ささやかな安眠法
「たっだいま〜!!」
音もなく開く扉とは対照的に、部屋中に響き渡る底抜けに明るい声。
驚き、思わずがくりと肘を崩して。そこで初めてソファでうとうとしていた事に気が付いた。
寝起きの気だるさも拭えないうちにザックスが足音荒くもリビングルームに入って来る。
「ただいま!クラウド!」
未だ血の巡らぬ脳内に明るい挨拶。満面の笑顔。
「…オカエリ。頗る健康なご帰還残念なことです。」
頭痛がするのを抑えながら言葉を紡ぐと、辛辣な言葉にも関わらずザックスは満足そうに笑った。
ザックスは、1週間の予定だったにも関わらず、2週間にまで延びた遠征から本日たった今帰って来た所である。
大幅な予定変更。遠征帰還予定なんて当てにならないなんて事は知っていたが、
それでも予定日より日が一日一日と伸びるうちに、気付けばテレビの前に居座って新羅関係のニュースを見ている自分に苦笑した。
別段危険な任務だとは聞いていなかったし、新羅関係専門のニュースを流す番組も至って平和。
遠征が延びた理由は大した事ではないのだろうと予想はつくが、それでも不安だった。
それなのに帰って来たのは心配していたのが馬鹿らしいほど無邪気な笑顔。
その余りに屈託のなさに呆れを滲ませたのも一瞬。
ザックスの腕に巻きついた真新しい包帯を見つけて、思わず顔を顰めた。
「…あんた、腕……」
そう言って腕を包帯に伸ばした瞬間。
「…っ…おい!」
大丈夫かと言おうとした所をいきなり抱きつかれて思わず叫び声をあげる。
「ん〜…何かお前と居ると落ち着くわ。」
「…はぁ?」
「あ、いい匂い〜。クラウド石鹸の匂いがする〜。」
「っ!馬鹿か!離せ!」
必死にもぎ離そうと試みるが、如何せん、ザックスの腕の包帯が気になって余り力が出せない。
包帯は肩から肘の辺りまで巻かれていたから、肩なんかに手を掛けたら痛いに決まっている。
そう思うと手のやり場にも困ってしまう。
「うざい!暑い!気持ち悪い!離せ!」
仕方なく言葉の暴力に切り替えれば、「クラウド冷たいな〜。」なんていう可愛子ぶった物言いをし出す始末。
思いつく限りの悪態を並べても決して離れようとしない。いつも以上のしつこさに閉口する。今日は一体どうしたというのだ。
まぁ、いつもさっぱりしているとは言いがたいが、ここまでしつこいのは初めてだった。
「あー!もう!何で男に抱きつかれなきゃいけないんだ!!おい、放せって!」
肩に触れるわけにはいけないから、作戦を変更して、ザックスの長髪を引っ掴もうと手を伸ばした瞬間。
息を呑むほどに強く抱きしめられて、思わず腕がぱたりと落ちる。
クラウドの頭に大きな掌が回されて、ザックスの胸辺りに押し付けられた。
いつもの他愛ないスキンシップとは違う。何か様子が変だと思った。
「………ザックス?」
「……悪ぃ…」
くぐもった声で名前を呼べば、低く、掠れた声が返ってきた。
未だかつて聞いたこともないようなその声に、クラウドも抵抗を止めて言葉を待つ。
何を言い出すのかと息を詰めていれば。
「ちょっとだけ…寝かして…。」
「………は?」
予想だにしない言葉に思わず声を上げた瞬間。ザックスはそのまま後ろに倒れこんだ。
クラウドをしっかり抱き込んだまま、ソファのクッションに真っ逆さま。
ザックスの固い胸筋に頭をぶつけて思わず顔を顰めた瞬間には、深い寝息が聞こえてきた。
突然変わった視線の高さに、初めは目を白黒させていたクラウドも、今の自分の状況を改めて認識して深い溜息を吐いた。
いつもながらのザックスの突拍子のなさに呆れ果てていたとも言える。
ザックスは寝つきがいい。お休み3秒とは正にこの男のためにあるんじゃないかと思うくらいの脅威のスピードで眠りにつく。
眠れる時に眠っておかなければ、今度何時眠れるか解らない、それが、ソルジャーの特質だからなのだろうが、
この余りのスピードにはいつも驚きを隠せない。今日なんて3秒かかったかどうかも怪しいものだ。
まぁ、それはともかくとして。
クラウドは突然襲われた災難から抜け出そうと、クラウドをしっかり抱き込んでいるザックスの腕を引っ掴んだ。
ほんのちょっと力を入れて持ち上げようとする。
動かない。
眉を顰めて、先程よりもう少しだけ力を入れる。それでも動かなかった。
自棄になって、全力投入して腕を引き剥がしてやろうかと思ったが、ザックスの腕の調子を思い出してやめにした。
無理矢理に引き剥がせば、腕や肩に負担がかかる。
どれ程の怪我かは知らないが、さすがに痛覚を覚えれば目も覚ますだろう。
帰って来て早々とんでもなく不審行動をして、そのまま寝入ってしまったザックス。
余程疲れていたのかと思うと、同情心も沸き起ころうというものだ。
男の上に乗せられたまま抱きしめられているなんてこの上なく気持ちが悪い状況だが、
元来スキンシップ過多気味なザックスゆえ、感覚が麻痺してしまったのか、別に吐き気を催す程ではない。
我慢できないほどでないのであれば、2週間もの遠征から帰ってきた今日くらい別に我慢してやろうかと思った。
何と言っても、“あの”ザックスが、自分なんかを抱きかかえて爆睡しているのだから。
ザックスは確かに寝つきはいいが、余り人前で眠るのを好まない。
…いや、好まないとは御幣があるか。
ザックスは傍に人が居ると眠りが浅いらしい。起きている人の気配を傍に感じると、身体は眠っていても、精神は起きているそうだ。
理由を問えば「何となく、落ち着かないんだよなー」とのこと。
実際、ザックスと同室になって初めの頃、夜中にこっそり演習場に行こうとしたクラウドの気配を
すぐさま感知し、「どうした?」などと声を掛けられて飛び上がったものだ。
まぁ、いつ何時寝首を掻かれるか解らない戦場に頻繁に向かっているのだから仕方がない事とも言えるかもしれない。
そんな彼が、抱き潰して眠ってしまった女ならともかくとして、
起きて、こう、ぴんぴんしている男である自分を抱きしめて眠って平気なんて、その疲労はいかほどであろうか。
そう思うと何だか動けないクラウドであった。
動けないでは暇なので、クラウドはザックスの胸板に肘をついて、寝顔観察を実行に移す事にした。
天下のソルジャー1stの寝顔をこんな間近で拝める機会なんて、きっとこれが最初で最後だろうし。
頬杖ついて、ザックスを見上げる。
いつもいつもへらへらした顔しか見せないし、ちょっと真面目な顔してるかと思えば直ぐに崩れるし。
何より中身がアレだと思うとどれだけ真面目な顔をしていても何だか滑稽にしか見えない。
まぁ、出会った当初はソルジャーへの憧れもあり、そんな事もなかったが、
付き合いも長くなりつつある今では、こんなものだ。
ただ、いつもへらへらとした笑みを形作っている顔のパーツは、元来そうであるべき形に戻っていれば、
端正極まりないわけで。しかもうっすら開いた唇からは何だか男の色気って物が多分に放出されていて。
あぁこういうのが女の子には受けるのかと冷静に思う。
何だか自分の顔と比較して、劣等感に陥ってきたクラウドは、ザックスの顔から目を逸らした。
父親の顔など良くは覚えていないが、自分も父親に似ていたら少しは違っただろうにと、際なき事を考える。
不意にザックスが小さく身じろぎした。腕の力も少しだけ緩む。
流石に寝にくかったのかと思い、もう一度ザックスを見上げた。
端正極まりない顔立ちとか、男の色気とか、そんなものでドキッとなんてしない。
それで心臓を騒がせるのは女の子の役目で、いくら女顔とはいえ、自分はそんなのお役目御免だ。
寧ろ煽られるのは限りない劣等感の方。
自分が思わずドキッとしたのは、そんなんじゃなくて。
その、余りの無防備さ。
見た事がない位安らかで、何もかもさらけ出していて、何だか別人に見える位雰囲気が変わっている。
起きているときは、何をしていてもどんな時でも何処か気を抜かないザックスが。
いや、寝ている時だってそうだ。
いくらザックスが気配に鋭いとは言っても同室ゆえ、ザックスの寝顔を見た事はある。
でもいつもはこんな顔、しない。こんなドキッとする位に無防備な顔、しないのに。
ふ、と思う。
女の子にはいつもこんな顔を見せているのだろうか。
いつもこんなに気の抜けた、心底力の抜けた顔をしているのだろうか。
そして今、自分はそんな女の子達の身代わりとして使われているのだろうか。
…何だか段々腹が立ってきた。
だったら、自分なんかの元に先に戻って来なくても、さっさとオツキアイしてる自慢の女の子の所にでも行けばいいのに。
自分が女の子扱いされるのが嫌いだってよーく理解しているだろうに。
苛立ちのまま頬を抓ってやっても、軽く肘に体重をかけてやってもびくともしない。
こちらの劣等感など気付きもせず、呑気に寝息をたてている。
ムカつく。とんでもなくムカつく。
こんな気分にさせられたのは100%ザックスのせいだというのに。
半ば八つ当たり的な思考に陥ったクラウドは、思わず近場の机に手を伸ばしていた。
「……ん…」
ザックスが目を覚ましたのは、それから1時間程経ってからだった。
ゆっくり瞼を持ち上げて、ぼうっとした瞳でこちらを見てくる。
目の前に相手の顔があると言う事に、今更ながら抵抗を覚えて、
ある作業に没頭していたクラウドは思わず固まってしまった。
「クラウド…?」
寝起きの掠れた声で名前を呼ばれる。びくりと肩を竦めると、ザックスはそのまま優しく微笑んで、そっと頬に左手を掛けてきた。
何だか酷く優しい仕草。
固まってしまったクラウドに気付いたのか、その体勢のままこちらをじっと見てくる。
ザックスの瞳は暫く焦点が合っていなかったが、数度瞬きをした後、その魔光色をした瞳を大きく見開いた。
「うわぁ!?」
かと思えば勢い良く起き上がられて、ザックスにのっかかる体勢になっていたクラウドは勢い良く転がり落ちた。
したたかに背中を打ち付けて低く呻くクラウドに、ザックスは驚いたように口元を押さえる。
激しく動揺しているザックスに、クラウドの呪縛も解けた。打ち付けた箇所に手を当てながら低く呻く。
「…あんたのせいだろ。」
「は!?俺!?」
信じられないというような顔をして、己に人差し指を向けているザックスに、憮然とした様子で頷いてやる。
ザックスは、壁に立てかけてあったバスターソードと、自分が横になっているソファ、そして最後にクラウドに目をやって、
何かを思い出したようだ。決まり悪そうに頬を掻いた。
「あ、ああ、そうか。そうだった…気が、する。」
クラウドの微妙な視線に、ザックスは苦笑して目を逸らしたが、ふと気付いたようにクラウドに目をやった。
「…もしかして、お前ずっと居てくれたのか?」
心底驚いたような顔をして、そんな事言わないで欲しい。
大体にして居てくれただとかそういう次元の話でもない。強制的に居なくてはならなくなっただけだ。
その辺りをちゃんと伝えようと、クラウドはザックスを睨みつけた。
「別に好きで居た訳じゃない。あんたが寝てるくせに馬鹿力発揮してるからだろ。
俺はそのせいで仕事も出来やしなかったし。」
「そか、居てくれたのか。」
「だから!」
己の意図を汲み取ってくれないザックスに声を上げようとした瞬間。
「ごめん。」
あまりに真剣な声音に、思わず言葉を失くした。
ザックスは戸惑い気味のクラウドを真っ直ぐに見て、そして。
「…ありがとな。」
心の底から、真面目にそう言われて、何だか毒気を抜かれた。
それどころか、その余りに優しい瞳に心臓の鼓動が速くなる。
その理由など解らない。けれど、このままではいけないと本能的に悟り、慌てて目を逸らした。
「ったく、何で殴っても、蹴飛ばしても起きないんだよ。」
あまつさえ。
落書きまでしたのに。
それは声には出さずに自分で気付いて貰う事にするが。
そう、クラウドは実はザックスが寝入っている間に、その端正なお顔に落書きを施しておいたのだった。
目の周りに丸を描いてみたりだとか、眉毛を塗りつぶしてみたりだとか、とにかく無茶苦茶に落書きした。
実はちょっとやり過ぎた感があって、目を覚ました瞬間には思わず吹き出しそうになったのだが、
今は何だか雰囲気的に、どれだけ顔がおかしかろうと笑えなかった。
「…ソルジャー様の癖して。油断しすぎ。」
そこで一瞬押し黙ったザックスを不審に思い、目を向けるとひどく優しい瞳をしていた。
「お前が、特別だからに決まってるだろ。」
そう言ってザックスは笑った。いつものおちゃらけた感じではなく、本当に優しい瞳。優しい声で。
(落書きしておいて良かった)
心底そう思った。
落書きしてなければ、きっと心臓の鼓動がこの位じゃすまなかった。
そんな予感がした。
何の取り得もない、くだらない人間である自分がそう言われるだけでどれだけ嬉しいかだとか。
きっとこいつは一生知らずに過ごすんだろう。そう思うと何だか悔しいような気がした。
「…気持ち悪い。」
そう憎まれ口を叩いても、ザックスの笑顔は崩れない。
何だか女々しい自分が嫌で、そんな事を思わせるザックスに何となく悔しいような気分になって。
「…それより、鏡見に行った方がいいんじゃないか?」
だなんて、言うつもりがなかった事を言った。
「……は?」
顔を顰めるザックスに、床に転がっていたペンを拾い上げて、見せ付ける。
「これ何に使ったか解る?」
初め不思議そうにペンを見詰めていたザックスの顔色が徐々に蒼くなっていくのを見るのは何だか楽しかった。
「マジかよ!?」
そのまま物凄い勢いで洗面所に駆け込んでいく。
「うわ!暫く外にも出れねぇじゃん!!」
洗面所でそう叫ぶザックスに、ザマーミロと小さく呟いた。
うわ、これ完璧に片思いじゃん。
って初めから突っ込んで申し訳ございません(滝汗)
この話、絶対補足がないと解らないと思うのでここで補足させて下さい。
えーと、こんな甘々ですが、まだこの二人、くっついてません。まだザックスの片思い段階です。
友情の域から出られず、クラウドは、まさかザックスが自分の事を好きかもなんて欠片も思ってないので、ザックスの行動をあまり不審とも思ってません。
そんな感じで、何にも気付いてないクラウド視点から書いたので、こんな訳の解らない話になってしまいました。ホントごめんなさい。
あ、あともう一つだけ。(まだあるのか)
ザックスが何故初めあんな不審行動に出たかと申しますと、遠征先で、色々辛い事があって、精神的に参ってたって感じなのです。
って長々と補足申し訳ございませんでした!!こんな補足がなきゃ解らない話を書くなよって感じですよね。すいません。
リクは『ザックスの寝顔にドキッとし、なんでドキッとしなきゃいけないんだ!みたいな感じで顔に落書きをしたクラウド』
でした。
素敵なリクだったのに、何だかすんごく解りにくい話になって申し訳ありませんでしたー。
んー何か消化不良なので、いつかザックス視点でこの話書いてみようと思います。
H様リクエストホントありがとうございました!