カラン

 

舗装されていない砂利道が乾いた音を立てる。

ここも随分変わったものだとクラウドは思う。

 

着いた先にあるもの


クラウドが歩いているのはミッドガル跡地。

『盛けきものもついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ』そう言った作家が過去にいたか。

舗装されていない、いや舗装されていたが過去の事件がきっかけで跡形もなくなった道路を歩きながら、昔聞きかじった一節を暗唱してみる。
この廃虚は正にその一節に相応しい。

3ヶ月前、星の存続をかけた戦いは終わりを告げた。

セフィロスという新羅が作り上げた英雄によって放たれたメテオから、
エアリスというセトラの生き残りである少女によって放たれたホーリーが星を守るという形で。

星は確かに救われた。けれど後に残ったのは希望ばかりではなかった。

二つの魔法の戦いでミッドガルは廃虚となり、多くの死傷者、怪我人、身寄りのない人間がでた。

メテオの脅威から開放された後にも人々は希望に浸ってばかりどいられなかったのだ。

そんな人々を救うために、クラウドとその仲間たちは苦闘することとなった。

怪我人の収容、身寄りのない人の衣食住の確保、施設の充実など、しなければならない事は山済みで、あっという間に時が経ってしまった。
近頃は大分減ってきたとはいえ、未だミッドガルには取り残されている住民がおり、
死体の身元確認、埋葬は更に追いついていないのが現状だ。
今日はそういった人々を捜索するためにクラウドはミッドガルを歩いている。

 

不意に目を向けた瓦礫の元に、何やら蹲っている影がある。

薄汚れた布を頭から被っており、微動だにしない。

クラウドその方向に足を向けた。

死んでいるのならばこんな路上に放置しておくのではなく、他の死体と共に埋葬してやりたいし、

生きているのならば施設に誘導しなければ。

「おい、あんた生きてるか?」

影の前に立ち止まると、そう声をかけた。

薄汚れた布が僅かに揺れる。

(生きてる)

クラウドは安堵した。長らく生きているものを目にしていなかったから、生に触れたことが妙なほど嬉しかった。

「俺は施設への誘導係だ。身寄りのない人も迎え入れてる。一緒に行こう。」

今度は全く反応がなかった。

手を差し伸べて再度言うと、布が小さく動いて皺枯れた声が聞こえた。

「人を、待っておる…。」

こう言う人は今まで何度も目にしてきた。
人と逸れてしまって、ここから動くと分からなくなると言うのだ。
クラウドは影のもとにしゃがみ込んだ。
布の隙間から覗いたのは無数の皺が刻まれた老人の顔。顔色は土気色で、灰色の目は濁っており、生気というものが全く感じられない。
そこで初めて気付いた。老人には足が片方なかったのだ。
足の付け根には包帯が巻きつけてあり、痛々しくも血が滲んでいる。このままでは危ない、そう悟った。

「もうここにはほとんど人はいない。皆施設へ移った。そこにいるかもしれない。一緒に行こう。」

実際施設で再会を果たした人を何人も見ている。
…その倍くらい再会を果たせず絶望した人も見てきたけれど。
クラウドの言葉にも老人は緩慢に首を振るだけだった。

「放って、置いてくれ…ここにおる…」

抑揚のない声で語られる、ここで死ぬことを選んだ言葉。

このままでは死んでしまうと判っていても、自分には老人を無理矢理連れて行くことはできそうもなかった。
自分もこの老人と同じように生というものに執着していなかったから。

生に執着しない者は、生に執着している者にしか導けない。

けれど、このまま立ち去ることもまた自分にはできなくて。

せめて何かこの老人にしてあげられる事はないかと考える。

老人の顔を見ると、埃に塗れていることに気付いた。

「……」

クラウドは懐から白い布を取り出すと、薄汚れた布を除けて顔を拭った。ゆっくりと、丁寧に。

老人は相変わらず生気の感じられない目をクラウドに向けた。

そうしているうちに老人の瞳に光が宿った。

初め僅かだったそれは、徐々に広がっていき…

ついには老人は濁った灰色の目を大きく見開いた。

それこそ眼球が零れ落ちてしまうのではないかというほど大きく。

クラウドが怪訝そうに眉を寄せると、老人はクラウドの右手を力強く掴んだ。

この細い腕の何処にこれだけの力が残っていたのだという位。

「あんただ…」

老人は大きく目を見開いたままそう言った。

「……え…?」

「あぁ、そうだあんただ…。」

しわがれた顔と同じくしわがれた声で老人は言った。

そこでやっとその声が聞き覚えのあるものであることに気付く。

だが、いつ何処で聞いたのか全く思い出せない。

「…あの、何処かでお会いしたことが?」

「あぁ、そうだな。お前さんと会ったことがある。お前さんは変わらんなぁ…。

老人は苦境を乗り越えてきた末に増えたであろう皺を深くして微笑んだ。

枯れ木のようだった身体からようやく生命の光が感じられた。

この柔らかさを何処かで感じたことがある。そう、ひどく遠い記憶ではあったけれど。

この、人の良さそうな、独特の声のトーンは。

突然起こるフラッシュバック。

「あ、もしかしてアンティークショップの…!」

突然ザックスが買ってきて、突然お揃いにしようと言ったあのピアスの元の石。それを買った店の主人。
以前よりも髪が少なくなって、皺は増えたけれど確かに面影は感じられた。

「あぁ、そうだ。もう何年になるのか…」

「7年、です。よく、覚えて…」

いくら高額な買い物をしたとはいえ、7年も前にふらりと訪れた客の名前を覚えているとは。

老人の記憶力に驚きを隠せないクラウドに老人は悪戯っぽく微笑んだ。

「あれだけ見せられれば覚えてもいるさ」

「…見せられ…?」

「あぁ、あんたの連れだった男に何度も写真をな」

老人は昔を思い出したのか小さく苦笑した

「ザックスが…あいつが俺の写真を?」

「そうだ、あの男めけしからん。わしにあれだけ苦労させておいて取りにこないとは…」

「取りに、来ない?」

胸が騒いだ。一体何の事だ。

「そうだ、あの男は何処にいる?あんたと一緒にいるんだろう?

一発殴ってやらなきゃ気がすまん。」

目をぎらぎらとさせている老人は怒っているというよりはただ単に懐かしんでいるという方が正しい。

やんちゃだった少年をたしなめるようなそんな色合いの濃い言葉。

「ザックスは…」

思わず言葉に詰まる。この老人にそれを言っていいものか。

ほぼ生きる望みを失っているであろうこの老人に。

 

「…やはり、死んでおるのか?」

 

押し黙っていたクラウドははっと顔を上げた。やはり、と彼はそう言った。

老人特有の何もかも達観した、諦めにも似た感情が瞳の底に見えた。

この老人は何もかもを受け入れるだけの器を持っている。それを感じた。

「…はい、あいつは…2年前に…」

思い出すには余りにつらい記憶。言葉は続かなかった。

老人は深く頷いた。

「成程な。やはりそうか…薄々そうではないかと思っていたがな。それで合点がいく」

クラウドの辛そうな様子に気付いたのか、はたまた自分の物思いのほうが最優先だったのか、

ザックスの死について老人は深く言及しなかった。

「合点がいくって…あいつは、何か?教えて下さい!」

ザックスが生前何を想っていたのか、何をしていたのか、それが少しでも知りたい。

例えそれが傷を深くするだけだとわかっていても。

老人は必死で詰め寄るクラウドの頭をそっと撫でた。

子供をあやすように優しく。ゆっくりと。

「あやつはお前さんを愛していたからだよ。」

老人は柔らかく微笑んだ。

「あやつはな、お前さんのためにどえらいものを用意しておった。」

「どえらい…物?」

「そうじゃ」

そう言うと、老人は懐からゆっくりと小さな箱を取り出した。

「これを渡すまでは死ねないと思っておった。この命の尽きる前で本当に良かった。」

クラウドは震える手で受け取った。革張りの、明らかに装飾品を入れるための立派な箱。

震えた指先では金具がなかなかはずせず、焦りだけが胸に蓄積する。

金属の擦れ合う音。

そしてやっと開いた先に見つけたもの。

それは。

「馬鹿か…」

小さなメッセージカード。その上に書かれた文字。

『愛してる』

それだけが紙一杯に書いてある。

右上がりの独特な文字で。

なんて捻りのない。

女ったらしで有名なあの男が書いた言葉にしては余りに稚拙。

映画でも小説でも使い古された陳腐な台詞。

くどき文句なら五万と知っていただろうに。

いくらでも思いついただろうに。

それでも残したのはたった一言。

余りに飾りっ気がない言葉。

そしてそれ故に何よりも染みいる言葉。

紙の下に言葉同様飾り気のない銀色のリングが光っていた。

内側には二人分の名前。

そして、二人の名前の間には青色の石が嵌め込まれている。ピアスと同じ青い色。

「それは結婚指輪じゃ。」

「結婚…指輪…?」

思わず言葉を反芻する。

「あいつは心底お前さんに惚れ込んでた。わしの目からみても明らかにな。

そんなお前さんに用意した結婚指輪をあいつが無下にするはずもないと思ってな。

それならばもしかしてこの老いぼれより一足先に逝ったしまったのかもしれん…と思った。」

(あいつが、結婚指輪を…?)

永遠の愛を誓う指輪。

逆に言えば相手を縛り付けるもので好きではないと彼は言った。

自分と付き合う前ではあったが彼ははっきりとそう言ってのけた。

そのザックスが?

『一生一緒にいよう』と言われたことはあった。

けれど、それは女ったらしなザックスのお決まりの台詞なのだと思っていた。

軽く受け流して終わってしまえる、そんな他愛無い言葉だと思っていた。

その言葉の重みなど考えたこともなかった。

ただ、その場の流れにすぎないのだと。

本気にするべき言葉ではないのだと。

なのに。

「………」

水滴が指輪を濡らした。まるでダイヤのように光って滑り落ちる。

「馬鹿か…」

思わずそう呟いていた。

涙が止まらない。

くだらない用件で老人を走り回らせて。

陳腐な台詞をメッセージカードに書いて。

結婚なんかできもしないのに指輪なんか用意して。

挙句の果てにくだらない人間をかばって死んで。

「本当に…馬鹿だ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脳裏に優しく微笑んだザックスが甦る。

逃亡時に僅かに残る記憶。

『ミッドガルに着いたら話すな…』