一瞬の出来事だった。
眩い閃光。何もかもを焼き尽くす黄色い光。凄まじい爆音。
ただ耳が痛くなるほどの静寂だけを残し、世界は滅びた。
 
 
 
 
 
人間の欲望は変わらない。
いつの時代、いつの時も、人間の求めるものは富、名誉、栄光だ。
それら不変の欲望を満たすため、人間は科学を生み出すこととなる。
科学が進歩し、今まで全て肉体労働で行われてきた事が機械の仕事となる。
人間はボタン一つで掃除、選択、炊事、と様々な事をこなす事ができるようになり、生活は飛躍的に楽になった。
だが文明は留まる事を知らない。
何の進化もない人間の欲望の前ではそれだけで済むはずもなかったのは自明の事だったのかもしれない。
そう愚かな人間たちは『太陽』を作り出したのだ。
凄まじい熱を放出し、一瞬のうちに全てを無に帰することが可能な『太陽』
その威力に人はまるで自らが神になったかのような錯覚を覚えた。
人類創造以来、漸く人は神を超えたのだ、と。
だが、その強大な力は人間の手に負える物ではなかった。
『太陽』は初め、己の利権を獲得するための切り札として人間の手で制御されていた。
それはとてもうまくいっているように見えたのだが、その実針の上に立っているようなものだった。
限りなく低い確率。不安定でいつも揺れる。いつ何時ひっくり返るとも解らない危ういバランス。
それが長く続くはずもなく。
『太陽』はある時、人間達の束縛を振り切った。
理由はほんの些細な事だった。
戦争ではない。天災のせいでも。まして誰かが悪意を持ってやったのでもなかった。
作業員のほんの僅かな操作ミス。それだけ。
だが、それでさえ十分に効果を発揮するほどに、バランスは傾いていた。
束縛を振り切った『太陽』は何もかもを焼き尽くし、同時に『毒』を大気中にばら撒いた。
空気中に存在するだけで確実に体を蝕む、悪い毒。
それによって僅かながら生き残った生態も殆どが死滅した。
単純に考えて、人間という繊細な機能を有した生き物が、その状況下で生き残れるはずはない。
だが、運命とは解らない物だ。人間にも生き残りが存在した。
何の悪戯か知らないが、神様は気まぐれに予知能力を持つ人間を創造する。
生まれつき備わったその特殊な能力を有する者は、『太陽』の暴走を正確に予知し、運命の日が来る前に
「ヒューマンプランテーション」なる居住区を作った。
外の悪い毒を受け付けない特殊な材質で作られている空間で、微塵の空気も入らない。
完全なる密閉空間。その中で人々は細々と暮らしを続けていた。
そんな、時代。
 
 
First week      at first
 
 
 
始まりは些細な反抗心
 
 
 
 
 
パン
乾いた音が室内に響き渡った。
天井から下がる、煌びやかなシャンデリアの下に居るのは、30代半ばとも見える、黒髪黒目に無精髭を生やした、恰幅の良い男。
それともう一人、赤く腫れた頬を物ともせず、その男性を睨みつける、黒髪蒼瞳の端正な顔立ちの男だった。
見たところ21位だろうか。
 
ここは神の塔と呼ばれる塔の一室。その名の通り『神』の住まう塔だ。
『神』とは言えども何かを創造できる訳ではない。
ここ、ヒューマンプランテーションでは太陽の暴発を予知した子孫の末裔は『神』と呼ばれ、敬い、崇めたてられる対象となっていた。
何のことはない。人は集まれば必ず何らかの争いが生じるもの。
秩序が乱れ、人類が滅亡してはならないために、ヒューマンプランテーションの中で階級制度が導入されているというわけだ。
当然祭り上げられるのは特殊な能力を有する預言者の子孫だ。
その流れを汲み、今でも末裔は『神』と呼ばれ、人々を管理下に置いている。
 
「もう一度言ってみろ。」
 
恰幅の良い男は、怒りを抑えた声で言った。周りの人間がはらはらとした様子で二人を見守っている。
青い瞳の若い男は切れた口元を拭いながらも、男を見据えた視線を動かさなかった。
「あぁ、何度でも言ってやるさ。お前のやってる事は大馬鹿だっつったの。」
「ザックス、貴様、俺を愚弄する気か!?」
金切り声ともとれるその言葉は、広い室内にも隅々まで響き渡った。
その迫力にびくりと肩を竦める者もいたが、ザックスと呼ばれた男は微動だにしなかった。
ザックスの瞳には、はっきりとそれと解る敵意が滲んでいる。男は顔を真っ赤にして再度殴りかかろうとした、が。
 
「デッカー王子!落ち着かれて下さい!!お体に障ります!」
息を詰めてその光景を見守っていた群衆の中から、一人の男が出てきた。
鳶色の髪に、蒼い目をした、50代半ば位の男だ。
その男は、頭を深く垂れて、デッカーと呼んだ男に跪いた。
「ロン、邪魔だ!どけ!もう一発殴ってやらんと気がすまん!!」
「どきません!!貴方様が静まってくれるとおっしゃってくれるまでは例え切捨てられてもどきません!!」
必死の形相で、かつ捨て身の物言いをするロンに、デッカーは閉口した。
一度だけ、ザックスを睨みつけてから、小さく溜息をつく。
「もういい!!こんなおかしな奴に時間を取られる方が勿体無い。」
そう言うと、デッカーは背を向けて足音荒く歩き去って行った。
後に残るのは床に額が着くほどに深く頭を垂れたロンと、ザックスだけ。
デッカーの、勢い良い足音が聞こえなくなる頃、漸くロンは顔を上げた。
「また、ですか?ザックス様」
あきれ果てた様子のロンに、ザックスは決まり悪そうに笑った。
「まぁ、また、と言えばまた、だな。」
「今年に入って一体何度目ですか?私は体がいくつあっても足りませんよ。」
「悪かったと思ってる!」
そう言って両手のひらを合わせ、頭の上にまで持ち上げる様子は何だかひどく可愛らしい。
ロンは一つ溜息をついた。
「で、今回の理由は?」
「いや、それは…」
困ったな、といった様子で頬を掻くザックスに、ロンは肩を竦めた。
「まぁ聞かなくても解ってますけどね。どうせ貴方の事だ。デッカー様のこの度の『土民』の扱いについてでしょう?」
「まぁ、そう…と言えばそうかな?」
ハッキリしない物言いに、ロンが露骨な溜息を落とす。
「『土民』共に哀れみをかけてやるのも優しさだとは思いますが、貴方は度が過ぎます。
 王も、貴方が『土民』共と交流を持つ事を不快に思っておられる。このままでは貴方のご身分さえ危うくなりますぞ。」
「はは、そうかもな。こないだ王にとつとつと諭されたしな」
「笑い事じゃないでしょう!!?」
今まで割りと声音を抑えていたロンが、大声を上げて髪を掻き毟った。
その勢いで鳶色の髪が一本はらりと落ちるのを目に留めて、ザックスは慌ててその手を掴んだ。
「ロン、やめろ。貴重な髪が抜け毛と成り果てる。」
「そうなんですよ。最近また髪が薄く…って違います!!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすロンは、自覚はないのだろうが見事なノリ突っ込みをこなした。
口煩いくせに、こういう所が何だか憎めなくてザックスは好きだった。
「やっぱ?うんもうちょい気にした方がいいぜ?良い毛髪剤教えてやろうか?」
「え!?本当ですかザックス様!」
「あぁ。なんか俺の叔父様がそれを使い出して一ヶ月で効き目が出たとか。」
「それはすごい!!…でもやっぱり私の手には入りにくいでしょう?」
「いや、俺が口聞いてやるけど。でも、ちょっと値が張るかもな。」
「…そうですよね」
ロンは真剣な顔をして俯いた。きっと今彼の頭の中ではどうやってお金を捻出するかで一杯なのだろう。
悩みぬいていたロンが突然顔を上げ、お、もう金の算段がついたかと思った瞬間、ロンは今度は耳まで真っ赤にした。
「って私の髪の事はもういいんですよ!!そりゃ後で教えて欲しいですけど今はそんな話をしているんじゃないです!!
大体貴方だって抜け毛に貢献しているお一人なのですよ!!」
ごもっとも。
床に哀れな肢体を晒している抜け毛を見ながら心の内で呟いた。
このまま抜け毛談に花が咲き、例のことなど忘れてくれるかと思ったが、さすがにそこまではうまくいかないらしい。
苛立ちを解消するために頭に伸ばしかけた手をロンは慌てて引っ込める。
「…もっと冷静になって下さい。あいつらと私達は価値が全く違うのですから。」
真剣な瞳で言われて、ザックスは思わず目を逸らしてしまった。
「……あぁ、そうだな。…それはともかくとして、『土民』が収容されてる所に案内してくれよ。」
説得力のない態度に、またしても深い溜息が鼓膜に刺さった。
 
 
 
『神』という最上層がいるのならば当然最下層も存在する。そして中間層も。
プランテーションでは3つの階級に分かれていた。
上から順に『神』、『間民』、『土民』である。
最上層の名の由来は言うまでもないが、全てを統べるものという意味だ。
その他の名前は、天に住まう神と対比してその名を付けられている。
例えば、『間氏』は空と土の間の身分を表し、『土民』は土以下の身分という事だった。
『間民』も『土民』も『神』に支配され、それに服従する者である事には変わりがないが、やはり扱いは格段に違う。
『神』はまるで『土民』を奴隷のように扱った。そして、『間民』も『土民』をそのように扱った。
それだけの扱いを受ければ自然と反対勢力なども組織されそうなものだが、現実はそうでもなかった。
完全なる階級性では、上の身分の者に逆らった場合は何の同情の余地もなく即刻処分の目に合うからだ。
また、その三層の区別は徹底してなされていた。
即ち、どれ程堕落した生活を送っていても、『神』の子は『神』であり、
また逆に『土民』の子はどれ程努力しても、どれ程事業に貢献しても、『土民』ということだった。
ザックスも、ロンも、デッカーもその身分の中では、『神』に当たる。
では何故ロンがザックスにもデッカーにも敬語なのかと言うと、『神』の中にも上下があるからだった。
ただそれは王、王子、執事という単純なもので、ザックスもデッカーも王子に当たり、ロンは執事に当たる。
ロンが、デッカーは王子と呼ぶのに、同じ王子であるザックスに対してはザックス様と呼ぶに留めているのは、
単純にザックスが王子と呼ばれる事を嫌がるからだ。偉くもない人間がそんな風に呼ばれたくないと。

ザックスは生まれ持った身分などには何の意味もないと感じていた。
実力で割り振られた身分ならばともかくとして、生まれ持った身分に如何程の価値があるのかと。
だから、ザックスはデッカーのように、生まれ持った身分の上に胡坐を掻いているような奴には食ってかかることが多かった。
今回の事件は、デッカーが労働力のためではなく、遊戯のために大量の『土民』を収集したことから始まっていた。
遊戯というのは具体的には『土民』が男であれば、『土民』同士を殺し合わせたり、
女であれば、無理矢理体を開いて弄ぶという典型的な馬鹿遊びだ。
デッカーは意味もなく威張り散らしている『神』の中でも特に腐っており、そう言うことが間々あった。
その度に、ザックスは食ってかかっており、今回も例に漏れずそうしていたという訳である。
 
 
硬いブーツの裏が、床に当たって硬い音を立てる。
狭い石造りの牢に続く道を、ザックスとロンは歩いていた。
この牢獄は、デッカーに遊び終えられた『土民』達が収容されている牢だ。
その一人一人を見て回りながら、ザックスは顔を顰めた。
「…多いな」
「ええ。でも本当はもっとたくさん居たらしいですよ。」
という事は後は始末されてしまったという訳だ。
戦いで負けたもの、不遜な言葉を吐いたもの、気に入らない態度をとったもの、全部。
そしてここに居る者たちも遊ぼうという気が向かなければ食事も与えられずここで餓死することになる。
酷い事をするものだ。
小さく溜息をつき、一言言った。
「開けてやれ」
ここで、勝手に逃がす事は、デッカーにまたしても喧嘩を売る事になるが、その位構わない。
大体デッカーは新しいもの好きで、滅多にもう一度同じ『土民』で遊ぶ事はなかったから。
ロンははいはいと諦めた様子で、一つずつの檻を開けていった。
檻を開けられて、すぐに出て行く者は殆どいなかった。
動けないのか、もう生きる気力がないのか。それは虚空を見つめる瞳だけでは解らなかったけれど。
「あいつらは手当てしてやらないとな…」
あいつらと言って指を指したのは、首の周りに締め付けられたような後がある者、
深い傷を負い、手当てもされずに血を流し続ける者と様々だった。
生き残った者でさえこの有様だ。始末されてしまった者は一体どんな目に合わされたのか。
考えるだけで切なくなり、ザックスは心の中で軽く十字を切った。
一通りの鍵を開け終わったロンを見届ける。
「…これで全部か?」
「あ、と今回は…」
「…今回は?」
ロンは口に出してからあからさまにしまったという顔をした。口を滑らせてしまった、と。
それをザックスが許すはずもなく、問い詰めるような視線を向ける。
ロンはそんなザックスをちらりと見て、諦めたように息をついた。
「今回は、『穢れ』がいるんですよ。」
「『穢れ』…って…『土民』の一種か?」
「まぁ、そうですね。でもそいつはかなり特異なモノでして。いつもは特別なトコに隔離してあるんですがね」
ロンの話ではそいつは人間では考えられない特異な力を持っているらしい。
そして、その特異な力は悪魔と契約した結果得たものであると。
悪魔などザックスは信じてなどいなかったから、何の嫌悪感も感じなかった。
その位でもしない限り得る事ができない力だということだろう。
「だから、王子もできるだけお近づきならない方がいい。穢れをうつされては困ります。」
「そりゃ〜」
ザックスの言葉にロンは安堵したように息を吐いたが、次の言葉で、吐いた息を飲み込んだ。
「是非ともお目にかかりたいもんだ」
「王子、お待ち下さい!!」
しくじったという顔をしたロンをさっさと置いてザックスは牢の奥に向かった。
悪魔に魂を売った結果として最大の穢れとされる『土民』。
そんな事を言った所で、どうせ普通の『土民』と何も変わらない。
そいつだけこんな所に閉じ込めて置くなどおかしなことだ。
ザックスはそいつも逃がしてやろうと、牢獄の奥の扉を開け、足を踏み入れた。
その瞬間。
思わず、息を呑んだ。
牢の中で手足を縛られているのは、一人の青年だった。
だが、普通とは言いがたい、華奢な青年。
その青年は小麦色の肌が目立つこのプランテーションでは一度だって見た事がない程白い肌に
金糸のような見事なまでのプラチナブロンドをしていた。
そして、どの絵の具の色にも当てはまる事がない程鮮やかな水色をした瞳。
言うなれば、文献で見た事のある空の色と言うのが一番しっくり来るのかもしれない。
その位透明度が高く、眩い色だった。
男の形容詞としては相応しくはないのかもしれない。でも、綺麗だ、そう思った。
 
「…お前…」
 
思わず漏れた声に自分でも驚いた。自分は一体何を言おうとしているのだろうか。
全く考えもなしに漏れ出た声だった。
青年はザックスの声に気付いたのか、緩慢に顔をこちらに向けた。
けれど、ぼうっとした瞳は何も映していないかのように見えた。
先の言葉は決まっていなかった。けれど彼の瞳を見ていたら、もう、何も考えられなくなって。
 
「お前……何だ?」
 
自分でも何を言いたいのかが解らなかった。
何だと問われて一体何と答えればいいのか。顔を顰められるかと思ったが、そうではなかった。
何の感情の揺らぎもなく、無表情。そして、無感情な声で。
 
「……そんなの、あんたが決める事だろ。」
 
 
青年の瞳は口調と同じ無感情で、何も映してはいないかのようだった。
 
 
だがそれでも
強烈な程、美しかった。