだと。自分で自分が信じられない。
何とかこの場を取り繕えはしないかと、ザックスの、何処か呆けたような顔を見ながら言葉を捜していると。
ふ、と、ザックスが双眸を細めた。 それは、本当にとても柔らかい笑みで。 余りにらしくない微笑だった。
余りにもこいつには不釣合いな笑みだった。
だからなのだと。
そのせいでただ驚いたのだと思いたかった。
ほんの一瞬。 そうほんの一瞬だけ、心臓の鼓動が飛び跳ねてしまったのは。
「…あぁ、信用して貰って構わねーよ。俺はお前を何でも屋に入れる気満々だしな。」
信じられない位に柔らかい笑顔はされど一瞬の事で、直ぐにザックスの笑みはいつもの不敵な笑みに戻った。
「言ってろ、馬鹿。」
一瞬だけ飛び跳ねた心臓が自分でも信じられなくて、動揺した自分に気付かれたくなくて、ふいと視線を逸らす。
何なのだ、この男は。
どうにも悔しくて小さく舌打ちをする。
「さっさと行けよ。」
吐き捨てるような台詞にもザックスは嫌な顔せずに「そうだな」、と壁に凭れ掛かっていた背中を上げる。
隠し扉のある調度品までの道のり、意に反して振り回されてしまった、せめてもの意趣返しにと、その背中を思い切り睨みつけてやった。
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