Act10 To Tell A Lie



ピーという機械的な音がして、扉が開いた。
執事が去っていってから、どれ程の時間が経ったのか。
時間的感覚の麻痺していたクラウドにはわからなかったが、とにもかくにも、もうそんな時間だという事は解った。

「クラウド。はよ。」

ザックスがいつものように手を上げて入ってくる、そういう時間だと。
優しい笑顔、優しい瞳に、言葉が詰まった。

『なんとか、します。』

自分はそう言った。確かにそう言った。
言った以上実行に移さなければならない。

(でも…)


「今日さ、前言ってた写真持ってきたんだ。」

ザックスは、持ってきた鞄の中に手を入れた。

「魚の写真。お前見たいって言ってただろ?」

そう言って笑うザックスに、どうしようもなく胸が締め付けられる。
むずがゆい様な、暖かいような、苦しいような。
甘い、気持ち。
声を聞くだけで。
顔を見るだけでこんな風になる自分に、果たしてどうにかする事なんてできるのだろうか。
泣きそうな顔をしているのが解っていたから、頷いたように見せかけて、俯いた。
苦しい。どうしようもなく。
唇をきつく噛んだ。

「クラウド…?」

黙り込んでいるクラウドを不思議に思ったのか、ザックスは顔を覗きこんできた。
顔を上げると、目が合う。
目が合って、そのまま見詰め合った。ザックスは、優しい目をしていた。
心臓が大きく高鳴る。目が、逸らせない。自然と頬が熱くなるのが自分で判った。
見詰め合ううちに、ザックスの視線が、熱を孕むのに気付く。

「クラウド」

低く甘い声だった。あの時と同じ、甘い声。
そっと頬に手を掛けられる。
ザックスの唇が近づく。

『なんとか、します。』

そう言った。
簡単な事だ。振り払えばいいのだ。この暖かな手を。
少しだけ腕に力を入れて、無慈悲に振り払えばいいだけの事だ。
でも、それからどうすればいい?
何て言えばいい?
思っても見ない事を言える自信がなかった。
寧ろ今の自分の感情が、いや、自分で意識さえしていない感情が一気に噴出してしまう恐れもあった。
自分が言わなくてはならないのは、思ってもいない事。考えた事もない事。
自分の考えの真逆の事。
まったくのぎゃく。
その瞬間衝撃が走った。
あぁそうか、と思った。

(思ってる事と、逆の事を言えばいいんだ。)

思っている事と全く逆の事。それを、ただ単純に言っていけばいい。
嘘が苦手な自分でもそれ位はできる気が、した。


「離せよ。」

パンと、乾いた音を立てて、ザックスの手を振り払った。
ザックスの驚いたような顔が。そして少し傷ついたような顔が胸に痛かった。
でも、それでも。

「何、調子乗ってんだ?」

「……クラウド?」

ザックスが驚いたように目を見開いた。言って居る事が解らない、というような。
できるだけ、冷ややかに聞こえるように。それだけを考えて。

「何調子乗ってんだっていってんの。」

ザックスが怪訝そうに眉根を寄せる。
当然だ。こんな冷ややかな顔、こんな冷ややかな声、初めて会った時以来一度だってしていない。

「一度きり抱いただけで調子乗ってるってわけ?こいつは俺のもんになったって?
馬鹿馬鹿しい幻想だな。俺が何考えてたかも知らないで」

肩を竦めて、思いつく限りの汚い言葉を並べ立てる。

「あんた、全然俺の事抱かなかったから、おもしろいなって思ってた。前にもそんな奴がいてさ、コテコテの偽善者で。
で、どの位我慢できるかと思ってたら3回目でもう駄目だったよ。」

声を出して笑った。馬鹿らしい嘲笑。ようやく、顔を上げた。

「それに比べりゃあんたは結構我慢強い方だったな。随分楽しめたよ。」

ザックスの目を真っ直ぐ見詰めて。唇の端を歪めて。

「お前なんざ一時の退屈凌ぎだよ。それ以外の何ものでもない。」

きっぱりと言い切った。思ったこともない。思いつきもした事ない、そんな言葉。
辛くて辛くて堪らなかった。視線を漸く逸らす。


「まぁ、お前は王子だし?付き合えって言われたら付き合うけど。したい?」

左手の親指と人差し指で輪を作り、その中に右手の人差し指を刺し込んだ。
以前ここに来た奴の一人が、ある行為をする事を示すのによく使ったジェスチャー。


「…んな訳ねぇだろ。」

何かを押し殺したかのような声に、思わず叫びだしたくなる。
これは嘘だと。そんな事考えた事もないと。
手のひらに爪が食い込む。
ここが、正念場だった。
自分の思っている事の真逆。
一番言うのが辛い事。


「だったら」

息を一度吐いて。そして。


「もう」

ずっと側に




「俺に近付くな」

居て、欲しい。




笑みすら浮かべて。
嘘は苦手だった。
それでもこんなに微笑んでいられるのは、自分が思っている事を逆にするただの翻訳機に成り下がっているから。
ザックスは言葉を詰まらせて、酷く傷ついた顔をした。
これでよかったのだ。間違ってなどいない。間違ってなどいるはずがない。
そう、間違っているのは自分の感情。
一緒にいたいと、叫び出したいこの衝動。
走り出して、抱きしめて、行かないでくれと縋りたいこの気持ち。
一時の感情に振り回されているだけの、ただ躍起になってそれにしがみ付いているだけのザックスを縛り付けるだなんていう、
どうしようもない事してはいけない。


どうせ、こんな関係長くは続かないのだから。