Act7 my pleasure


クラウドと会うことが出来るようになったのは、毒の流入から1週間後の事だった。
修復している間の4日、毒に触れた直後は汚れているからといって、更に3日間。
放っておけば、ロンから鍵を奪って、自分でパスワードを聞き出しに行きそうな勢いのザックスを恐れてか、
ロンは、ザックスをその1週間部屋に幽閉した。
クラウドは今、どうなっているのか、無事で居てくれているのか、身体を崩したりはしていないのか、
その情報が全く入って来ない室内は気が気ではなく、食事も殆ど喉を通らない一週間だった。
きっちり一週間後に、ザックスは部屋から解放され、クラウドと面会する事を許された。
扉を開けると、そこにはロンがおり、一瞬殴りかかってやろうかとも思ったが、既にパスワードを調べてきているのを知って、止めた。
ここで、殴り倒してしまえば、それだけクラウドの元に行くのも遅れてしまう。
それに、更に薄くなっている髪の毛を見て溜飲が下がったというのもあった。
やり方は間違っているが、ロンはロンなりに、ザックスを慕ってくれており、ザックスを守ろうとしてくれていたのだ。
ただ、そのやり方が、価値観という決定的な違いによって、一生交わることがないのが悲しかった。




ロンがキーを解除するのを待って、中に入る。
クラウドは、いつもの様に部屋の中央で膝を抱えて、擬似の空である天井を見上げていた。
ただ、いつもと違うのは、Tシャツからすらりと伸びた腕にも、染み一つなかったその頬にも、赤黒い痣が浮かんでいることだ。
外部の毒に触れた後の後遺症だという事は一目でわかった。
今まで、毒による後遺症で死んだ人間を何人も見ているザックスだが、例外なく皆あの赤黒い痣で覆われていたのだ。
あの痣が消えず、広がっていくと、確実に死に至る。ちなみに広がっていくか、消えていくかは完全に運任せだ。
今回のクラウドは薄れ掛けているとはいえ、未だ痕を残すその痣に、ザックスは胸が苦しくなった。

「クラウド」

呼びかけると、クラウドは、反射的にこちらに視線を向けた。

「…ザックス」

名を呼んでくれるクラウドに微笑みかけながら、ゆっくりと歩み寄り、隣に腰を降ろした。
その位置だと、ふと横を向くだけで、赤黒い痣が目に入る。

「……大変、だったな。」

「何が?」

しらばっくれているのか、本当にわかっていないのか、クラウドは不思議そうに首を傾げた。
いや、恐らくしらばっくれるなどという高度な真似は、クラウドには出来ないだろうから、後者なのだろう。

「…毒の処理、任されたって聞いた」

「…ああ。」

そこで、初めてザックスの言葉の意味を理解したらしいクラウドは、一瞬考える素振りを見せてから、小さく首を振った。

「別に、そうでもない。そもそも、俺が自ら志願したんだし。」

「……は?」

信じられない台詞に、ザックスは思わず目を丸くする。
だが、聞き間違いではないとばかりにクラウドは、「どうせ、俺は穢れだし。」と言い放った。
本当に、何でもない、世間話のように。
いや、実際クラウドにとっては本当に何でもない事で、世間話と同レベルの問題なのかもしれない。
クラウドは、解っているのだろうか。痣が消えなければ、クラウドは確実に死んでいるのだ。
しかも生半可な苦しみ方ではない。体中全てが、引き裂かれるような痛みだと聞いた事がある。それでも、構わないというのか。
それ程、今の自分の身はどうでもよいのか。
それ程、この世に執着がないのか。
それ程、あるかもわからない来世に望みをかけているのか。
だから、そんな風にいう事が出来るのか。
思わずザックスは、唇をきつく噛んだ。
悲しかった。どうしようもなくやりきれなかった。
自分は、今目の前にいるクラウドを見ているのに、クラウドの瞳は、今を見ていない。
クラウドは、この世の中に絶望し、今の自分の存在を全否定している。
これでは、どんなに自分が助けたいと思っていても助けられない。
助けたい。
生きたいと思って欲しい。
もっとずっと一緒にいたい。
それなのに。

「…もっと、自分を大事にしろよ。じゃないと俺は…」

「…ザックス?」

苦しげに呻くザックスを、クラウドは覗き込んできた。
真っ直ぐな青。焦がれた空の色。
けれどこの瞳は、外に広がる美しい風景も、何にも縛られない自由も、
ましてやザックスと共に生きようという未来も映してはいないのだ。
自分がどれ程外から騒ぎ立てたって、それは独りよがりな想いに過ぎなくて。
報われると言う保証もない。その、あまりの一方的さに、胸が詰まる。
だからだと思う。

「…好きだ。」

その瞬間、押し込められていた感情が、自然と口を突いて出てしまったのは。
クラウドが瞳を丸くする。

「…え?」

「お前が、好きなんだ。」

ザックスの言葉に、クラウドは純粋に驚いていた。
堪え切れなかった。悲しくて。辛くて。解ってくれないもどかしさで気が狂いそうだった。
『穢れ』と侮蔑を込めて言われてきたクラウドは、全く人間として扱われていなかった。
この部屋は娼館と大した差はなかった。
『神』が入ってくるなり、何の会話をする間もなく押し倒し、転がし、服を裂き、鳴かせて、暴挙の限りを尽くしてきた。
だから、今更恋だの愛だの何を言っても信じて貰えないだろうと思った。頭では解っている。
けれど、では一体どうしたら解って貰えるのだろう。どう言ったら、何をしたらこの意味を理解して貰えるのだろう。
どうすれば自分の事を見てくれるのか。
耐え切れなかった。悲しくて悔しくて、自分の感情が制御できず、もうどうしようもなくて、思わず抱きしめていた。
驚いたように瞳を見開くクラウドに、唇を重ねて。押し倒す。
床に背が付いた瞬間、クラウドは一瞬身動ぎしたが、それだけだった。抵抗する様子は微塵もない。
だから、そのまま。
唇の角度を変えて、何度でも何度でも飽きることなく貪った。
荒い呼吸が、丸い天井には反響して聞こえる。
クラウドは決して抵抗しなかった。むしろ、積極的に、ザックスのキスを受け入れているように思えた。
だが。
裾から手を潜り込ませると、クラウドの体が強張った。
恐怖のためなのか嫌悪のためなのかはわからない。
けれど確かに見てしまった。
…だから。
激情は変わらない。欲しいという情欲も。だが、それを遥かに上回る感情が、行動にブレーキをかける。
ザックスは、小さく一つ深呼吸をした。クラウドの匂いで胸を一杯にする。
裾口から潜り込ませていた腕を抜き、唇で、軽く瞼に触れた。
それだけで、後は進めようとはしなかった。回した手でただ優しく抱きしめる。
それは、性欲処理のためにクラウドを使っている男達と自分を一緒にされたくなかったからというのもある。
けれどもっと大事な事。
自分が触れたいのはクラウドの体ではなく心だという事。
そんな人間もいるのだと、世の中には敵ばかりではないのだと。それを知って欲しい。解って欲しいから。
自分にとっては当たり前でも、クラウドにとっては理解し難いその至極単純な事実を彼に教えてやりたかったから。
だから。
体を蝕む熱を、焼け付くような欲望をやり過ごすために、そっとクラウドの金糸に顔を埋めた。
クラウドの匂いが鼻孔を擽る。瞳をきつく閉じた。
随分と長いような、けれど瞬きをするような一瞬にも感じられるような時間が過ぎ、クラウドがそっと身じろぎした。


「…しないのか?」

「ああ。」


「何で。」

「お前の嫌がることはしたくない。」


クラウドが驚いたように目を見開いた。言葉を紡ごうとして口を開き、すぐに閉じた。
そして躊躇うように視線を泳がせた後。


「…でも、あんたしたそうだ。」


それが、抱きしめるだけで感じ取る事ができる下半身の熱である事に気付き、苦笑した。
クラウドに触れるだけで自分の体は呆れる程正直になる。


「ああ。でも、しない。」

今度こそクラウドは黙り込んだ。ただ、不思議そうな瞳でザックスを見てくる。
理解できない者でも見るような、そんな瞳で。
真っ直ぐで美しい瞳に欲情しないといったら嘘になる。
それでも、ザックスはその瞳を見つめ返した。
互いの視線が交わるその時は、長いようにも短いようにも感じたが、
それは、不意に小さく笑ったクラウドの声で終わりを告げた。

「何…」

「…いいよ」


「…は?」

「あんたなら、いいよ。」

「クラウド」


咎めるような口調になっていたのだろうか。クラウドは小さく首を振った。

「勘違いするなよ。王子だからとかそんなじゃなくて、あんただからいいっていったんだ。」

少し不機嫌そうなクラウドの言葉に、思わず耳を疑う。
咄嗟に声が出なかった。ただまじまじと、クラウドを見てしまう。
(…それは)
期待しても良いという事だろうか。
恋愛感情を知らない彼にほんの少しだけ、好意と言う名の芽が出て、
蕾を覗かせてくれているのだと、信じて、いいのだろうか。

穴が開けとばかりに見詰めるザックスに、決まりが悪くなったのか、クラウドは瞳を逸らす。

「俺は、別にあんたにやられるんなら、嫌じゃない…あんたになら抱かれてもいいって思う。
それで、あんたの心が少しでも楽になるっていうなら…」

俯き、ぼそぼそと紡ぐ声は今にも消え入りそうだ。
好意の種類は解らずとも、ザックスの心の痛みは解ってくれるらしい。
複雑な感情に心が揺れる。けれど。
不意に、クラウドが顔を上げた。
上目遣いの瞳は睨みつけるようにきついけれど、それが照れ隠しというのは今までの経験上解っている。
頬だけでなく、耳まで真っ赤にして告げた言葉は。

「…抱けよ。」

そう言われてしまったら、もう、我慢なんてできなくて。
心臓が破けてしまいそうなほどに脈打つ。
恐る恐る、再びクラウドの唇に口づけた。
まるで初めての時みたいに緊張した。
愛ゆえに体は、貪り尽くすように抱きたいと訴えていたけれど、心はそれとは真逆。
優しくしたい。
彼が抱いているイメージとはかけ離れている位、優しく。
欲望を解消させるとか、快感を分け合うとかじゃなく、温もりをあげたい。抱きしめあう事の延長でありたい。
唇を重ねる瞬間、受け入れるように瞳を閉じてくれたのが嬉しかった。

「…好きだ。」

もう一度、言った。
今度もクラウドは驚いていたけれど、今度はちゃんと時間を与える。
ちゃんと受け止めて欲しい。
クラウドを、自分を必要としている人間が確かに入る事。ここに存在する事。
ちゃんと解って欲しい。
クラウドは、一瞬目を見開いて、直ぐ逸らした。

「…嘘だ。」

「嘘じゃない。好きだ、クラウド。お前が好きだ。」

案の定否定するクラウドに言い募れば、クラウドは視線を鋭くした。

「嘘だ。俺は『穢れ』なんだぞ。」

「嘘じゃない。『穢れ』だとかそんなのは関係ない。」

むきになるクラウドに、ゆっくりと、丁寧に否定した。
瞳を逸らされたくなくて、頬に手をそえ、こちらに顔を向ける。
眩しいほどに美しい空色の瞳を、真っ直ぐに覗き込んで。

「お前が、好きだ。」

想いの全てを込めて。
瞳の奥で感情が揺れるのが解った。けれど、クラウドは見られたくないとばかりに俯いてしまう。

「嘘だ…。」

呟くクラウドを抱きしめる。耳元に小さな嗚咽が聞こえた。
まるで、甘え方を知らない子供のように、不器用な表現だった。

「…クラウド…」

ぎゅっと抱きしめて、頭を撫でてやると、クラウドは小さく震えた。
腕の中ですすり泣く小さな子供。
接し方も、甘え方も、愛され方も、何一つとして教えられてこなかった小さな子供。
けれど、どうか、信じて欲しい。


「…お前が、好きだよ。」