Act9 Transient Dreame





信じられない位に優しく抱かれて、信じられない位甘い言葉を囁かれて。
あの時を思い出すと、いつも感じるのは羞恥というよりも戸惑いの方が強い。
苦痛だけしか生まなかった行為のはずなのに、感じた事もない感覚が全身を駆け巡って、それに激しく戸惑ってしまった。
ザックスは、決して無理を強いようとしなかった。最中でも、常にクラウドを気遣っており、それが不思議で堪らなかった。
別に、自分は『穢れ』なのだから、好きにすればいいのに。
抱くのだって、了承なんているはずがないのに、それでもザックスはクラウドがいいというまで決して抱こうとしなかった。
「好きだ」と言ってくれた。何度も、何度も。
一度だって言われた事ない言葉を何度も、何度も。

今までの、好き勝手に自分を弄んできた男達とは違う。

不意に、ピーと機械的な音がして、反射的に音源に目を向けた。
ザックスかと思った。
だが、顔を上げてみて、違う人物だと判別した瞬間、思った以上の落胆が体を包んだ。
入ってきたのは見た事がある人物。
鳶色の髪に、蒼い目をした、50代半ば位の男、名をロンという。確かザックスの執事だったはず。

見た事があるといっても、本当に見た事があるといったレベルで、彼が一人でこの中に入って来た事はなかった。
彼は、『神』の中でも、階級性を絶対視しており、下の階級の者と長時間触れ合うと自身にも穢れが移ると本気で信じている部類だ。
そんな彼がここに入ってくるとは一体どんな風の吹き回しか。まぁ、何にせよ、気持ちのいい話ではなさそうだ。
それは、眉間に皺を寄せたロンからそれは容易に想像できた。ふい、と視線を顔ごと逸らすと、ロンの溜息が聞こえた。
ロンは無言でクラウドの方に歩み寄ってくると、クラウドの前で歩みを止めた。

「…ザックス様は、このみすぼらしいガキの果たして何処がいいんだか。」

ぼそりと呟かれた中に、ザックスの名が出た事で、反射的に顔を向けると、侮蔑を含んだ蒼色の目とまともにぶつかった。
そして、いきなり顎に手をかけられ、ぐいっと持ち上げられた。
値踏みするように不躾な目が向けられたが、クラウドは抵抗しなかった。
執事だろうと、自分より身分の高い『神』の部類には違いない。逆らうわけにはいかない。
ロンは、小さく溜息を落とすと、徐に掴んでいた顎を離した。

「…まぁ、顔は良いが、よりにもよって『穢れ』にご執着なさるとは本当に困った方だ。
このままでは、ご自分の立場が危ういというのに…」

「ザックスが!?」

ロンの呟くような台詞を聞いて、思わずクラウドは叫んでいた。
瞬間ロンが鋭い視線で睨みつけてきて、気付けばがんと床に叩きつけられていた。
唇の端が切れ、口内に血の味が広がる。

「お前如きの人間が気安く名前を呼ぶな!!」

「………」

ロンは、倒れたクラウドを起こすどころか、嵌めていた手袋をはずして床に投げ捨てると、
「手を洗わなくては。」と呟いた。クラウドは小さく咽ながら、ゆっくり身を起こす。
手の甲で唇の端を拭うと、鮮やかな赤が目に入った。

「…あのお方がここに通っている理由も知らず、お前は思い上がっているようだな。」

言葉通り、懐から消毒薬を取り出し、手に吹きかけていたロンは、 忌々しげにクラウドを睨みつけてきた。

「あのお方がここに通ってくる理由、お前には解るか?」

クラウドは無言で俯いた。
答えられない。解らなかった。けれどずっと不思議に思っていた。
一度目に聞いたとき、彼は「つまんないって思う奴の元にわざわざ遠路はるばる来るわけないだろ」そう言った。
二度目に聞いたときは、自分の事を好きだからだと答えた。
思わず顔を顰めてしまったら、ザックスは一瞬悲しそうな顔をして、お前と一緒にいるとおもしろいからだと言った。
だが、それが真実であるとも思えない。
ザックスはああは言ったが、おもしろいと思って貰えるほど自分が価値ある人間とも思われなかった。
ましてや好きだなどと。
だから、この男の理由は至極簡単に胸に溶け込んだ。


「あのお方はな、王に反抗するためにお前の元に通っているのだ。」


「…王に?」

ロンの話はこういうことだった。
ザックスは母親を王に殺された。いや、正確に言えば、自殺に追いやられた。
ザックスの母親は、望んで宿した訳ではない子供を生んで、気が狂い、子供だったザックスの目の前で自殺したのだと。
だが、それでも、王は葬列にも参加せず、随分と長い間自分の子だと認知をすることさえしなかったのだと。
そんな父親を憎んでいるがために、王の忌み嫌う身分の者と仲良くしたがるのだと。
そして、その最たるものが、『穢れ』である自分だったからなのだと。


…説得力があった。
真実と言うに十分な裏づけも、理由もあった。
頭の奥がすっと冷えた。
あぁ、そうかと思った。

「だが、ザックス様はその反抗心とお前への好意を混乱しておられる。
親への反抗心のために、己が努力して得た身分を危うくするなど馬鹿げている。
そうは思わんか?」

クラウドは頷いた。
本当に、その通りだと思った。

「だったら、協力するな?ザックス様の目を覚まさせてくれるか?」


断る理由などなかった。
もう一度頷くクラウドに、ロンは難しい顔をする。

「ザックス様は、情に厚い方だ。勘違いに気付いてもお前への好意だと言い張るかもしれん。
…だが、間違っても本気にするなよ。ただの肉塊が愛されるはずなどないのだから。」


だなんて解りきっている事を、言った。
ロンは言うだけ言うと、クラウドに背を向ける。
だが、暫く歩いて、思い出したように振り返った。

「…あぁ、それと例の計画だが。」

クラウドは緩慢な動作で顔を上げた。

「一週間後、27に決行だ。解ったな。」

小さく頷くと、今度こそロンは出て行った。






入って来た時と同じように無機質な音を放出して、扉が閉まった。
暫く、そこから目が離せなかった。頭の芯が痺れていて、思考が動かない。

「…反抗心、か。」

呟いて、苦笑した。
怨んではいない。
だって怨む理由などない。彼は一瞬の夢をくれたから。
『穢れ』が。神にさえ忌み嫌われた、この存在が愛されるだなんて。
自分も少しは人間なんだろうかだなんて。
一瞬の夢を、見せてくれた人だから。